重森三玲氏が晩年に作庭した庭園が残る松尾大社「神苑」へ
テレビでは4月29日(木・祝)からGWに入ったと報道してますが、休みを取らない限りカレンダー通りの休みが多いかと思ってました。報道の通りでは連休2日目の4月30日(金)に、松尾大社に行ってみると予想外に人が多いことに気がついた次第です。京都府に緊急事態宣言が出ているので、嵐山の市営駐車場は閉鎖されとおり、行きに嵐山を通ってきましたが随分、空いてましたが、普段閑散としている松尾大社に人が多かったことは意外でしたね。
9時50分に松尾大社の駐車場に車を入れましたが、以外にも多くの車が止まってました。平日の、この時間では空いてる筈でしたが・・・。
ここに来たのは4月12日(月)に、境内に咲き誇る山吹を見に来て以来です。ただ山吹は完全に終わってました。
今日は、松尾大社近くの和菓子屋さんに「京おはぎ」を買いに来たわけで、その前に、ここの神苑を見てみようと来て見ると・・・。
今日は「そうだ 京都、行こう。」の優待券を使いました。500円のところ団体料金の350円で入れます。
平日のこの時間なら、神苑には誰も居ない筈です。サツキが咲く頃なら別ですが、今日は違ってました。
この庭園は、昭和の名作庭家で巨匠の重森三玲氏の晩年の作品です。最初に見るのは「曲水の庭(平安風)」と名付けられた優雅で華麗な庭園です。
曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。
昨日の4月29日は、一日中雨降りで、約1ケ月に降る降水量が昨日、一日で記録するほどでした。そのためかどうか分かりませんが、神職さんが庭の手入れされてました。それと、私が入ると次々と入って来られます。それも3組も・・・やっぱり今日は連休中だったんですね。
「神像館」は、新型コロナウイルスの感染予防のため長らく閉鎖されてましたが、今日は開いてました。ただ、私一人だったらゆっくり見たんですが、狭い空間に他に人が居たので、さっと見て出て来ました。
「神像館」を出て、「曲水の庭(平安風)」から頭をぶつけないように注意しながらくぐると、次の庭園が見えます。
先程の庭園と趣が異なる「上古(じょうこ)の庭(磐座風)」で、切り立った岩が特徴ですね。
上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。
「上古の庭」の庭を見たら、次に出口に向かいます。庭の北側の通路を通りますが、途中に「紫陽花苑」の入口がありました。2017年(平成29年)の台風被害により拝観停止されてますが、今年再開あるのかなぁ?。
「神像館」の裏手には、「磐座登拝」の入口があり必ず許可が必要です。そのため「お祓い所」もあります。一度、山頂近くの巨大な岩石を見てみたいですね。
庭園から出てくると、そこには霊泉「亀の井」があって、名水が湧き出ています。今日もペットボトル持参で汲みに来られてました。
松尾大社の神苑は、あと一つあります。少し離れているので歩いて向かう途中に、4月12日には見事な山吹を見られた「一ノ井川」を通りました。しかし山吹は散ってます。
松尾大社には、「曲水の庭」や「上古の庭」の他に、有料エリアから少し離れた所に「蓬莱の庭」があって、最後にやって来ました。
この「蓬莱の庭」を一周しました。この庭園は重森三玲氏の遺作で、長男の重森完途(しげもり かんと)氏が完成させました。
蓬莱とは不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想は鎌倉時代に最も流向し、作庭技術にも採用されました。鎌倉幕府初代将軍源頼朝は、松尾大社に対し神馬十頭・黄金百両を献じて深い尊信の念を奉げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治まで続きました。この庭は、その鎌倉期に代表される回遊式庭園をとり入れたもので、全体が羽根を広げた鶴の形をしています。池泉の周囲を巡り、池に浮かぶ島々を眺めて、もしも自ら仙界に遊ぶ境地に到達したなら、鑑賞者の心と作庭家の心とが、その時こそ一致した時だと思います。
ここでは「鯉の餌」を、一袋100円で売ってます。それで餌をやってみると、こんな風に猛烈な勢いで餌を食べてくれました。普段、餌やりをやってないのかなぁ・・・と、思ってしまいます。
古来、「鯉」は「亀」とともに、松尾大神様の「神使」として尊ばれてました。その縁で、「蓬莱の庭」は、多くの鯉が放生されてます。看板には「皆様の芳心にて餌をお供え下さい」とありました。それで鯉の餌をやったりして少し長居をしてましたが、先の庭園に入った来た人達が誰も来られませんでした。まさか知らなかった・・・と言うことかなぁ?。
「蓬莱の庭」から、楼門前を通って駐車場に10時30分頃に戻って来ました。その前に「西利の漬物店」には寄りましたが。
