躑躅咲く 臨済宗天龍寺派 等持院庭園へ

臨済宗天龍寺派 等持院の、1341年(暦応4年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が夢窓国師を開山として別院北等持寺を創建。尊氏の死後、その墓所となり、尊氏の戒名から等持院と改めまました。庭園は東西に分かれ、西の庭は芙蓉池と称し衣笠山を借景にした池泉回遊式であり北側に義政公好みの茶室「清漣亭」があるので、書院からスリッパに履き替え散策します

IMG_4572.jpg書院からスリッパを履いて庭に降りました。ここから芙蓉池越しに茶室清漣亭」を見ています。ここにも躑躅が綺麗に咲いています。

IMG_4574.jpgIMG_4575.jpg等持院庭園の西側にある芙蓉池には、錦鯉が優雅に泳いでいます。ここでは餌やりは無いですね

IMG_4576.jpgIMG_4578.jpgIMG_4579.jpg書院を降りて、「芙蓉池」を時計回りでに、茶室「清漣亭」まで登って来ました。ただ、その先は行かれませんが・・・。

IMG_4580.jpgこの日も茶室清漣亭」前まで結界があるので行けません。そのため「司馬温公形手水鉢」は、また見られませんでした。

IMG_4581.jpgIMG_4582.jpgIMG_4583.jpg茶室「清漣亭」から等持院庭園の東側に移動します。茶室の反対側にも石段があって、降りて行くと、前方に心字池が見えてきます。

IMG_4584.jpgIMG_4585.jpg次の庭園は東側にある「心字池」です。心字池は、池の形が「心」字のような形をなしているものを指し、鎌倉、室町時代の庭によく見られるそうです。

IMG_4586.jpgIMG_4587.jpgここから心字池の対岸を見ると「蓬莱島」が見えます。かつて「妙音閣」があったそうで、後程渡ります。

IMG_4588.jpgIMG_4589.jpgIMG_4590.jpgIMG_4592.jpgIMG_4594.jpgIMG_4595.jpgIMG_4597.jpgIMG_4598.jpgIMG_4600.jpgIMG_4601.jpgIMG_4602.jpg心字池湖畔に咲く、躑躅の花を見ながら前途した「蓬莱島」までやって来ました。ここから石橋を渡ります。

IMG_4603.jpgIMG_4604.jpgIMG_4605.jpgIMG_4606.jpgIMG_4607.jpgIMG_4608.jpgこの島にはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。

IMG_4613.jpgそして次に足利家15代の供養塔という「十三重塔」と、その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為の句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」と書かれています。

IMG_4610.jpgIMG_4612.jpgさらに左横を見ると、「中興天龍牧翁和尚大禅師」と書かれた文字と、臨済宗天龍寺派管長の関牧翁の胸像がありました。

IMG_4614.jpgこのあと、「方丈(本堂)」裏まで戻ると「足利尊氏公のお墓」に寄りました。ここは外せませんね。室町幕府初代将軍の墓とされる宝篋印塔です

IMG_4615.jpgIMG_4616.jpgそして「方丈(本堂)」裏を通って、書院まで戻って来ました。ここでスリッパを脱いで上がると、綺麗な庭園を見ながらお茶をいただきたくなったので、受付に行き注文しました。

IMG_4617.jpgIMG_4620.jpgIMG_4621.jpg暑くも無く寒くも無く、何より空気がカラカラに乾いているので、ここに座っていると風が気持ち良いです。

IMG_4625.jpgIMG_4624.jpgIMG_4626.jpgIMG_4619.jpgIMG_4627.jpg茶席は1服500円です。ここのは、京菓子司 笹屋守栄さんの等持院特製「芙蓉の月」でした。綺麗な庭園を見ながらのお菓子は特別に美味しかったです

10時44分に、ここを出て行くときに、一組の方が入って来られました。この等持院は、いつも空いていて平日に人と出会うのは珍しいです。緊急事態宣言下でもあり、ここから帰路に着きました。

【等持院庭園】

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