安産の神様として有名な「敷地神社 (わら天神宮)」へ
等持院を出て、次に敷地神社(わら天神宮)に向かいました。ここは毎年、お正月に京都十六社朱印めぐりで訪れている神社です。
等持院を出て、東に進みますが道幅は狭いです。ただ立命館大学が近くにあるのでガードマンさんは立ってます。ただ、学生さんの安全確認のため車の誘導はしてくれないのでご注意を。車は東に進み馬代通りに出て左折し北上します。すると最初の信号を上立売通りを右折し、そのまま東に進み西大路通りに出るとほどなく北上し、廬山寺通りの交差点の北西角に「はま寿司 金閣寺店」があるので、それが目印です。その「はま寿司金閣寺店」の北側の通りを左折(西側)すると「わら天神宮駐車場」と書かれた看板があるので、車をそこに止めました。わら天神宮鳥居北側にも駐車場がありますが、狭いし歩道を渡るしお勧めできません。
ここは東京の家族の希望でした。10時9分に鳥居をくぐりましたが、参拝者は多かったですね、駐車場にも多くの車が止まってましたし。
境内の参道脇には萩の花も咲いているなか、ゆっくり歩いて「手水舎」へ。ここは柄杓は撤去されており、チョロチョロとしか流れない水を使うことに。
東京の家族は、ここの向かいにある社務所に用事があるので、暫く時間がかかりそうなので先にお参りを済ませることに。
今日は参拝者が多いので、空いている間に「本殿」にお参りしました。御祭神は、木花開耶姫命、御利益は安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就でした。
今年で6年連続、お正月の「京都十六社朱印めぐり」を回っているので、ここも寒い時期にしか来たことが無かったので、暑い時期に来るのは初めてです。
次はお隣の摂社「六勝稲荷(ろくしょういなり)神社」で、御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛でした。
その奥は、末社「八幡神社」。1907年(明治40年)鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀され、ここ衣笠の地に建立されました。御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神で、御利益は、開運厄除、そして武家の守護神としての“必勝”です。
次は本殿横に移動して、末社「綾杉明神」で、樹齢千百年に及ぶ神木綾杉が、1896年(明治29年)の暴風で幹から2㍍の高さを残し倒壊したそうです。
その奥に末社「大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)」があって、御祭神が、大山祇神で、御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は「わら天神宮」の御祭神である木花開耶姫命の父神にあたります。
ここから西大路通りの先に「左大文字(衣笠大北山)」が見えました。2年連続で五山の送り火は、今年も縮小されました。来年こそは・・・です。
安産の神様として有名で、安産祈願のお守りには護符と藁(わら)が入っています。藁に節があれば男の子、なければ女の子という信仰が人気となり、いつしか「わら天神」という通称で呼ばれるようになりました。他府県からの参拝者も多く、12日に一度の戌(いぬ)の日には安産祈願に訪れるの妊婦さんで賑わい、境内には幸せのオーラが溢れています。
10時21分に、このと鳥居をくぐって出て来ました。東京の家族も、ここにお参りできて良かったです。
あとは、実家に送っていくつもりでしたが、妙心寺に行ったことが無いと言うことで、ここから妙心寺に向かうことに。
【敷地神社 (わら天神宮)】
等持院を出て、東に進みますが道幅は狭いです。ただ立命館大学が近くにあるのでガードマンさんは立ってます。ただ、学生さんの安全確認のため車の誘導はしてくれないのでご注意を。車は東に進み馬代通りに出て左折し北上します。すると最初の信号を上立売通りを右折し、そのまま東に進み西大路通りに出るとほどなく北上し、廬山寺通りの交差点の北西角に「はま寿司 金閣寺店」があるので、それが目印です。その「はま寿司金閣寺店」の北側の通りを左折(西側)すると「わら天神宮駐車場」と書かれた看板があるので、車をそこに止めました。わら天神宮鳥居北側にも駐車場がありますが、狭いし歩道を渡るしお勧めできません。
ここは東京の家族の希望でした。10時9分に鳥居をくぐりましたが、参拝者は多かったですね、駐車場にも多くの車が止まってましたし。
境内の参道脇には萩の花も咲いているなか、ゆっくり歩いて「手水舎」へ。ここは柄杓は撤去されており、チョロチョロとしか流れない水を使うことに。
東京の家族は、ここの向かいにある社務所に用事があるので、暫く時間がかかりそうなので先にお参りを済ませることに。
今日は参拝者が多いので、空いている間に「本殿」にお参りしました。御祭神は、木花開耶姫命、御利益は安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就でした。
今年で6年連続、お正月の「京都十六社朱印めぐり」を回っているので、ここも寒い時期にしか来たことが無かったので、暑い時期に来るのは初めてです。
次はお隣の摂社「六勝稲荷(ろくしょういなり)神社」で、御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛でした。
その奥は、末社「八幡神社」。1907年(明治40年)鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀され、ここ衣笠の地に建立されました。御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神で、御利益は、開運厄除、そして武家の守護神としての“必勝”です。
次は本殿横に移動して、末社「綾杉明神」で、樹齢千百年に及ぶ神木綾杉が、1896年(明治29年)の暴風で幹から2㍍の高さを残し倒壊したそうです。
その奥に末社「大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)」があって、御祭神が、大山祇神で、御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は「わら天神宮」の御祭神である木花開耶姫命の父神にあたります。
ここから西大路通りの先に「左大文字(衣笠大北山)」が見えました。2年連続で五山の送り火は、今年も縮小されました。来年こそは・・・です。
安産の神様として有名で、安産祈願のお守りには護符と藁(わら)が入っています。藁に節があれば男の子、なければ女の子という信仰が人気となり、いつしか「わら天神」という通称で呼ばれるようになりました。他府県からの参拝者も多く、12日に一度の戌(いぬ)の日には安産祈願に訪れるの妊婦さんで賑わい、境内には幸せのオーラが溢れています。
10時21分に、このと鳥居をくぐって出て来ました。東京の家族も、ここにお参りできて良かったです。
あとは、実家に送っていくつもりでしたが、妙心寺に行ったことが無いと言うことで、ここから妙心寺に向かうことに。
【敷地神社 (わら天神宮)】
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