大河内傳次郎が生涯をかけて造った大河内山荘庭園へ
4月4日(日)の19時からKBS京都「京都夜桜生中継2021 日本映画発祥の地に咲く桜物語」(BS11でも放送)を見ていて、嵐山の大河内山荘の桜を紹介されました。私は昨年の2020年(令和2年)2月15日に行ってますが、過去に紅葉の時期に来たことはありますが、桜の時期には行ったことがなかったので、さっそく翌日に行ってみました。
いつものように嵐山経由で天龍寺に、9時38分車を置きました。その嵐山ですが、桜は前日の雨と風で完全に終わってましたね。そして天龍寺も、3月26日に桜が満開の時に訪問しましたが、それから11日もたっているので、こちらの桜も終わってました。天龍寺から歩いて宝厳院の前を通りましたが、外から見る限り桜は散ってました。このあと大堰川沿いに出て、亀山公園内をゆっくり登ります。亀山公園出口まで緩やかな登りが続き、亀山公園を出ると竹林の風景に変わります。そこから大河内山荘に着く手前には「竹林の小経」と呼ばれる観光スポットがあって、この時期でも多くの方が来られてました。中には外国人観光客が数組写真を撮ってましたね、何処から来られたのでしょうか?。2020年(令和2年)2月15日の大河内山荘に来た時も、竹林は通りましたが、コロナ禍が問題になってましたが完全にオーバーツーリズムでした。ただ今は、外国人観光客は数組程度です。
9時52分にようやく入口に着きました。ここは9時開門のため数組は入られているでしょう。
「大河内山荘庭園」の入園料1000円で、お茶券が付いてきます。少々割高の料金設定のためでしょうか、ここはそんなに混まないです。
最初に「茶店」に寄っても良かったですが、先に庭園を散策することにしました。最初は国の登録有形文化財に指定されてる「中門」をくぐります。
石段を登ったら「大乗閣」があり内部は非公開です。数寄屋風の書院をはじめとして、泉殿のように突出した寝殿、如庵写しの小間の茶室、民家風の勝手、土間を一体化させた斬新な建物。各様式の特性に応じ屋根形式や意匠に工夫を凝らした数寄屋師 笛吹嘉一郎の代表作となっています。
順路にしたがって狭い石段を上がると、眺望が綺麗な展望所があって、遠くに比叡山、仁和寺の五重塔、双ケ岡、如意ヶ嶽の大文字山が綺麗に見えています。
次に細い苑路を歩くと現れるのが「持仏堂」(国指定登録有形文化財)です。大河内山荘は、この持仏堂を建てることから始まったということです。傳次郎は、撮影の合間に、ここで念仏や瞑想をされ映画造りや庭造りの芸術性を見いだしたといいます。
次に、飛び石の苑路を歩いて行くと、その先に茶室「滴水庵」(国指定登録有形文化財)が見えて来ます。
数寄屋風の造りの茶室。平屋建で、桁行5間、梁間2間、入母屋造、茅葺の主体部の南面西半に、切妻造、土庇付の突出部をもつ。2室の広間の茶室と土間のある水屋は、丸太や竹を多用してます。
次に細い細い石段を登って行くと、「保津峡」が見えました。対岸の「大悲閣千光寺」も見えています。
ここに来て、人の会話は聞こえて来るんですが、不思議と誰とも出会いません。次に「月香亭(展望台)」が見えて来ました。
この大河内山荘庭園で、もっとも眺望が綺麗な展望台です。比叡山、大文字山を初めてとする東山三十六峰、京都タワーまではっきり見えました。
2013年(平成25年)12月20日の「嵐山花灯路」では、ここ大河内山荘庭園がライトアップされました。ここから京都市街地の夜景が綺麗でしたね。
下っていくと右手に茅葺きの屋根が見えました。石碑なは「妙香庵」と書かれており、いつ来ても入れません。傳次郎の妻、妙香の菩提所だそうで、傳次郎の逝去50回忌に建てられたそうです。
「月香亭(展望台)」の横から、急な石段を下り、ほぼ真っ直ぐな苑路を下って行きます。ここでも人の話し声が聞こえますが出会いませんでした。
私は、大河内傳次郎を知りません。昨日放送されたKBS京都「京都夜桜生中継2021 日本映画発祥の地に咲く桜物語」で傳次郎の動く姿と声を聞きました。その事を思い出しながら「大河内傳次郎資料館」を見学させてもらいましたね。
ここのポスターのなかで、「大岡政談」1929年(昭和4年4月)封切と「素浪人忠弥」1929年(昭和4年7月)封切だけアップしました。
最後に茶券を持って「茶店」に行きました。先客は1組2名で、私のあと2組3名の方が入って来られました。お菓子は落雁で美味しかったです。
帰りに、この「四阿」で休憩していると、2組の方が通過されてました。このあと、ここを出て行きますが、不思議と誰も出会いませんでした。見終わったあとに、これだけ出会いましたが・・・。ラッキーでした。
10時30分過ぎに、大河内山荘庭園を出て行きました。残念ながら桜はすべて散ってたのが残念でしたが、ここの庭園は綺麗で、いつ来ても良いです。
