京都府亀岡市にある紅葉の名所 鍬山神社へ
6月16日(水)は、朝から雨模様でした。梅雨入りしているので仕方ないかも知れませんが、梅雨前線は南海上に留まったままで、この日の雨は、寒気の居座りによる大気の不安定さによるものです。この一週間、週間天気予報が出た7日前からずっと注目していました。と言うのも、この日は京都府亀岡市にある湯ノ花温泉を予約していたからです。それが日々変わるんですね、晴れになったり、雨になったり、またまた晴れになったりして、梅雨時の予報は難しいと気象予報士さんが言ってましたが、その通りでした。残念ながら当日は止み間の無い雨降りでした。
自宅を13時過ぎに出発し、国道9号線を北に進むと沓掛の交差点で京都縦貫自動車道の入口がありますが、そのまま国道を進み老ノ坂を越えます。この頃から雨が止みました。西側には強い雨のエリアがあるので、少しばかり雨が上がるのでしょう。それで旅館に直行の予定を変更し、下矢田の交差点を右折し、府道6号線を南下し13時38分頃に到着したのは鍬山神社(くわやまじんじゃ)で、ここには2017年(平成29年)5月12日に来て以来2度目の訪問です。
ここに来た目的は「茅の輪くぐり」をしたかったからです。ただ、残念ながら、まだ設置はされてませんでした。
雨降りのあと、蚊も多そうで「手水」には近づきませんでした。柄杓はコロナ感染対策で撤去されています。
雨はポツポツ程度でしたが、家族は車に置いたままです。私だけ本殿に向かいました。
山中ではありませんが、市内地から離れているので誰も居ないだろうと思っていたら、二人の方が三脚で写真を撮りに来られてました。意外でしたね。
一度来ているので、左側が本殿であることを知ってました。「鍬山宮(主神)」の御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主命(大国主神)に同じで、京都府登録有形文化財に指定されています。
右側が「八幡宮」で、御祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと・第15代応神天皇)。鍬山宮と同時期の1814年(文化11年)の造営とありました。
709年(和銅2年)に建てられた神社で、鍬山大明神とも矢田神社とも呼ばれている。昔このあたり一帯が泥湖であったのを、祭神の大己貴命が鍬で請田峡を切り開いて水を流し耕作田として民に穫りをあたえた。そのことに感謝した住民が鍬山大明神として祀ったのが起こりと伝えられており、紅葉の名所としても知られている。
お参りを済ませて、ここから車に戻るつもりでしたが、雨に濡れたモミジの奥に行ってみることに・・・蚊も怖いけど。
その奥には心字池があって、突き出た所には「辨財天社」があります。案内版には「厳島神社」とありましたが、祭神は市杵島姫命とありましたが・・・?。
濡れた葉っぱを除けながら、さらに奥に進みましたが何も無かったです。ここは紅葉の名所だけに綺麗な青モミジが綺麗でした。
蚊も多そうで、急いで来た道を戻りました。「拝殿」前まで戻ってくると、正面に「神輿庫」がありました。近くまでは行きませんでしたが・・・。
最初にくぐった鳥居の方に降りて行くと、「社務所」がありましたが、前に御朱印を貰っているので、ここはスルー。そして次に末社巡りです。
最初は、小さな社殿が屋根に覆われた神社から。右から「熊野神社(豊宇気大神、伊弉諾尊、天児屋根命)」、「日吉神社(大山咋神)」、「高樹(たかぎ)神社」(山雷大神)」、「樫船(かしぶね)神社(猿田彦命)」、「金山(かなやま)神社(金山姫命)」でした。
その右隣が「稲荷神社」で、御祭神が、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)。「疱瘡神社」の御祭神が大国主命で、医療の神様だそうです。
次ぎに、「安産石」です。天岡山トンネル(鍬山神社の西にある京都縦貫道内にあるトンネル)を開通させた時に拾った貫通石で、この石に触って、お祈りすると、無事に出産できると伝えられています。
少し離れた所に「愛宕神社」があって、御祭神は、火産霊神(ほむすびのかみ)でした。愛宕神社は古くより火伏・防火に霊験あらたかです。
右が「天満宮」で、御祭神は菅原道真。学問の神・雷神ですね、1710年(正徳元年)に勧請により建立されました。
車を駐車場に置いたまま、さらに奥に行ってみます。そこには「百大夫(ひゃくたゆう)神社」があって、御祭神は豊磐間戸命(とよいわまどのもこと)、櫛磐間戸命(くしいわまどのもこと)、猿田彦命でした。
最後の末社まで来たので、府道6号線沿いにある鳥居まで来てしまいました。
