「京都御所 宮廷文化の紹介」(令和3年春)の参観へ
4月7日(水)から京都御所では、「宮廷文化の紹介」が始まり期間が4月11日(日)まででした。以前の「春の一般公開」と呼ばれていたものでしょう。京都御所の参観も2016年(平成28年)7月26日(火)から申し込み不要の通年公開が始まっており、私は2018年(平成30年)3月3日(前編)、2018年(平成30年)3月3日(後編)に入ってます。いつでも行ける京都御所ですが、「宮廷文化の紹介」では紫宸殿の前まで行け、高御座を見ることができるのと、人形を置かれて当時の貴族の様子が分かりやすく紹介されるので家族を連れて行って見ることにしました。
「京都御苑 中立売駐車場」に、9時3分に車を入れてみると止まっている車の数が少ないと感じました。
参観入口は「清所門」です。普段は、ここから入りますが「宮廷文化の紹介」では、この前に臨時のテントが設置され、ここで整理券を貰います。多分、密を防止するためでしょう、でも見た所ガラガラのようですが・・・。
「清所門」では、皇宮警察から手荷物検査を受けます。私は手ぶらでしたが家族が鞄を持っていたので、中を覗かれる程度です。検査が済んだら入って行きます。
最初に展示されていたのは、「御学問所下段の間」の「岳陽楼図襖絵」でした。作者は原在照筆で、中国湖南省に位置する洞庭湖と、湖の東岸に建つ岳陽楼が画かれています。
以前は、ここが参観入口だった「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。京都御所西側の門で、皇族・公卿などが出入されました。
「御車寄(おくるまよせ)」儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関です。公卿・殿上人など、限られた者だけが使用となります。
以前は、100人ぐらいの参観者が固まって、ガイドさんの話しをマイクを通して聞きましたが、こうして自由参観の方が良いですね。
次に「諸太夫の間(しょだいぶのま」 正式な用向きで参内した時の控えの所にあてられる建物で、襖の絵にちなんで格の高い順に「虎の間・岸岱筆」(右)、「鶴の間・狩野永岳筆」(中)、「桜の間・原在照筆」(左)と呼ばれる三室が並びます。
次が「新御車寄(しんみくるまよせ)」です。1915年(大正4年)に大正天皇即位礼が紫宸殿で行われる際に場所による行幸に対応する玄関として新設されたものです。
そこに「牛車(ぎっしゃ)」が展示されてました。平安時代以降、高位の人々が用いた乗りもので、輈と呼ばれる長い棒の先に牛をつなぎ、車を曳かせました。
次に「承明門(しょうめいもん)」から、奥に紫宸殿が見えています。このあと、近くで高御座を見られる筈です。
その対面にあるのが「建礼門(けんれいもん)」です。この門は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用されるため、めったに開けられません。
ここから東を見ると「建春門(けんしゅんもん)」が見えていますが、近くには行きません。望遠で撮りました。
こちらは「春興殿(しゅんこうでん)」で、1915年(大正4年)大正天皇即位礼に際し、皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたものです。
この日は「日華門(にっかもん)」が開いており、ここから紫宸殿南庭に入ります。なお、 西側の「月華門」とは相対しています。
この「京都御所 宮廷文化の紹介」では、「紫宸殿」の前まで行けます。そして殿内の「高御座」と「御帳台」を見ることができますが、さすがに遠くて良く見えません。
2019年(令和元年)10月22日、天皇陛下が即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式として、皇居の宮殿において、即位礼正殿の儀が行われました。儀式においては、宮殿の正殿松の間に高御座と御帳台が置かれて、天皇陛下が御束帯(黄櫨染御袍)をお召しになって高御座に昇られ、皇后陛下が御五衣・御唐衣・御裳をお召しになって御帳台に昇られたのち、天皇陛下からおことばがありました。
ここから出入りできませんが「月華門(げっかもん)」の側まで行けます。紫宸殿南庭の西側の門ですね。
現在「清涼殿」が工事中です。それでコースは、紫宸殿西側の工事用通路を抜けていきます。
現在「清涼殿」は、檜皮葺屋根の葺替を主とする整備工事中です。期間は2023年(令和4年)3月末となっていました。
清涼殿は、平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。
清流殿も、人形で平安貴族も模様が再現されるだけに、せっかく来てくれた家族に見て貰えなくて、工事中は残念でした。
