キリシマツツジが有名な妙心寺塔頭 大心院へ
4月21日(水)は、2016年(平成28年)4月20日以来の妙心寺塔頭 大心院にキリシマツツジを見に行きました。
4月14日(水)も、妙心寺に来て退蔵院と大法院に来てましたが、大心院のことも頭の片隅にはありました。ただキリシマツツジは早いだろうと思いスルーしたわけです。
そして4月21日の当日は天気も良いし、いつものように妙心寺第二駐車場に車を入れ、石畳の妙心寺境内を大心院に向け真っ直ぐ向かうと9時36分に「山門」前に着きました。
キリシマツツジの咲いている庭は、箱庭のように狭いので、誰も居ないと良いのになぁ・・・と思い、山門をくぐると・・・。
山門を入って左手に「庫裏」があって、その中に「拝観受付所」があるわけです。
庫裏を入ると、センサーで大きい音でチャイムが鳴ります。それでお寺の方が出て来られるので、受付で300円を納めて堂内に入ります。
最近では2020年(令和2年)7月20日に来てるので拝観コースは知ってます。さっそくキリシマツツジを見に行くと・・・?。
「方丈(本堂)」と「書院」の間の小さな「中庭」に、キリシマツツジの古木が植わっており、綺麗に花を付けてました。
ここに入ってきたとき、お一人の方が写真を撮られてましたが、すぐに出て行かれたので、そのあとは誰も来られませんでした。
2016年(平成28年)4月20日に来た時の方が、花付きは良かったように思います。古木のため年々悪くなっているのかなぁ?。
樹齢、約380年と言われるキリシマツツジは、高さ4㍍の大樹です。奥の五葉松とともに本堂建立の記念として植えられたそうで、僅かな空間を生かす工夫がなされています。
次に「書院」と「宿坊」との間にある「中庭」にも、キリシマツツジとツツジが咲いてました。ここは以前の記憶が無いですね。
この大心院では「阿吽庭(あうんてい)」が有名です。その庭は「宿坊」の南、「方丈(本堂)」の東にあるので、そちらに向かいます。
1965年(昭和40年)に昭和の名作庭家・中根金作が作庭。中央の三尊石の石組を中心に、築山には多くの樹木が、また、苔地と白砂で州浜をあらわし美しい曲線を見せています。この曲線は龍が天に昇る姿をイメージしているとか。
「阿吽庭(あうんてい)」は通称で、正式には「方丈東庭」といいます。この庭の石で仏、菩薩を象徴した第二の本堂です。東南隅に築山を設け苔地とし、三尊石を中心に左右に数個の石を配し、築山の下部には州浜の曲線によって白砂に変化をもたらしています。
「宿坊」の東(裏手)にも、庭園がありました。名前が付いませんが、手入れはされているようです。
次に「方丈南庭」に行きました。ここにもキリシマツツジが咲いてましたが、以前来た時、牡丹が咲いてましたが、枯れたのかなぁ?。
この南庭は、「切石の庭」とも呼ばれ、その西側には「祖堂」が建っています。
1666年(寛文6年)建立で、その後に本山妙心寺に売却され、数奇な運命を経て、2003年(平成15年)に再び返却され現在に至っています。
「切石の庭」は、中央に切石で組まれた造形のため、そう呼ばれています。以前、牡丹が咲いていた花壇には何も植わって無いように見えたので、枯れたのでしょう。
「方丈(本堂)」の中にも入ってみました。仏間には本尊の「十一面観世音菩薩坐像」でしょうね、見た所。
本来のコースは「方丈(本堂)」の西側から、最初の玄関に戻るところ、まだ時間も早かったので、もう一度キリシマツツジを見に戻ります。
行きは、人が居たので入らなかった「書院」に行きました。それよりガラスに反射するキリシマツツジは綺麗です。
2020年(令和2年)7月20日に来た時も、この書院は開いてました。ただ、何も無いですけど・・・。
ここから見ると、キリシマツツジの奥にある五葉松も良く見えます。ただ、キリシマツツジは盛りが過ぎたのか、これからなのか分かりません。
少し笑ってしまったことですが、書院の痛み具合が気になります。経済状況が悪いのでしょうか?。
ここは、いつ来ても空いているので、最初に人が居たのには驚きでした。一通りみたあと、9時50分に出て行きました。
妙心寺の塔頭のひとつである大心院は、1492年(明応元年)に管領細川政元が、景川宗隆(けいせんそうりゅう・大徳寺46世住持、妙心寺10世住持)を開山として創建。天正年間(1573~1592)に細川幽斎(藤孝)が現在地に移転させた。書院前の「阿吽庭」は東西に長い長方形の地割をもつ枯山水庭園で、白砂、奇岩、苔で龍が天に昇ろうとする姿を表している。また、本堂の南庭は「切石の庭」と呼ばれる。
ここを出たあと、車に戻らず石畳の境内を北に向いて歩いて行きました。運動不足解消のため、広い広い境内を一周します。