家族は、蒸し暑かったようで車の窓を開けて待っててくれました。そのため蚊に刺されたようで申し訳なかったです。ここから慌てて戻り車を出しました。なお、鍬山神社は、境内自由拝観ですが、紅葉時には、境内に入るのに有料となります。
【鍬山神社】
自宅を13時過ぎに出発し、国道9号線を北に進むと沓掛の交差点で京都縦貫自動車道の入口がありますが、そのまま国道を進み老ノ坂を越えます。この頃から雨が止みました。西側には強い雨のエリアがあるので、少しばかり雨が上がるのでしょう。それで旅館に直行の予定を変更し、下矢田の交差点を右折し、府道6号線を南下し13時38分頃に到着したのは鍬山神社(くわやまじんじゃ)で、ここには2017年(平成29年)5月12日に来て以来2度目の訪問です。
ここに来た目的は「茅の輪くぐり」をしたかったからです。ただ、残念ながら、まだ設置はされてませんでした。
雨降りのあと、蚊も多そうで「手水」には近づきませんでした。柄杓はコロナ感染対策で撤去されています。
雨はポツポツ程度でしたが、家族は車に置いたままです。私だけ本殿に向かいました。
山中ではありませんが、市内地から離れているので誰も居ないだろうと思っていたら、二人の方が三脚で写真を撮りに来られてました。意外でしたね。
一度来ているので、左側が本殿であることを知ってました。「鍬山宮(主神)」の御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主命(大国主神)に同じで、京都府登録有形文化財に指定されています。
右側が「八幡宮」で、御祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと・第15代応神天皇)。鍬山宮と同時期の1814年(文化11年)の造営とありました。
709年(和銅2年)に建てられた神社で、鍬山大明神とも矢田神社とも呼ばれている。昔このあたり一帯が泥湖であったのを、祭神の大己貴命が鍬で請田峡を切り開いて水を流し耕作田として民に穫りをあたえた。そのことに感謝した住民が鍬山大明神として祀ったのが起こりと伝えられており、紅葉の名所としても知られている。
お参りを済ませて、ここから車に戻るつもりでしたが、雨に濡れたモミジの奥に行ってみることに・・・蚊も怖いけど。
その奥には心字池があって、突き出た所には「辨財天社」があります。案内版には「厳島神社」とありましたが、祭神は市杵島姫命とありましたが・・・?。
濡れた葉っぱを除けながら、さらに奥に進みましたが何も無かったです。ここは紅葉の名所だけに綺麗な青モミジが綺麗でした。
蚊も多そうで、急いで来た道を戻りました。「拝殿」前まで戻ってくると、正面に「神輿庫」がありました。近くまでは行きませんでしたが・・・。
最初にくぐった鳥居の方に降りて行くと、「社務所」がありましたが、前に御朱印を貰っているので、ここはスルー。そして次に末社巡りです。
最初は、小さな社殿が屋根に覆われた神社から。右から「熊野神社(豊宇気大神、伊弉諾尊、天児屋根命)」、「日吉神社(大山咋神)」、「高樹(たかぎ)神社」(山雷大神)」、「樫船(かしぶね)神社(猿田彦命)」、「金山(かなやま)神社(金山姫命)」でした。
その右隣が「稲荷神社」で、御祭神が、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)。「疱瘡神社」の御祭神が大国主命で、医療の神様だそうです。
次ぎに、「安産石」です。天岡山トンネル(鍬山神社の西にある京都縦貫道内にあるトンネル)を開通させた時に拾った貫通石で、この石に触って、お祈りすると、無事に出産できると伝えられています。
少し離れた所に「愛宕神社」があって、御祭神は、火産霊神(ほむすびのかみ)でした。愛宕神社は古くより火伏・防火に霊験あらたかです。
右が「天満宮」で、御祭神は菅原道真。学問の神・雷神ですね、1710年(正徳元年)に勧請により建立されました。
車を駐車場に置いたまま、さらに奥に行ってみます。そこには「百大夫(ひゃくたゆう)神社」があって、御祭神は豊磐間戸命(とよいわまどのもこと)、櫛磐間戸命(くしいわまどのもこと)、猿田彦命でした。
最後の末社まで来たので、府道6号線沿いにある鳥居まで来てしまいました。
家族は、蒸し暑かったようで車の窓を開けて待っててくれました。そのため蚊に刺されたようで申し訳なかったです。ここから慌てて戻り車を出しました。なお、鍬山神社は、境内自由拝観ですが、紅葉時には、境内に入るのに有料となります。
【鍬山神社】
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