評判の花手水を見に二尊院へ
化野念仏寺を出て、愛宕街道を下って行きます。途中、「さがの人形の家」の前を通りましたが臨時休館中でした。そして次に祇王寺や滝口寺への分岐点がありますが、今日は向かいません。気候的には涼しい風が吹くなか、湿気が多いので汗だくになって到着したのは二尊院で、9時55分に着きました。
家に帰る途中に「総門」前を通り、急に思い立って入ることにしました。ただ人が入っていたら止めるつもりでしたが誰も居ないように思えたので・・・。
総門を入り、右手の「拝観受付所」に行き、拝観料500円を納めます。汗だくの私を見て「今日も暑いですね」と
。
受付を終えて直ぐの左手に「西行法師の庵の跡」と書かれた石碑があって、「我ものと 秋の梢をおもふかな 小倉の里に 家居せしより」(西行法師)と案内版には書かれていました。
秋には真っ赤に染まる「紅葉の馬場」も、誰も居ません。ここには2020年(令和2年)7月30日以来の訪問です。
参道をゆっくり上がると、次に石碑があって「春深し 佛の指の 置きどころ」(丸山海道)「萩咲かす 二尊に触れて 来し風に」(丸山佳子)と書いてありました。

「紅葉の馬場」での最後の句碑は高浜虚子で、「散り紅葉 ここも掃きゐる 二尊院」と書いてありました。

紅葉の馬場を上がりきると左手に行きます。最初に「黒門」がありますが、ここからは入りません。
紅葉の馬場の紅葉も見事ですが、この辺りの紅葉大変も綺麗です。特に紅葉ライトアップは息をのむほどです
。
黒門を通り越して、次に「勅使門」(唐門)から入ろうとすると、檀家さんが出て来られました。お墓参りに来られていたようです。

檀家さんを待って、「勅使門」(唐門)をくぐると正面に「本堂」が見えてきます。今日、ここへ来た目的は、花手水を見てみようと思ったから
。

本堂の右側に「花手水」があるので、先に向かいました。ここでは四季折々の花手水を楽しめます。
この花手水から本堂の前を通り、向かって右から左へ移動し、靴を脱いで上がります。


上がると最初に、本堂の南に行き通常非公開の茶室「御園亭」を見ました。何度か来てますが、まだ入ったことはありません。紅葉の時期にでも行ってもようと思ってます。

堂内をみると、重要文化財に指定されてる「法然上人足曳の御影」が吊されてました。解説が書いてあったので、そのまま載せます。
関白藤原兼光は、法然上人を崇敬のあまり、そのお姿を残さんとことを願ったが、上人は謙遜して許さず兼光は致し方なく上人に内密で沐浴後くつろぎの姿を、その時居合わせた絵師宅魔方眼に御簾の影より描かせた。後日、上人がその画を見ると、裾より片足が出ていたので、無作法な姿を恥じた。そして南無阿弥陀仏と念じると、不思議にも描かれていた片足が引き込み、お座りになっているお姿になった。兼光始め、座に居合わせた一同、上人の威徳に感嘆した。これにより「法然上人足曳の御影」と言われるようになったのである。
二尊院の名の由来となった、奈良の仏師によってつくられた本尊は二尊で、木造釈迦如来立像 と阿弥陀如来像は、ともに重要文化財に指定され祀られています。
昨年来た時、気づいた、堂内の「角倉与一翁像」です。角倉了以翁の孫にあたり、京二條角倉家の初代だそうです。

堂内には「駕籠」も展示されています。江戸時代末期二尊院の住職が、京都御所におつとめに行かれるときに使用されたもの。菊の御紋が付いているので無条件に入れたそうです。

このあと本堂を右から裏手に回り込みます。その前に「御霊屋」を見ましたが、今日は扉閉まってます。
「本堂」の裏側には山の斜面を利用して「六地蔵菩薩」が安置されているので、それを見に行きました。今日は一つ一つ見てます。