ここから駐車場には戻らず、今日来た目的である和菓子屋さんに向かいました。余談ですが、松尾大社の読みは、"まつおたいしゃ"ではなく"まつのうたいしゃ"と言います。
【松尾大社】
9時50分に松尾大社の駐車場に車を入れましたが、以外にも多くの車が止まってました。平日の、この時間では空いてる筈でしたが・・・。
ここに来たのは4月12日(月)に、境内に咲き誇る山吹を見に来て以来です。ただ山吹は完全に終わってました。
今日は、松尾大社近くの和菓子屋さんに「京おはぎ」を買いに来たわけで、その前に、ここの神苑を見てみようと来て見ると・・・。
今日は「そうだ 京都、行こう。」の優待券を使いました。500円のところ団体料金の350円で入れます。
平日のこの時間なら、神苑には誰も居ない筈です。サツキが咲く頃なら別ですが、今日は違ってました。
この庭園は、昭和の名作庭家で巨匠の重森三玲氏の晩年の作品です。最初に見るのは「曲水の庭(平安風)」と名付けられた優雅で華麗な庭園です。
曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。
昨日の4月29日は、一日中雨降りで、約1ケ月に降る降水量が昨日、一日で記録するほどでした。そのためかどうか分かりませんが、神職さんが庭の手入れされてました。それと、私が入ると次々と入って来られます。それも3組も・・・やっぱり今日は連休中だったんですね。
「神像館」は、新型コロナウイルスの感染予防のため長らく閉鎖されてましたが、今日は開いてました。ただ、私一人だったらゆっくり見たんですが、狭い空間に他に人が居たので、さっと見て出て来ました。
「神像館」を出て、「曲水の庭(平安風)」から頭をぶつけないように注意しながらくぐると、次の庭園が見えます。
先程の庭園と趣が異なる「上古(じょうこ)の庭(磐座風)」で、切り立った岩が特徴ですね。
上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。
「上古の庭」の庭を見たら、次に出口に向かいます。庭の北側の通路を通りますが、途中に「紫陽花苑」の入口がありました。2017年(平成29年)の台風被害により拝観停止されてますが、今年再開あるのかなぁ?。
「神像館」の裏手には、「磐座登拝」の入口があり必ず許可が必要です。そのため「お祓い所」もあります。一度、山頂近くの巨大な岩石を見てみたいですね。
庭園から出てくると、そこには霊泉「亀の井」があって、名水が湧き出ています。今日もペットボトル持参で汲みに来られてました。
松尾大社の神苑は、あと一つあります。少し離れているので歩いて向かう途中に、4月12日には見事な山吹を見られた「一ノ井川」を通りました。しかし山吹は散ってます。
松尾大社には、「曲水の庭」や「上古の庭」の他に、有料エリアから少し離れた所に「蓬莱の庭」があって、最後にやって来ました。
この「蓬莱の庭」を一周しました。この庭園は重森三玲氏の遺作で、長男の重森完途(しげもり かんと)氏が完成させました。
蓬莱とは不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想は鎌倉時代に最も流向し、作庭技術にも採用されました。鎌倉幕府初代将軍源頼朝は、松尾大社に対し神馬十頭・黄金百両を献じて深い尊信の念を奉げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治まで続きました。この庭は、その鎌倉期に代表される回遊式庭園をとり入れたもので、全体が羽根を広げた鶴の形をしています。池泉の周囲を巡り、池に浮かぶ島々を眺めて、もしも自ら仙界に遊ぶ境地に到達したなら、鑑賞者の心と作庭家の心とが、その時こそ一致した時だと思います。
ここでは「鯉の餌」を、一袋100円で売ってます。それで餌をやってみると、こんな風に猛烈な勢いで餌を食べてくれました。普段、餌やりをやってないのかなぁ・・・と、思ってしまいます。
古来、「鯉」は「亀」とともに、松尾大神様の「神使」として尊ばれてました。その縁で、「蓬莱の庭」は、多くの鯉が放生されてます。看板には「皆様の芳心にて餌をお供え下さい」とありました。それで鯉の餌をやったりして少し長居をしてましたが、先の庭園に入った来た人達が誰も来られませんでした。まさか知らなかった・・・と言うことかなぁ?。
「蓬莱の庭」から、楼門前を通って駐車場に10時30分頃に戻って来ました。その前に「西利の漬物店」には寄りましたが。
ここから駐車場には戻らず、今日来た目的である和菓子屋さんに向かいました。余談ですが、松尾大社の読みは、"まつおたいしゃ"ではなく"まつのうたいしゃ"と言います。
【松尾大社】
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