天龍寺に車を置いているで、帰りも「竹林の小経」は通らず、亀山公園経由で戻りました。
【大河内山荘庭園】
いつものように嵐山経由で天龍寺に、9時38分車を置きました。その嵐山ですが、桜は前日の雨と風で完全に終わってましたね。そして天龍寺も、3月26日に桜が満開の時に訪問しましたが、それから11日もたっているので、こちらの桜も終わってました。天龍寺から歩いて宝厳院の前を通りましたが、外から見る限り桜は散ってました。このあと大堰川沿いに出て、亀山公園内をゆっくり登ります。亀山公園出口まで緩やかな登りが続き、亀山公園を出ると竹林の風景に変わります。そこから大河内山荘に着く手前には「竹林の小経」と呼ばれる観光スポットがあって、この時期でも多くの方が来られてました。中には外国人観光客が数組写真を撮ってましたね、何処から来られたのでしょうか?。2020年(令和2年)2月15日の大河内山荘に来た時も、竹林は通りましたが、コロナ禍が問題になってましたが完全にオーバーツーリズムでした。ただ今は、外国人観光客は数組程度です。
9時52分にようやく入口に着きました。ここは9時開門のため数組は入られているでしょう。
「大河内山荘庭園」の入園料1000円で、お茶券が付いてきます。少々割高の料金設定のためでしょうか、ここはそんなに混まないです。
最初に「茶店」に寄っても良かったですが、先に庭園を散策することにしました。最初は国の登録有形文化財に指定されてる「中門」をくぐります。
石段を登ったら「大乗閣」があり内部は非公開です。数寄屋風の書院をはじめとして、泉殿のように突出した寝殿、如庵写しの小間の茶室、民家風の勝手、土間を一体化させた斬新な建物。各様式の特性に応じ屋根形式や意匠に工夫を凝らした数寄屋師 笛吹嘉一郎の代表作となっています。
順路にしたがって狭い石段を上がると、眺望が綺麗な展望所があって、遠くに比叡山、仁和寺の五重塔、双ケ岡、如意ヶ嶽の大文字山が綺麗に見えています。
次に細い苑路を歩くと現れるのが「持仏堂」(国指定登録有形文化財)です。大河内山荘は、この持仏堂を建てることから始まったということです。傳次郎は、撮影の合間に、ここで念仏や瞑想をされ映画造りや庭造りの芸術性を見いだしたといいます。
次に、飛び石の苑路を歩いて行くと、その先に茶室「滴水庵」(国指定登録有形文化財)が見えて来ます。
数寄屋風の造りの茶室。平屋建で、桁行5間、梁間2間、入母屋造、茅葺の主体部の南面西半に、切妻造、土庇付の突出部をもつ。2室の広間の茶室と土間のある水屋は、丸太や竹を多用してます。
次に細い細い石段を登って行くと、「保津峡」が見えました。対岸の「大悲閣千光寺」も見えています。
ここに来て、人の会話は聞こえて来るんですが、不思議と誰とも出会いません。次に「月香亭(展望台)」が見えて来ました。
この大河内山荘庭園で、もっとも眺望が綺麗な展望台です。比叡山、大文字山を初めてとする東山三十六峰、京都タワーまではっきり見えました。
2013年(平成25年)12月20日の「嵐山花灯路」では、ここ大河内山荘庭園がライトアップされました。ここから京都市街地の夜景が綺麗でしたね。
下っていくと右手に茅葺きの屋根が見えました。石碑なは「妙香庵」と書かれており、いつ来ても入れません。傳次郎の妻、妙香の菩提所だそうで、傳次郎の逝去50回忌に建てられたそうです。
「月香亭(展望台)」の横から、急な石段を下り、ほぼ真っ直ぐな苑路を下って行きます。ここでも人の話し声が聞こえますが出会いませんでした。
私は、大河内傳次郎を知りません。昨日放送されたKBS京都「京都夜桜生中継2021 日本映画発祥の地に咲く桜物語」で傳次郎の動く姿と声を聞きました。その事を思い出しながら「大河内傳次郎資料館」を見学させてもらいましたね。
ここのポスターのなかで、「大岡政談」1929年(昭和4年4月)封切と「素浪人忠弥」1929年(昭和4年7月)封切だけアップしました。
最後に茶券を持って「茶店」に行きました。先客は1組2名で、私のあと2組3名の方が入って来られました。お菓子は落雁で美味しかったです。
帰りに、この「四阿」で休憩していると、2組の方が通過されてました。このあと、ここを出て行きますが、不思議と誰も出会いませんでした。見終わったあとに、これだけ出会いましたが・・・。ラッキーでした。
10時30分過ぎに、大河内山荘庭園を出て行きました。残念ながら桜はすべて散ってたのが残念でしたが、ここの庭園は綺麗で、いつ来ても良いです。
天龍寺に車を置いているで、帰りも「竹林の小経」は通らず、亀山公園経由で戻りました。
【大河内山荘庭園】
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