臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺「法堂 大庫裏」再び
今年の3月17日に、自由拝観となった妙心寺の拝観に行きましたが、その時、法堂内にある国宝「黄鐘調鐘」を見ずに帰ってしまいました
。ずっと心残りになっていたので、この日に再訪したわけです。
退蔵院を出て、真っ先に拝観受付所に向かう所、久し振りに「三門」を撮ってみました。
通常非公開ですが、2018年(平成30年)2月12日に「第52回 京の冬の旅」に登りました。写真撮影も解禁され、何枚も写真を撮ったことを思い出しました
。

こちらは「仏殿」で、ここも通常非公開です。2020年(令和2年)1月31日に「第54回 京の冬の旅」で堂内に入れました。

次が「法堂」で、三門・仏殿・法堂と一直線に並んでいます。こちらは通常拝観のコースとなっているので、のちほど堂内に入ります。

法堂の東側を通り抜けて、拝観受付所がある「大方丈玄関」をくぐります。着くと受付には誰も居なかったので、鐘を鳴らすと奥から僧侶の方が出て来られました。
僧侶の方から拝観コースの案内があります。①法堂、②大方丈、③大庫裏の順に案内されましたが、基本は何処からでも良いらしく私は大方丈から回ることにしました。








方丈内のご本尊は「阿弥陀三尊像」です。元々石清水八幡宮の奥之院に祀られていましたが、明治の神仏分離令により妙心寺で祀られるようになりました。襖絵は狩野探幽と狩野益信の筆によるもの。

大方丈の東に出て見ると、お隣の「小方丈」の屋根が見えました。これ以上は行けません。


「大方丈」を見終わったので、次に「大庫裏」に向かいます。数名の方が来られてますが、出会わないように注意してまた
。写真を撮れるのはここまでの筈でした・・・?。
大方丈の西側の廊下を進むと、大庫裏にでられます。これは前回来てるので知ってました。


前回来た時、ここは小方丈の中庭かなぁ・・・と思いましたが、今日確認してみると大方丈の北側になるので、小方丈では無かったですね。
ここから「大庫裏」に入ります。ただ、撮影禁止の文字が無くなっているので、拝観受付所で貰った案内をみると、大庫裏は写真撮影可となっていました。変更されたようで、それなら写真撮りまくります
。

入ると正面が開いていたので覗いてみました。大方丈の北側か大庫裏の北側か・・・?、分かりませんが。
大庫裏に入ってみると、随分明るくなったように思えました。3月17日に来た時も、以前より明るいなぁ・・・と思ったですが、今日は遙かに明るいです。

多分、ここから「大庫裏」ですね。上を見上げると何故か「駕籠」が吊されてます。

大庫裏に入って、廊下の上には法堂の龍図のパネルがありました。今は個人拝観ですが、団体拝観では案内があったでしょう、聞きたかったです。
2013年(平成25年)の「第47回 京の冬の旅」で初めて大庫裏が公開され、ここから出入りしたことを覚えています。
こちらは竈の焚き口でしょうね。あとで表に回り込んで見てます
。なお、こちらは現在は使われてません。

こちらは「大竈戸(おおかまど)」と呼ばれ、一番手前はお湯を沸かす釜、その奥が米や汁物、おかずを炊いた釜です。この釜で米を二斗(にとう)炊くことができたそうです。
二斗とは二合の百倍になるので一人一合として二百人分の米が炊けたことになるそうです。大きな釜で米を炊くとお焦げが出来ますが、お焦げが無駄にならないようにお湯をはり最後に香ばしい香りのお茶代わりとされました。また、この大きな釜を別の場所で洗うのは大変なので、釜はこの場所に据えたまま洗い、テコの原理でその場に水を空けていたそうです。釜側が高く、手前に向かって低く傾斜がついてます。また、板と板の間に隙間を設けて下に水が流れ落ちるようになっています。なお、釜の上の壁が波打っていますが、ここは貫材が入っており、立ち上がる水蒸気により痛まないように工夫をされています。
ここの説明文のとおり、壁が波打ってますね。理由は読んで納得しました。それにしても200人分ですか・・・凄いです。



