NHK大河ドラマ「青天を衝け」で登場する三條實美公を祀る梨木神社
NHK大河ドラマ「青天を衝け」での主人公は渋沢栄一ですが、京の公家のなかに金井勇太(かないゆうた)さんが演じる三條實美(さんじょうさねとみ)が出てきます。その三條實美公を祀る神社が梨木神社で、廬山寺の向かいです。帰りに寺町通りを渡ったので、そのまま梨木神社の境内に入りました。
寺町通りにから入ったので、参道は「神門」の前でした。そこから手水舎に戻ることも考えましたが、少し訳があってそのままくぐります。
神門の正面が「拝殿」です。雨が降っているのでお参りに来られている方は居ませんが、手水舎には人が並ばれていますが・・・?。
拝殿の西側には石碑があって、以前より文字が見やすくなってます。「天壌無窮の碑」で、三條實萬(さんじょうさねつむ)公が皇室の弥栄(いやさか)を祈念して刻んだもの。
ここは萩で有名な神社で、境内の至る所に萩が植わってます。「本殿」前もそうでしたが、雨で服が濡れそうなので、少し離れた所からお参りさせて貰いました。
御祭神は、明治維新の大事業に貢献し明治以降の日本の礎を築いた、三條實萬(さんじょうさねつむ)公と三條實美(さんじょうさねとみ)公の二柱が祀られています。
1885年(明治18年)久邇宮朝彦親王の綸旨により、幕末に王政復古の大号令を唱え、明治維新の原動力なった三條實美公の功績を称えて創建されました。1915年(大正4年)實美公の御子・實萬公を合祀せよと勅命が下り、翌年に合祀祭が齊行されました。
次に「手水舎」ですが、先に御神木「愛の木」を撮りました。葉っぱがハートの形をしているので、愛の木と呼ばれているとか。
こちらの「手水舎」は、名水の「染井」と呼ばれ茶の湯に適していると言われています。今日、ペットボトルで汲みに来られていたので待ちました。この湧き水は千年以上湧き続けていると言われています。
梨木神社の境内は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(ふじわらのあきらけいこ)(清和天皇の御母染殿皇后)の里御所址で、宮中御用の染所として染井の水が用いられたと言われています。京の三名水(佐女牛井・縣井・染井)のうち現存する唯一の名水として知られてる。
参道の南には、梨木神社が建てられたマンションが建っています。今日は寄りませんが右手に「授与所」があって、御朱印などはこちらでいただけます。
「授与所」から「神門」を見ています。参道の両脇には、萩が植わっており時期が来たら綺麗に咲き誇るので有名です。
「二の鳥居」の足元には、日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士の歌碑があります。「千年の昔の園も かくやありし 木の下かげに乱れさく萩」と書かれています。
マンション側から「二の鳥居」を撮りました。ここから「一の鳥居」に行くには、マンションを迂回していきます。
その足元には、もう一つ石碑がありました。上田秋成は、江戸末期の歌人・茶人として知られ“雨月物語”が有名です。晩年を過ごした邸宅がこの近くにあった縁で石碑が建てられました。「ふみよめば 絵を巻きみれば かにかくに 昔の人のしのばるる」と書かれています。
マンションを迂回して「一の鳥居」を撮りました。景観的には残念ですが、神社がされたことなので仕方ないですね。
9時28分京都御所の「清和門」を入りました。予定の9時30分には間に合わないのは決定的ですが、タクシーに乗らず歩いて向かうことにしました。
三條實美(さんじょうさねとみ公は、攘夷派の公家。長州藩の尊攘派と手を結び、攘夷祈願のための孝明天皇の行幸計画を主導するが失敗。中川宮らが主導した8月18日の政変で京都から追放され、長州へと逃れることになる。明治維新後、官位が戻され、明治新政府の議定に岩倉具視と共に就任する。
ここから汗だくになって戻りました。結局雨は止みませんでしたが、家族と帰る頃には雨は止み晴れてきました。やっぱり雨男なんでしょうか。
【梨木神社】
寺町通りにから入ったので、参道は「神門」の前でした。そこから手水舎に戻ることも考えましたが、少し訳があってそのままくぐります。
神門の正面が「拝殿」です。雨が降っているのでお参りに来られている方は居ませんが、手水舎には人が並ばれていますが・・・?。
拝殿の西側には石碑があって、以前より文字が見やすくなってます。「天壌無窮の碑」で、三條實萬(さんじょうさねつむ)公が皇室の弥栄(いやさか)を祈念して刻んだもの。
ここは萩で有名な神社で、境内の至る所に萩が植わってます。「本殿」前もそうでしたが、雨で服が濡れそうなので、少し離れた所からお参りさせて貰いました。
御祭神は、明治維新の大事業に貢献し明治以降の日本の礎を築いた、三條實萬(さんじょうさねつむ)公と三條實美(さんじょうさねとみ)公の二柱が祀られています。
1885年(明治18年)久邇宮朝彦親王の綸旨により、幕末に王政復古の大号令を唱え、明治維新の原動力なった三條實美公の功績を称えて創建されました。1915年(大正4年)實美公の御子・實萬公を合祀せよと勅命が下り、翌年に合祀祭が齊行されました。
次に「手水舎」ですが、先に御神木「愛の木」を撮りました。葉っぱがハートの形をしているので、愛の木と呼ばれているとか。
こちらの「手水舎」は、名水の「染井」と呼ばれ茶の湯に適していると言われています。今日、ペットボトルで汲みに来られていたので待ちました。この湧き水は千年以上湧き続けていると言われています。
梨木神社の境内は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(ふじわらのあきらけいこ)(清和天皇の御母染殿皇后)の里御所址で、宮中御用の染所として染井の水が用いられたと言われています。京の三名水(佐女牛井・縣井・染井)のうち現存する唯一の名水として知られてる。
参道の南には、梨木神社が建てられたマンションが建っています。今日は寄りませんが右手に「授与所」があって、御朱印などはこちらでいただけます。
「授与所」から「神門」を見ています。参道の両脇には、萩が植わっており時期が来たら綺麗に咲き誇るので有名です。
「二の鳥居」の足元には、日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士の歌碑があります。「千年の昔の園も かくやありし 木の下かげに乱れさく萩」と書かれています。
マンション側から「二の鳥居」を撮りました。ここから「一の鳥居」に行くには、マンションを迂回していきます。
その足元には、もう一つ石碑がありました。上田秋成は、江戸末期の歌人・茶人として知られ“雨月物語”が有名です。晩年を過ごした邸宅がこの近くにあった縁で石碑が建てられました。「ふみよめば 絵を巻きみれば かにかくに 昔の人のしのばるる」と書かれています。
マンションを迂回して「一の鳥居」を撮りました。景観的には残念ですが、神社がされたことなので仕方ないですね。
9時28分京都御所の「清和門」を入りました。予定の9時30分には間に合わないのは決定的ですが、タクシーに乗らず歩いて向かうことにしました。
三條實美(さんじょうさねとみ公は、攘夷派の公家。長州藩の尊攘派と手を結び、攘夷祈願のための孝明天皇の行幸計画を主導するが失敗。中川宮らが主導した8月18日の政変で京都から追放され、長州へと逃れることになる。明治維新後、官位が戻され、明治新政府の議定に岩倉具視と共に就任する。
ここから汗だくになって戻りました。結局雨は止みませんでしたが、家族と帰る頃には雨は止み晴れてきました。やっぱり雨男なんでしょうか。
【梨木神社】
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