清涼殿の工事中は、事前に調べて知ってました。このあと「紫宸殿」の北側を見て、「小御所(こごしょ)」の南側を見ながら苑路に出て来ました。
綺麗な庭園に入る前に振り向くと「宣陽殿(ぎようでん)」を撮りました。紫宸殿の東、綾綺殿の南に位置し、歴代の御物を収蔵したところ。昭和大礼の賢所((かしこどころ)大前の儀に際して、天皇・皇后がお召替え所とした。
最初に見るのは「小御所(こごしょ)」です。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。
鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は武家との対面や儀式の場として使用されました。明治維新の際に、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。
小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。
その前には綺麗な日本庭園の「御池庭」が広がっています。1606年(慶長11年)に造営が始まり、数多くの名園を作庭した小堀遠州も関わったとされています。
次が「御学問所(おがくもんじょ)」で、御修学時の所作が人形で再現されてました。儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。
1613年(慶長18年)に清涼殿から独立して建てられた御殿で、御読書始や和歌の会なとが行われた。1867年(慶応3年)に、明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられました。
このあと、さらに北側に進むと御常御殿が見えてきますが、御池庭の北端の「長押門(なげしもん)」をくぐります。
御常御殿の前に広がる「御内庭(ごないてい)」です。"流れの庭"とも呼ばれ、鑓水を中心に、その流れに沿って築山・飛石・四季の植栽が続きます。
参観コースは、ここまでで「御涼所(おすずみしょ)」と、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室「聴雪(ちょうせつ)」があるそうです。一般には公開されませんが・・・。
「京都御所 宮廷文化の紹介」の期間は、令和3年4月7日(水)から4月11日(日)でした。入門時間は、午前9時から午後4時20分まで。参観者は、清所門参入し、順路に従って展示物等を参観の上、清所門から退出することに。 展示品は、御学問所襖絵、牛車、「儲君親王御読書始之儀」の人形による再現でしたね。つづく。
【京都御所】
「京都御苑 中立売駐車場」に、9時3分に車を入れてみると止まっている車の数が少ないと感じました。
参観入口は「清所門」です。普段は、ここから入りますが「宮廷文化の紹介」では、この前に臨時のテントが設置され、ここで整理券を貰います。多分、密を防止するためでしょう、でも見た所ガラガラのようですが・・・。
「清所門」では、皇宮警察から手荷物検査を受けます。私は手ぶらでしたが家族が鞄を持っていたので、中を覗かれる程度です。検査が済んだら入って行きます。
最初に展示されていたのは、「御学問所下段の間」の「岳陽楼図襖絵」でした。作者は原在照筆で、中国湖南省に位置する洞庭湖と、湖の東岸に建つ岳陽楼が画かれています。
以前は、ここが参観入口だった「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。京都御所西側の門で、皇族・公卿などが出入されました。
「御車寄(おくるまよせ)」儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関です。公卿・殿上人など、限られた者だけが使用となります。
以前は、100人ぐらいの参観者が固まって、ガイドさんの話しをマイクを通して聞きましたが、こうして自由参観の方が良いですね。
次に「諸太夫の間(しょだいぶのま」 正式な用向きで参内した時の控えの所にあてられる建物で、襖の絵にちなんで格の高い順に「虎の間・岸岱筆」(右)、「鶴の間・狩野永岳筆」(中)、「桜の間・原在照筆」(左)と呼ばれる三室が並びます。
次が「新御車寄(しんみくるまよせ)」です。1915年(大正4年)に大正天皇即位礼が紫宸殿で行われる際に場所による行幸に対応する玄関として新設されたものです。
そこに「牛車(ぎっしゃ)」が展示されてました。平安時代以降、高位の人々が用いた乗りもので、輈と呼ばれる長い棒の先に牛をつなぎ、車を曳かせました。
次に「承明門(しょうめいもん)」から、奥に紫宸殿が見えています。このあと、近くで高御座を見られる筈です。
