平安前期の様式を伝える現存する日本最古の人工林泉「大覚寺 大沢池」へ
7月30日(金)は、通院日で帰りに大覚寺 大沢池に寄ってみました。その週の初めにファイザー製の一回目のワクチンを打って、その翌日は筋肉痛でしたが、ほぼ一日で元に戻り副反応も出なかったので、大覚寺大沢池の蓮の花を見に来た訳です。
余談ですが、京都市では接種券の送付が6月下旬・・・月末で、先ずは、かかりつけ医に電話する方式でした。かかりつけ医が無い場合は集団接種となりますが、届いた時は受付停止中でしたね。私は、かかりつけ医があるので、電話してみると「8月から9月頃になりますが宜しいでしょうか?」と案内されました。私自身、急いで打つことも無いと考えていたので、それでOKしました。それが接種日の3日前に、かかりつけ医から電話があって、「急な話で・・・」と言うことで、1回目と2回目の接種日が決まったわけです。副反応については、会社の先輩や友人から情報は仕入れてました。何人かは発熱があったけど、2日ほどで収まったと聞いていたので発熱と倦怠感だけ警戒してましたが、何も無かったです。ただ2回目は、しんどいらしいですね。余談でした。
「大沢門」から大沢池に入りますが、ここに来るまでに汗だくになりました。ここに寄らずに、真っ直ぐ帰れば良かったなぁ・・・と、少し後悔、それにしても暑い・・・。
10時過ぎに、拝観料300円を収め入りました。情報では、まだ蓮の花は早いかなぁ・・・と。でも来て見ないと分からないしね。
先ずは天神島に向かいます。前回は4月1日(金)に来ましたが、満開の桜が咲き誇っていました。
「放生池」越えの「心経宝塔」は、ビューポイントのため写真を撮りました。夏の日差しが強く大変暑いです。
天神島に入る前に、「護摩堂」に寄りました。往古の大覚寺伽藍周辺に建てられた子院の一つであった仏母心院跡に建立されたもの。時代劇の撮影で度々使われます。
次に20基を超える如来や菩薩の「石仏群」が現れます。こちらは古い物で平安時代後期から鎌倉時代中期の作と思われています。
石仏群から「天神島」に入りました。島に入ると先ずは菅原道真公が祀られている社殿でお参りです。
また、こちらの石碑には「いけばな発祥地」と、「嵯峨天皇詠碑」があって、嵯峨天皇と弘法大師空海との深い親交を物語っています。嵯峨天皇が高野山に帰っていく空海をいつまで見折っている情景を詠んだ歌だそうです。
今日は「菊ケ島」につななる「庭湖石」をじっくり見てみました。この「菊ヶ島」と「天神島」に「庭湖石」を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
この天神島の最後にこちらの石碑に寄りました。手前が「茶筅塚」「嵯峨碑」で、華道の先達への慰霊碑だそうです。
天神島を出る前に、睡蓮が咲いていたので撮りました。蓮の花は一輪だけ咲いてましたが、ここのは例年なら遅いです。
島を出て「モミジロード」ほどなく歩くと「紀友則詠碑」がありました。「ひともとと おもひし菊を おほさはの 池のそこにも たれかうえけん」と書かれています。
紀友則は平安時代の歌人であり、三十六歌仙の一人で紀貫之の従兄弟にあたりますね。その石碑前から「菊ケ島」と「庭湖石」を見ています。
次に芝生の先を歩き名勝「名古曽瀧跡」に行きました。こちらの滝は枯れていますが、旧嵯峨院の旧滝殿邸内にあって、現在は滝組だけが残っています。
ここから引き返すことも考えましたが、大沢池の一周を選択することに。暑いけど木陰では何とか凌げるように思えたから・・・。
暑い中、大沢池を眺めながら歩いていくと「臼井喜之介詠碑」がありました。「花を惜しむこころは いった何なのだろう いくつ齢をかさねたら 心はしずまり ひとり酒汲む静寂に 住むことができるのか 今日も嵯峨御所から 花信が舞ひこんできた」と書かれてました。
次の石碑は「鈴鹿野風呂詠碑」でした。「嵯峨の蟲 いにしへ人に なりて聞く」と書いてありました。
こちらから対岸を見ると「五大堂」の月見台が見えています。今年の4月1日(金)には、対岸は見事な桜が咲き誇ってました。
こちらの対岸には「心経宝塔」が見えています。先程あのエリアはスルーしましたが、帰りに寄るかどうか思案中です。