ここから外を覘くと、大きな井戸が見えます。今は使われてないでしょうけど、かつての僧侶の生活を垣間見られました。

こちらは「小庫裏」といい、普段の生活ときに使われた竈戸があります。やはり煙突がないので立ち上がる煙は屋根の煙出しから排煙されるようになってました。この竈とは解体修理工事をした際の釜跡から復元したものです。
上の写真は、「火番部屋(こばんべや)」です。まかないの準備をする修行僧の生活スペースです。禅寺では座って半畳寝て一畳と言うので、3人から4人の修行僧が寝泊まりをしながら火の番や食事の準備をしていた部屋でした。その隣は(下の写真)土間になっているが建物のほぼ中心にあたる。年間を通して気温の変動が少ない場所なので、食料の保存場所として使用されていました。いわゆる床下収納のような役割でした。


見られる所は、これだけで出て行きました。ここから大方丈を通過して、渡り廊下を通って法堂に向かいます。
「法堂」内に入るのに、入口でチケットを見せます。ただ、いつもの警備員さんは先客の相手をされてて居ません。
堂内に入ると、狩野探幽の作「雲龍図」を目にします。、八方睨みの龍で、龍を見ながら一周しました。この龍は、お堂を火災から守るために描かれているが通例です。
そして出口付近にあるのが国宝「黄鐘調鐘」です。これを前回訪れた時に、見損ねました。それで、本日再訪したわけで、これだけを見に来たようなものです。
もとは廃寺になった浄金剛院にあったもので、698年(文武天皇2年)の作と伝わります。私がマジマジと見ていると警備員さんが近づいてきて・・・?。
「今は鐘はつけないので音は聞けませんが、以前NHKの"行く年来る年"で録音された音色がボタンを押せば聞けますよ」と教えて貰いました。そしてボタンを押すと・・・大きい音で鐘の音が聞けました。親切に案内してくれた警備員さんに感謝です
。
今日は、国宝の鐘を見に来ただけでしたが、音も聞けて、大庫裏の写真も撮ることができ、来て見て良かったです。今日は、これだけで帰りました。
【妙心寺】


退蔵院を出て、真っ先に拝観受付所に向かう所、久し振りに「三門」を撮ってみました。








僧侶の方から拝観コースの案内があります。①法堂、②大方丈、③大庫裏の順に案内されましたが、基本は何処からでも良いらしく私は大方丈から回ることにしました。

































二斗とは二合の百倍になるので一人一合として二百人分の米が炊けたことになるそうです。大きな釜で米を炊くとお焦げが出来ますが、お焦げが無駄にならないようにお湯をはり最後に香ばしい香りのお茶代わりとされました。また、この大きな釜を別の場所で洗うのは大変なので、釜はこの場所に据えたまま洗い、テコの原理でその場に水を空けていたそうです。釜側が高く、手前に向かって低く傾斜がついてます。また、板と板の間に隙間を設けて下に水が流れ落ちるようになっています。なお、釜の上の壁が波打っていますが、ここは貫材が入っており、立ち上がる水蒸気により痛まないように工夫をされています。







上の写真は、「火番部屋(こばんべや)」です。まかないの準備をする修行僧の生活スペースです。禅寺では座って半畳寝て一畳と言うので、3人から4人の修行僧が寝泊まりをしながら火の番や食事の準備をしていた部屋でした。その隣は(下の写真)土間になっているが建物のほぼ中心にあたる。年間を通して気温の変動が少ない場所なので、食料の保存場所として使用されていました。いわゆる床下収納のような役割でした。



「法堂」内に入るのに、入口でチケットを見せます。ただ、いつもの警備員さんは先客の相手をされてて居ません。

そして出口付近にあるのが国宝「黄鐘調鐘」です。これを前回訪れた時に、見損ねました。それで、本日再訪したわけで、これだけを見に来たようなものです。
もとは廃寺になった浄金剛院にあったもので、698年(文武天皇2年)の作と伝わります。私がマジマジと見ていると警備員さんが近づいてきて・・・?。
「今は鐘はつけないので音は聞けませんが、以前NHKの"行く年来る年"で録音された音色がボタンを押せば聞けますよ」と教えて貰いました。そしてボタンを押すと・・・大きい音で鐘の音が聞けました。親切に案内してくれた警備員さんに感謝です

今日は、国宝の鐘を見に来ただけでしたが、音も聞けて、大庫裏の写真も撮ることができ、来て見て良かったです。今日は、これだけで帰りました。
【妙心寺】
この記事へのコメント