細川頼之公の建立の「竹の寺 地蔵院」へ
6月28日(月)は、2004年(平成16年)9月28日以来、遠ざかっていた西芳寺(苔寺)を予約してました。案内では10時30分開門とありましたが、ギリギリに行けない性格のため、近くのコインパーキングに10時に入ったしまったで、約30分時間が空きました。苔寺の門前と待つか、それとも何処かに行くか・・・で、最も近い鈴虫寺は説法があるので20分で出てくるのは無理。それなら、少し距離は離れていますが、こちらも2010年(平成22年)5月29日以来、来られて無かった「地蔵寺(竹の寺)」に行くことにしました。
「竹の寺 地蔵院」には、2010年(平成22年)5月29日以来、来ていません。それで時間が無いのは分かってましたが、急遽行ってみることにしました。
苔寺付近のコインパーキングを出て、直ぐの看板から「総門」まで、約4分かかりました。甲板には200㍍とありましたが、けっこう時間・・・かかりましたね。
総門を入って左手に「拝観受付所」があって、拝観料500円を納めます。この門を潜ると1組2名が出て来られました。
受付を済ませると、参道の左右が竹林です。そのまま真っ直ぐな参道を進むと正面に「本堂(地蔵堂)」が見えて来ます。
1367年(貞治6年)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院で、勧請開山は夢窓国師。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもあるり、境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称される。参道では頭上より竹林にモミジ、足下は苔の絨毯がひろがり、初夏の新緑、秋の紅葉が楽しめます。
この本堂は地蔵堂とよばれ、1935年(昭和10年)の再建です。堂内中央には伝教大師の作と伝わる本尊の「延命安産地蔵菩薩像」を右脇に開山の「夢想国師像」「宗鏡禅師」、左脇に開基「細川頼之公像」を安置。
「本堂(地蔵堂)」の右奥には、入口の全景図には「鎮守堂」とありましたが、扁額には「開福稲荷大明神」とありました。
次に庭園入口にある「中門」を入ります。以前(2010年(平成22年)5月29日)は、ここから撮影禁止と書いてありましたが、その看板が無くなっていましたね・・・それなら、この先、写真を撮りまくります。
中門をくぐると正面が庫裏です。その庫裏の左に門があるので、そこから「方丈」に上がります。
ここに来るまで3名とすれ違いましたが、方丈には誰も居ませんでした。以前は撮影できなかった「十六羅漢の庭」と呼ばれる庭園を撮って行きます。
十六羅漢の庭は、地蔵院の第2世宗鏡禅師の作と言われ、平庭式枯山水庭園です。十六羅漢の修行の姿を表したもので、石の一つ一つは羅漢を意味している。羅漢とは正しくは阿羅漢といい、知恵の力を以て煩悩(悩み)を害し正覚に達すると、または知恵を得て悟りを開いて世人から供養を受けるに足りる聖者をいう。ここの羅漢は男山の八幡宮に願いをかけているので、その方向に傾いている。
「杉苔」に十六羅漢を表した自然石が並んでいます。また、名椿「胡蝶侘助」や「五葉の松」など自然豊かな庭園ですね。
この写真は、方丈を出るとき苑路から撮ったものです。案内版から京都市登録名勝庭園に指定されてるようです。
次に方丈内を見て行きます。表の看板にあるように、元総理大臣・細川護煕氏の襖絵が公開されているはずです。
方丈には、毘沙門天像が祀られていましたが、暗くて見えないです。2010年(平成22年)5月29日から来て無いので方丈内の記憶はまったくありません。
こちらが開基・頼之公の子孫である細川護煕元首相が地蔵院に奉納した襖絵「瀟湘(しょうしょう)八景の図」で、期間限定で見られました。
こちらも期間限定で公開された、茶室の「猪目(いのめ)窓」です。屏風図は「細川ガラシャ夫人殉節之経」で、幸野義画伯奉納と書いてありました。
ここの境内が広いので、方丈内には5分程度で出て行きました。時計は10時13分になってましたね、時間がありません・・・。
急いで中門まで戻ると、左手に「開運辨財天」がありました。そしてさらに急ぎます。
時間があれば「本堂」の左側にある、開基・細川頼之公の墓に寄ったですが、残念ながら先を急ぎました。
本堂前には、「細川頼之公の碑」があって、細川潤次郎氏が1891年(明治24年)2月に建立したものです。頼之公の功績が詳しく書かれているとありましたが、確認する時間がありません。
10時16分に「総門」まで戻って来ました。予定時間よりオーバーですが、今度はゆっくり拝観したいです。