大沢池を出る手前に写真を撮りました。見ての通り蓮の花はほぼ咲いてません。少し残念ですね。
久し振りの大沢池一周の最後は「平田春一詠碑」があって、「紅を 少しのぞかせ ふっくらと 椿の蕾 只の一輪」と書いてありました。
その横には、「島田保子詠碑」があって「川田順 わが友の 平田乃大人のおもひもの」と書いてあります。大沢池は、ここまでです。
ここを進めば「大沢門」に出ます。そこから出るか、「心経宝塔」エリアに行くか・・・?。考えた結果は・・・。
暑いので、汗だくになってますが、「五社明神(ごしゃみょうじん)」に寄りました。こちらには、伊勢外宮(豊受皇大神)、伊勢内宮(天照皇大神)、八幡宮(應神天皇)、春日宮(天津兒屋根命)、住吉宮(底筒男命・表筒男命・中筒男命・神功皇后)が祀られています。離宮嵯峨院の鎮守であり、弘法大師が勧請したと伝わります。
「五社明神」を抜けて、心経宝塔エリアに入りました。ここでは今は珍しい外国人観光客がお一人、写真を撮られてましたね。
それで端から見ていくことにして、最初は「大日堂」です。洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもので、内部には石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀る。
次にお隣の「聖天堂」です。1962年(昭和37年)頃までは、「望雲亭」西側に建っていたのを移築。内部には、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀る。
最後に「閼伽堂(あかどう)」です。「紅葉のライトアップ」時には内部が解放されて見ることができました。寺伝では、弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸と伝わります。
これ以上は熱中症になりそうなので、ここで引き上げることにしました。もう、この暑さでは無理です。
ここを10時30分過ぎに出て行きました。帰えるまでに、スポーツドリンクが空になりましたが、着いてすぐに水シャワーを浴び、家でゆっくりしました。本当に暑かったです。
【大覚寺 大沢池】
余談ですが、京都市では接種券の送付が6月下旬・・・月末で、先ずは、かかりつけ医に電話する方式でした。かかりつけ医が無い場合は集団接種となりますが、届いた時は受付停止中でしたね。私は、かかりつけ医があるので、電話してみると「8月から9月頃になりますが宜しいでしょうか?」と案内されました。私自身、急いで打つことも無いと考えていたので、それでOKしました。それが接種日の3日前に、かかりつけ医から電話があって、「急な話で・・・」と言うことで、1回目と2回目の接種日が決まったわけです。副反応については、会社の先輩や友人から情報は仕入れてました。何人かは発熱があったけど、2日ほどで収まったと聞いていたので発熱と倦怠感だけ警戒してましたが、何も無かったです。ただ2回目は、しんどいらしいですね。余談でした。
「大沢門」から大沢池に入りますが、ここに来るまでに汗だくになりました。ここに寄らずに、真っ直ぐ帰れば良かったなぁ・・・と、少し後悔、それにしても暑い・・・。
10時過ぎに、拝観料300円を収め入りました。情報では、まだ蓮の花は早いかなぁ・・・と。でも来て見ないと分からないしね。
先ずは天神島に向かいます。前回は4月1日(金)に来ましたが、満開の桜が咲き誇っていました。
「放生池」越えの「心経宝塔」は、ビューポイントのため写真を撮りました。夏の日差しが強く大変暑いです。
天神島に入る前に、「護摩堂」に寄りました。往古の大覚寺伽藍周辺に建てられた子院の一つであった仏母心院跡に建立されたもの。時代劇の撮影で度々使われます。
次に20基を超える如来や菩薩の「石仏群」が現れます。こちらは古い物で平安時代後期から鎌倉時代中期の作と思われています。
石仏群から「天神島」に入りました。島に入ると先ずは菅原道真公が祀られている社殿でお参りです。
