京都府亀岡市湯ノ花温泉 春日神社へ
近為 亀岡工場を出たら、直ぐに湯ノ花温泉街に入ります。雨が降るなか車を走らせていると、前方に今日、宿泊する旅館の文字が見えましたが、以前から行ってみようと思っていた春日神社の石段下に車を止めました。Google ストリートビューでは、石段の途中までしか見られないので、この雨の中、かなり石段を登るようなら断念しようと考えていたところ、それほどでもないことが分かったので行って見ることにしました。
雨で足を滑らせて怪我でもしたら、何のために湯ノ花温泉まで来たのか意味が無くなるので慎重に一歩一歩石段を上がります。
当地は往古より西院街道として重要な地で1184年(元暦元年)2月には、源義経が此処をを通り「一ノ谷の戦い」に向かったもので、峠に茶屋はあったが神社は無かった。室町時代中期、1351年(正平6年・観応2年)奈良の住人、山田小三郎義正が、この地に移住し元の氏神春日大社を勧請して天児屋根命(あめのこやねのみこと)(藤原氏の祖先を祭神)として当社を創建した。山を拓き田畑を造り麓の鉱泉の湯浴等して通行人を慰めた。時恰(あたか)も足利尊氏の反乱期で傷付いた武士が全国から来て傷を癒やした。このあと、山田一族が此の神社を守り徳川中期には八基の石燈籠を奉納して崇敬した。市内でも珍しい盛況である。1694年(元禄7年)、1746年(延享3年)、1784年(天明4年)、1821年(文政4年)、1824年(文政7年)、1837年(天保8年)の古い奉納石燈籠がある。1874年(明治7年)6月村社に指定現在に至る。
崩れそうな石段を上がり来ると石鳥居がありました。下に家族を待たせているのと、雨降りでも蚊が多そうなので、急いで戻ることに。


「本殿」の手前に「拝殿」があって、本殿は屋根に覆われた構造になっているようで、御祭神は、春日大神のようです。


ここでは、蚊よりも鴨の巣が大敵でした。どうも地元の人も来られてないような感じでしたね。




屋根に覆われた「本殿」を撮ろうとしたんですが難しいです。ただ長居は無用で、直ぐに降りることを選択しました。




たった4分で車に戻りました。雨降りと蜘蛛の巣に苦しめられましたね、車は直ぐに出し目的に向かいました。
Google ストリートビューでは分からなかったので自分で確かめに行ってきました。今日は、これから温泉に浸かってゆっくりするつもりです。
【湯ノ花温泉 春日神社】

雨で足を滑らせて怪我でもしたら、何のために湯ノ花温泉まで来たのか意味が無くなるので慎重に一歩一歩石段を上がります。
当地は往古より西院街道として重要な地で1184年(元暦元年)2月には、源義経が此処をを通り「一ノ谷の戦い」に向かったもので、峠に茶屋はあったが神社は無かった。室町時代中期、1351年(正平6年・観応2年)奈良の住人、山田小三郎義正が、この地に移住し元の氏神春日大社を勧請して天児屋根命(あめのこやねのみこと)(藤原氏の祖先を祭神)として当社を創建した。山を拓き田畑を造り麓の鉱泉の湯浴等して通行人を慰めた。時恰(あたか)も足利尊氏の反乱期で傷付いた武士が全国から来て傷を癒やした。このあと、山田一族が此の神社を守り徳川中期には八基の石燈籠を奉納して崇敬した。市内でも珍しい盛況である。1694年(元禄7年)、1746年(延享3年)、1784年(天明4年)、1821年(文政4年)、1824年(文政7年)、1837年(天保8年)の古い奉納石燈籠がある。1874年(明治7年)6月村社に指定現在に至る。

















Google ストリートビューでは分からなかったので自分で確かめに行ってきました。今日は、これから温泉に浸かってゆっくりするつもりです。
【湯ノ花温泉 春日神社】
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