芙蓉の花が見頃となった等持院へ
9月18日(土)~20日(月・祝)の3連休で、約2年振りに東京から家族が帰って来ました。我が家も新型コロナワクチンを2回接種し、東京の家族も2回接種を済ませたこともあって、帰る決断をしたようです。ただ18日(土)は、台風14号が日本列島を横断したことで、新幹線が定刻通り着くかどうか私はヤキモキしてましたが、風も雨も普通でしたね、新幹線も定刻通り京都に着いたようです。あとで聞いた話しでは、新幹線は大変混雑していたようですね。東京も京都も緊急時代宣言下なんですけど・・・。
18日(土)は、いろいろ用事があったので、19日(日)に東京の家族を京都の名所案内するために、ホテルに向かいに行きました。いつもなら実家に泊まるんですけど、コロナ感染予防から実家近くのホテルを予約したみたいです。そしてホテルに乗り込み前に、行く先の希望を聞きました。その希望にそって、最初に向かったのが等持院です。
最初に、世界文化遺産の龍安寺か等持院を聞いたところ、龍安寺は行ったことがあるけど等持院は知らないと言うことで連れて来ました。私は最近では6月23日に半夏生を見に来てます。

「以前、等持院に行きたかったけど道が分からないので断念した。」と聞いていたので、道案内をしながら「表門」までやって来ました。龍安寺や仁和寺、金閣寺と違い「きぬがけの路」から離れているので、分かりづらいようですね。
表門を入って正面の「庫裏」に、足利尊氏の家紋「二つ引両」の由来と歴史について案内。覚えてくれてるかなぁ?
。
庫裏を入って拝観受付所で、東京の家族の分も合わせて納めます。拝観コースを案内されますが、私には不要です
。
方丈に入る前に、天龍寺派元管長関牧翁老師筆「祖師像」を案内しました。天龍寺は小さい頃から家族と来ているので分かって貰えました。


方丈内の仏間には、ご本尊の「釈迦牟尼仏」が祀られているので皆でお参りさせて貰いました。かつて、ここが等持院撮影所だったことを案内すると驚いてましたね。
私だけならスルーする「霊光殿」も案内しました。入ると正面の、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られているのでお参りです。そして最初に徳川家康像から、歴代足利将軍木像(5代と14代を除く)を案内すると興味津々見てました
。
霊光殿内には、江戸幕府初代将軍・徳川家康(東照大権現)坐像を始め、室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍・義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍・義満(鹿苑院)坐像、4代将軍・義持(勝定院殿)坐像、6代将軍・義教(普広院殿)坐像、7代将軍・義勝(慶雲院)坐像、8代将軍・義政(慈照院)坐像、9代将軍・義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍・義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍・義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍・義晴(萬松院)坐像、13代将軍・義輝(光源院)坐像、15代将軍・義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍・義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍・義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
初代から細かい話しをしましたが、ここでは割愛して
、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、13代義輝が、向井理が、15代義昭が滝藤賢一が演じてた話しなどさせて貰いました
。

方丈の裏側から「芙蓉池」を見ています。期待してませんでしたが芙蓉の花が綺麗に咲いてました
。

先ずは「書院」に入って、スリッパに履き替え庭に降りるように言いました。いつもはガラガラの等持院も連休初日で、結構な人が来られてました。


庭園に降りると私は、茶室「清漣亭」を案内するため石段を登るように言いました。参道には芙蓉の花が綺麗に咲いてます。


石段が狭いので、ゆっくり登り茶室「清漣亭」までやって来ました。ここでは最近修復工事をされ随分、綺麗になったことを説明しました。
ここで見て欲しかったのは2つ。「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。司馬温公が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられたのでしょう。
もう一つが、茶室前にある「等持院型石灯籠」で江戸時代の作だそうです。
次に茶室「清漣亭」を降り、西庭から心字池のある東庭に移動します。そして心字池を巡る前に案内したのが・・・?。

「足利尊氏公のお墓」と言われる室町幕府初代将軍の宝篋印塔です。私が台座を指さして足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」を紹介しました。熱心に見てくれていたけど分かったかなぁ
。

ここから心字池をゆっくり巡ります。今は半夏生からススキへと秋の風景に変わりました。





この辺りは「秋には真っ赤に染まる」と案内しながら、「蓬莱島」が見えて来ました。ここには、かつて「妙音閣」が建っていました・・・。



「蓬莱島」にも入りました。1950年(昭和25年)にジェーン台風で倒壊した「妙音閣」の礎石は案内しました。
島を出ると、目の前にある足利家15代の供養塔「十三重塔」と、その左横にある「中興天龍牧翁和尚大禅師」と「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」を説明する前に、先に行ってしまいました・・・
。


私が写真を撮っている間に先に行ってしまったので、私も本堂裏を通って書院に戻りました。


書院に戻ると、お茶席でお菓子を食べて貰いました。京菓子司 笹屋守栄さんのお菓子は美味しいので、京都の思い出でにして貰ったら幸いです
。


10時過ぎに等持院を出てきました。庫裏の前にも芙蓉の花が咲いていたので、出て行く前に撮った訳です。
次の目的地が、東京の家族が一番行きたい所です。ただ場所が分からないと言うことで私が案内します。
【等持院】

18日(土)は、いろいろ用事があったので、19日(日)に東京の家族を京都の名所案内するために、ホテルに向かいに行きました。いつもなら実家に泊まるんですけど、コロナ感染予防から実家近くのホテルを予約したみたいです。そしてホテルに乗り込み前に、行く先の希望を聞きました。その希望にそって、最初に向かったのが等持院です。
最初に、世界文化遺産の龍安寺か等持院を聞いたところ、龍安寺は行ったことがあるけど等持院は知らないと言うことで連れて来ました。私は最近では6月23日に半夏生を見に来てます。












霊光殿内には、江戸幕府初代将軍・徳川家康(東照大権現)坐像を始め、室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍・義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍・義満(鹿苑院)坐像、4代将軍・義持(勝定院殿)坐像、6代将軍・義教(普広院殿)坐像、7代将軍・義勝(慶雲院)坐像、8代将軍・義政(慈照院)坐像、9代将軍・義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍・義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍・義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍・義晴(萬松院)坐像、13代将軍・義輝(光源院)坐像、15代将軍・義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍・義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍・義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
初代から細かい話しをしましたが、ここでは割愛して














もう一つが、茶室前にある「等持院型石灯籠」で江戸時代の作だそうです。




























次の目的地が、東京の家族が一番行きたい所です。ただ場所が分からないと言うことで私が案内します。
【等持院】
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