上から「人間道」「畜生道」「天道」「餓鬼道」「修羅道」「地獄道」に苦しむ人々をすべて救済するとありました。
この時間では相当足が疲れてますが「弁天堂」まで上がりました。内陣は見えませんが九頭龍大神・宇賀神が祀られているようです。
その足元を見ると「扇塚」がありました。 山内流始祖と二代目、吉村流開祖と二代目・三代目の家元を供養するために、吉村流第四世家元 吉村雄輝(人間国宝)らが建てたもだそうです。
暑いので、ここから上に登るからどうか迷うなか、その前に、右手にある「角倉了以翁像」を撮りました。私財を投じて、ここから近くを流れている大堰川や、東の高瀬川を私財を投じて開削した人物です。


やっぱりここまで来たので登ることにしました。その前に「鐘楼」に寄りました。ここの「しあわせの鐘」は誰もでも撞けますがスルーしました。

頑張って登り切ると正面に「湛空廟」があって、内部には石碑が祀られており、二尊院で教えを広めた僧、湛空上人の碑が納められています。
ここから直ぐに降りるか、著名人のお墓を巡るか、それとも展望台に向かうか迷いましたが、時雨亭跡がある展望台に行くことにしました。

誰も通って無いのは分かっていたので、蜘蛛の巣に気をつけて進みました。それと蚊やブヨ・アブなんかも大敵です。急いで行って急いで戻ってくることに。
怖々行って「時雨亭跡」に着きました。藤原定家山荘跡ですね。幸いにも蚊に刺されなくて済みました。



ここから京都市街地を見下ろして写真を撮り、直ぐに引き返しました。誰も居ないし、山中だし気持ち悪いですよね
。

いつもなら著名人の墓地を通って行きます。こちらの方が緩やかに降りられますが、今日は急な石段を下りました。
今日は、著名人の墓地を通ってませんが、帰りに「田村家の墓」は直ぐに分かりました。今年亡くなられた田村正和さんは生前、横浜市郊外の公園墓地に墓を用意されていたそうで、ここでは眠られてないそうです。
帰りも紅葉の馬場から総門に向かい出て行きました。正直に言って疲れました
。
10時23分頃に、総門から出て行きました。ただ、ここまで来たので帰りにもう一箇所寄って行くかも知れません。暑さと体力勝負ですが・・・。
【二尊院】











紅葉の馬場の紅葉も見事ですが、この辺りの紅葉大変も綺麗です。特に紅葉ライトアップは息をのむほどです













関白藤原兼光は、法然上人を崇敬のあまり、そのお姿を残さんとことを願ったが、上人は謙遜して許さず兼光は致し方なく上人に内密で沐浴後くつろぎの姿を、その時居合わせた絵師宅魔方眼に御簾の影より描かせた。後日、上人がその画を見ると、裾より片足が出ていたので、無作法な姿を恥じた。そして南無阿弥陀仏と念じると、不思議にも描かれていた片足が引き込み、お座りになっているお姿になった。兼光始め、座に居合わせた一同、上人の威徳に感嘆した。これにより「法然上人足曳の御影」と言われるようになったのである。














その足元を見ると「扇塚」がありました。 山内流始祖と二代目、吉村流開祖と二代目・三代目の家元を供養するために、吉村流第四世家元 吉村雄輝(人間国宝)らが建てたもだそうです。
暑いので、ここから上に登るからどうか迷うなか、その前に、右手にある「角倉了以翁像」を撮りました。私財を投じて、ここから近くを流れている大堰川や、東の高瀬川を私財を投じて開削した人物です。
















今日は、著名人の墓地を通ってませんが、帰りに「田村家の墓」は直ぐに分かりました。今年亡くなられた田村正和さんは生前、横浜市郊外の公園墓地に墓を用意されていたそうで、ここでは眠られてないそうです。


10時23分頃に、総門から出て行きました。ただ、ここまで来たので帰りにもう一箇所寄って行くかも知れません。暑さと体力勝負ですが・・・。
【二尊院】
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