この「竹の寺 地蔵院」には、駐車場があります。数台止められそうで、帰りに確認しました。ただ、道路は狭いですね。
ここから急いで、元の看板まで戻りましたが10時20分を少し回ってしまいました。ここから苔寺まで数分はかかるので、開門ギリギリになりそうです。
【竹の寺 地蔵院】
「竹の寺 地蔵院」には、2010年(平成22年)5月29日以来、来ていません。それで時間が無いのは分かってましたが、急遽行ってみることにしました。
苔寺付近のコインパーキングを出て、直ぐの看板から「総門」まで、約4分かかりました。甲板には200㍍とありましたが、けっこう時間・・・かかりましたね。
総門を入って左手に「拝観受付所」があって、拝観料500円を納めます。この門を潜ると1組2名が出て来られました。
受付を済ませると、参道の左右が竹林です。そのまま真っ直ぐな参道を進むと正面に「本堂(地蔵堂)」が見えて来ます。
1367年(貞治6年)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院で、勧請開山は夢窓国師。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもあるり、境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称される。参道では頭上より竹林にモミジ、足下は苔の絨毯がひろがり、初夏の新緑、秋の紅葉が楽しめます。
この本堂は地蔵堂とよばれ、1935年(昭和10年)の再建です。堂内中央には伝教大師の作と伝わる本尊の「延命安産地蔵菩薩像」を右脇に開山の「夢想国師像」「宗鏡禅師」、左脇に開基「細川頼之公像」を安置。
「本堂(地蔵堂)」の右奥には、入口の全景図には「鎮守堂」とありましたが、扁額には「開福稲荷大明神」とありました。
次に庭園入口にある「中門」を入ります。以前(2010年(平成22年)5月29日)は、ここから撮影禁止と書いてありましたが、その看板が無くなっていましたね・・・それなら、この先、写真を撮りまくります。
中門をくぐると正面が庫裏です。その庫裏の左に門があるので、そこから「方丈」に上がります。
ここに来るまで3名とすれ違いましたが、方丈には誰も居ませんでした。以前は撮影できなかった「十六羅漢の庭」と呼ばれる庭園を撮って行きます。
十六羅漢の庭は、地蔵院の第2世宗鏡禅師の作と言われ、平庭式枯山水庭園です。十六羅漢の修行の姿を表したもので、石の一つ一つは羅漢を意味している。羅漢とは正しくは阿羅漢といい、知恵の力を以て煩悩(悩み)を害し正覚に達すると、または知恵を得て悟りを開いて世人から供養を受けるに足りる聖者をいう。ここの羅漢は男山の八幡宮に願いをかけているので、その方向に傾いている。
「杉苔」に十六羅漢を表した自然石が並んでいます。また、名椿「胡蝶侘助」や「五葉の松」など自然豊かな庭園ですね。
この写真は、方丈を出るとき苑路から撮ったものです。案内版から京都市登録名勝庭園に指定されてるようです。
次に方丈内を見て行きます。表の看板にあるように、元総理大臣・細川護煕氏の襖絵が公開されているはずです。
方丈には、毘沙門天像が祀られていましたが、暗くて見えないです。2010年(平成22年)5月29日から来て無いので方丈内の記憶はまったくありません。
こちらが開基・頼之公の子孫である細川護煕元首相が地蔵院に奉納した襖絵「瀟湘(しょうしょう)八景の図」で、期間限定で見られました。
こちらも期間限定で公開された、茶室の「猪目(いのめ)窓」です。屏風図は「細川ガラシャ夫人殉節之経」で、幸野義画伯奉納と書いてありました。
ここの境内が広いので、方丈内には5分程度で出て行きました。時計は10時13分になってましたね、時間がありません・・・。
急いで中門まで戻ると、左手に「開運辨財天」がありました。そしてさらに急ぎます。
時間があれば「本堂」の左側にある、開基・細川頼之公の墓に寄ったですが、残念ながら先を急ぎました。
本堂前には、「細川頼之公の碑」があって、細川潤次郎氏が1891年(明治24年)2月に建立したものです。頼之公の功績が詳しく書かれているとありましたが、確認する時間がありません。
10時16分に「総門」まで戻って来ました。予定時間よりオーバーですが、今度はゆっくり拝観したいです。
この「竹の寺 地蔵院」には、駐車場があります。数台止められそうで、帰りに確認しました。ただ、道路は狭いですね。
ここから急いで、元の看板まで戻りましたが10時20分を少し回ってしまいました。ここから苔寺まで数分はかかるので、開門ギリギリになりそうです。
【竹の寺 地蔵院】
この記事へのコメント