【妙心寺塔頭 大心院】
4月14日(水)も、妙心寺に来て退蔵院と大法院に来てましたが、大心院のことも頭の片隅にはありました。ただキリシマツツジは早いだろうと思いスルーしたわけです。
そして4月21日の当日は天気も良いし、いつものように妙心寺第二駐車場に車を入れ、石畳の妙心寺境内を大心院に向け真っ直ぐ向かうと9時36分に「山門」前に着きました。
キリシマツツジの咲いている庭は、箱庭のように狭いので、誰も居ないと良いのになぁ・・・と思い、山門をくぐると・・・。
山門を入って左手に「庫裏」があって、その中に「拝観受付所」があるわけです。
庫裏を入ると、センサーで大きい音でチャイムが鳴ります。それでお寺の方が出て来られるので、受付で300円を納めて堂内に入ります。
最近では2020年(令和2年)7月20日に来てるので拝観コースは知ってます。さっそくキリシマツツジを見に行くと・・・?。
「方丈(本堂)」と「書院」の間の小さな「中庭」に、キリシマツツジの古木が植わっており、綺麗に花を付けてました。
ここに入ってきたとき、お一人の方が写真を撮られてましたが、すぐに出て行かれたので、そのあとは誰も来られませんでした。
2016年(平成28年)4月20日に来た時の方が、花付きは良かったように思います。古木のため年々悪くなっているのかなぁ?。
樹齢、約380年と言われるキリシマツツジは、高さ4㍍の大樹です。奥の五葉松とともに本堂建立の記念として植えられたそうで、僅かな空間を生かす工夫がなされています。
次に「書院」と「宿坊」との間にある「中庭」にも、キリシマツツジとツツジが咲いてました。ここは以前の記憶が無いですね。
この大心院では「阿吽庭(あうんてい)」が有名です。その庭は「宿坊」の南、「方丈(本堂)」の東にあるので、そちらに向かいます。
1965年(昭和40年)に昭和の名作庭家・中根金作が作庭。中央の三尊石の石組を中心に、築山には多くの樹木が、また、苔地と白砂で州浜をあらわし美しい曲線を見せています。この曲線は龍が天に昇る姿をイメージしているとか。
「阿吽庭(あうんてい)」は通称で、正式には「方丈東庭」といいます。この庭の石で仏、菩薩を象徴した第二の本堂です。東南隅に築山を設け苔地とし、三尊石を中心に左右に数個の石を配し、築山の下部には州浜の曲線によって白砂に変化をもたらしています。
「宿坊」の東(裏手)にも、庭園がありました。名前が付いませんが、手入れはされているようです。
次に「方丈南庭」に行きました。ここにもキリシマツツジが咲いてましたが、以前来た時、牡丹が咲いてましたが、枯れたのかなぁ?。
この南庭は、「切石の庭」とも呼ばれ、その西側には「祖堂」が建っています。
1666年(寛文6年)建立で、その後に本山妙心寺に売却され、数奇な運命を経て、2003年(平成15年)に再び返却され現在に至っています。
「切石の庭」は、中央に切石で組まれた造形のため、そう呼ばれています。以前、牡丹が咲いていた花壇には何も植わって無いように見えたので、枯れたのでしょう。
「方丈(本堂)」の中にも入ってみました。仏間には本尊の「十一面観世音菩薩坐像」でしょうね、見た所。
本来のコースは「方丈(本堂)」の西側から、最初の玄関に戻るところ、まだ時間も早かったので、もう一度キリシマツツジを見に戻ります。
行きは、人が居たので入らなかった「書院」に行きました。それよりガラスに反射するキリシマツツジは綺麗です。
2020年(令和2年)7月20日に来た時も、この書院は開いてました。ただ、何も無いですけど・・・。
ここから見ると、キリシマツツジの奥にある五葉松も良く見えます。ただ、キリシマツツジは盛りが過ぎたのか、これからなのか分かりません。
少し笑ってしまったことですが、書院の痛み具合が気になります。経済状況が悪いのでしょうか?。
ここは、いつ来ても空いているので、最初に人が居たのには驚きでした。一通りみたあと、9時50分に出て行きました。
妙心寺の塔頭のひとつである大心院は、1492年(明応元年)に管領細川政元が、景川宗隆(けいせんそうりゅう・大徳寺46世住持、妙心寺10世住持)を開山として創建。天正年間(1573~1592)に細川幽斎(藤孝)が現在地に移転させた。書院前の「阿吽庭」は東西に長い長方形の地割をもつ枯山水庭園で、白砂、奇岩、苔で龍が天に昇ろうとする姿を表している。また、本堂の南庭は「切石の庭」と呼ばれる。
ここを出たあと、車に戻らず石畳の境内を北に向いて歩いて行きました。運動不足解消のため、広い広い境内を一周します。
【妙心寺塔頭 大心院】
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