その対面にあるのが「建礼門(けんれいもん)」です。この門は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用されるため、めったに開けられません。
ここから東を見ると「建春門(けんしゅんもん)」が見えていますが、近くには行きません。望遠で撮りました。
こちらは「春興殿(しゅんこうでん)」で、1915年(大正4年)大正天皇即位礼に際し、皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたものです。
この日は「日華門(にっかもん)」が開いており、ここから紫宸殿南庭に入ります。なお、 西側の「月華門」とは相対しています。
この「京都御所 宮廷文化の紹介」では、「紫宸殿」の前まで行けます。そして殿内の「高御座」と「御帳台」を見ることができますが、さすがに遠くて良く見えません。
2019年(令和元年)10月22日、天皇陛下が即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式として、皇居の宮殿において、即位礼正殿の儀が行われました。儀式においては、宮殿の正殿松の間に高御座と御帳台が置かれて、天皇陛下が御束帯(黄櫨染御袍)をお召しになって高御座に昇られ、皇后陛下が御五衣・御唐衣・御裳をお召しになって御帳台に昇られたのち、天皇陛下からおことばがありました。
ここから出入りできませんが「月華門(げっかもん)」の側まで行けます。紫宸殿南庭の西側の門ですね。
現在「清涼殿」が工事中です。それでコースは、紫宸殿西側の工事用通路を抜けていきます。
現在「清涼殿」は、檜皮葺屋根の葺替を主とする整備工事中です。期間は2023年(令和4年)3月末となっていました。
清涼殿は、平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。
清流殿も、人形で平安貴族も模様が再現されるだけに、せっかく来てくれた家族に見て貰えなくて、工事中は残念でした。
清涼殿の工事中は、事前に調べて知ってました。このあと「紫宸殿」の北側を見て、「小御所(こごしょ)」の南側を見ながら苑路に出て来ました。
綺麗な庭園に入る前に振り向くと「宣陽殿(ぎようでん)」を撮りました。紫宸殿の東、綾綺殿の南に位置し、歴代の御物を収蔵したところ。昭和大礼の賢所((かしこどころ)大前の儀に際して、天皇・皇后がお召替え所とした。
最初に見るのは「小御所(こごしょ)」です。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。
鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は武家との対面や儀式の場として使用されました。明治維新の際に、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。
小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。
その前には綺麗な日本庭園の「御池庭」が広がっています。1606年(慶長11年)に造営が始まり、数多くの名園を作庭した小堀遠州も関わったとされています。
次が「御学問所(おがくもんじょ)」で、御修学時の所作が人形で再現されてました。儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。
1613年(慶長18年)に清涼殿から独立して建てられた御殿で、御読書始や和歌の会なとが行われた。1867年(慶応3年)に、明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられました。
このあと、さらに北側に進むと御常御殿が見えてきますが、御池庭の北端の「長押門(なげしもん)」をくぐります。
御常御殿の前に広がる「御内庭(ごないてい)」です。"流れの庭"とも呼ばれ、鑓水を中心に、その流れに沿って築山・飛石・四季の植栽が続きます。
参観コースは、ここまでで「御涼所(おすずみしょ)」と、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室「聴雪(ちょうせつ)」があるそうです。一般には公開されませんが・・・。
「京都御所 宮廷文化の紹介」の期間は、令和3年4月7日(水)から4月11日(日)でした。入門時間は、午前9時から午後4時20分まで。参観者は、清所門参入し、順路に従って展示物等を参観の上、清所門から退出することに。 展示品は、御学問所襖絵、牛車、「儲君親王御読書始之儀」の人形による再現でしたね。つづく。
【京都御所】
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