また、こちらの石碑には「いけばな発祥地」と、「嵯峨天皇詠碑」があって、嵯峨天皇と弘法大師空海との深い親交を物語っています。嵯峨天皇が高野山に帰っていく空海をいつまで見折っている情景を詠んだ歌だそうです。
今日は「菊ケ島」につななる「庭湖石」をじっくり見てみました。この「菊ヶ島」と「天神島」に「庭湖石」を加えた二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
この天神島の最後にこちらの石碑に寄りました。手前が「茶筅塚」「嵯峨碑」で、華道の先達への慰霊碑だそうです。
天神島を出る前に、睡蓮が咲いていたので撮りました。蓮の花は一輪だけ咲いてましたが、ここのは例年なら遅いです。
島を出て「モミジロード」ほどなく歩くと「紀友則詠碑」がありました。「ひともとと おもひし菊を おほさはの 池のそこにも たれかうえけん」と書かれています。
紀友則は平安時代の歌人であり、三十六歌仙の一人で紀貫之の従兄弟にあたりますね。その石碑前から「菊ケ島」と「庭湖石」を見ています。
次に芝生の先を歩き名勝「名古曽瀧跡」に行きました。こちらの滝は枯れていますが、旧嵯峨院の旧滝殿邸内にあって、現在は滝組だけが残っています。
ここから引き返すことも考えましたが、大沢池の一周を選択することに。暑いけど木陰では何とか凌げるように思えたから・・・。
暑い中、大沢池を眺めながら歩いていくと「臼井喜之介詠碑」がありました。「花を惜しむこころは いった何なのだろう いくつ齢をかさねたら 心はしずまり ひとり酒汲む静寂に 住むことができるのか 今日も嵯峨御所から 花信が舞ひこんできた」と書かれてました。
次の石碑は「鈴鹿野風呂詠碑」でした。「嵯峨の蟲 いにしへ人に なりて聞く」と書いてありました。
こちらから対岸を見ると「五大堂」の月見台が見えています。今年の4月1日(金)には、対岸は見事な桜が咲き誇ってました。
こちらの対岸には「心経宝塔」が見えています。先程あのエリアはスルーしましたが、帰りに寄るかどうか思案中です。
大沢池を出る手前に写真を撮りました。見ての通り蓮の花はほぼ咲いてません。少し残念ですね。
久し振りの大沢池一周の最後は「平田春一詠碑」があって、「紅を 少しのぞかせ ふっくらと 椿の蕾 只の一輪」と書いてありました。
その横には、「島田保子詠碑」があって「川田順 わが友の 平田乃大人のおもひもの」と書いてあります。大沢池は、ここまでです。
ここを進めば「大沢門」に出ます。そこから出るか、「心経宝塔」エリアに行くか・・・?。考えた結果は・・・。
暑いので、汗だくになってますが、「五社明神(ごしゃみょうじん)」に寄りました。こちらには、伊勢外宮(豊受皇大神)、伊勢内宮(天照皇大神)、八幡宮(應神天皇)、春日宮(天津兒屋根命)、住吉宮(底筒男命・表筒男命・中筒男命・神功皇后)が祀られています。離宮嵯峨院の鎮守であり、弘法大師が勧請したと伝わります。
「五社明神」を抜けて、心経宝塔エリアに入りました。ここでは今は珍しい外国人観光客がお一人、写真を撮られてましたね。
それで端から見ていくことにして、最初は「大日堂」です。洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもので、内部には石造の大日如来坐像(江戸時代)を祀る。
次にお隣の「聖天堂」です。1962年(昭和37年)頃までは、「望雲亭」西側に建っていたのを移築。内部には、歓喜天・十一面観世音菩薩を祀る。
最後に「閼伽堂(あかどう)」です。「紅葉のライトアップ」時には内部が解放されて見ることができました。寺伝では、弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として、弘法大師が自ら掘られた井戸と伝わります。
これ以上は熱中症になりそうなので、ここで引き上げることにしました。もう、この暑さでは無理です。
ここを10時30分過ぎに出て行きました。帰えるまでに、スポーツドリンクが空になりましたが、着いてすぐに水シャワーを浴び、家でゆっくりしました。本当に暑かったです。
【大覚寺 大沢池】
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