伝教大師1200年大遠忌「最澄と比叡山~最澄の志を継ぐ堂塔~」東塔エリアへ
9月21日(火)は、今年の1月以来、友人と出かけました。私は2度目のワクチン接種が済んで1ケ月が過ぎ、友人は新型コロナワクチンの職域接種の1回目が済んだことと、最近新車に乗り換えたと聞いたので久々のドライブに同伴したわけです。
目的地は、霊峰比叡山延暦寺です。伝教大師1200年大遠忌「最澄と比叡山~最澄の志を継ぐ堂塔~」のイベントで、通常非公開の戒壇院と法華総持院東塔の堂内を特別に拝観でき、期間が9月12日(日)から12月12日(日)で、後半になると混雑が予想されるので、本日友人を誘って比叡山に向かった次第です。
私の自宅まで友人が迎えに来てくれて、新車に乗り込みました。比叡山には山中超えを通り「田の谷峠ゲート」から比叡山ドライブウェイを入り、登って行きます。そして2020年(令和2年)10月20日と同様に、「登仙台」の展望台で車を止めて貰いました。
昨年は綺麗な雲海を見られましたが、今日は大津市内、京都市内が綺麗に見えたので、京都御所、二条城は望遠で撮ってみました。
8時58分に東塔エリアの無料駐車場に友人の車が入りました。特別公開が9時からのためピッタリの時間に着きましたね。
比叡山延暦寺の巡拝料が1000円(東塔・西塔・横川を含む)、拝観料特別券が500円(戒壇院・法華総持院東塔・国宝殿を含む)を拝観受付所で収めて入ります。
案内にしたがって戒壇院の階段下まで来ましたが、ここから上がれなくなっています。その先に進むと・・・。
矢印の通り進むと、臨時のテントが出ていて、そこで検温と手指消毒をしチケットを見せ判子を押して貰い入ります。
戒壇院の右側の扉から内部に入ります。入る前に注意があって、「内部は撮影禁止です。質問があれば僧侶の方に聞いて下さい。」とありました。
扉に暗幕があって、それをくぐって入ります。内部は真っ暗に僅かな電球が足元と、ご本尊を照らす程度でゆっくりゆっくり歩きます。僧侶の方は立ってますが、あまりに暗くてお顔は分かりません。これは撮影禁止でなくてもフラッシュを焚くしか撮影できないでしょう。中央に愛宕念仏寺の住職でした西村公朝師によって掘られた釈迦牟尼仏が祀られており、右に弥勒菩薩、左に文殊菩薩、本尊の前に仏舎利、その前に伝戒和上が祀られてました。
重要文化財に指定されている戒壇院は、僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要なお堂です。我が国に始めて大乗戒担院を建立すべく、心血をそそがれた伝教大師最澄の没後7日目に勅許を受け、828年(天長5年)第一世義真座主により創建されました。現在の建物は1678年(延宝6年)の建立。ご本尊は1987年(昭和62年)に天台大仏師西村公朝師によって平安時代初期の様式に則って新調されました。
天台宗の僧侶は、生涯に一度、戒壇院で釈迦牟尼仏から直接戒を受け、正式に僧侶となるわけですね。暗い中、丁寧に説明していただきました。
次は、法華総持院東塔の特別公開ですが、案内には従わず石段を上がりました。その方が綺麗な写真が撮れるからです。
正面に阿弥陀堂、左に法華総持院東塔があって、ここから写真を撮るとセットで収まるから石段を登りました。
左手に「鐘楼」を見て、正面の「阿弥陀堂」へ先に入りました。ここは通常でも入れます。
阿弥陀堂は、1937年(昭和12年)に行われた、比叡山開創1150年を記念して建立されたもので、滅罪回向の道場として全国信徒各家の御霊を祀り、日々不退に念仏回向する道場です。建築様式は鎌倉初期の手法を凝らした純和風様式がとられ、内部の色彩は藤原時代に模してあでやかで、殊に内陣天井廻りは美しい極彩色を施し、ご本尊は彫刻界の権威者、内藤光石氏によって掘られた丈六の阿弥陀如来坐像が祀られています。
こちらが特別公開の「法華総持院東塔」で、ここでも検温と手指消毒してチケットを見せ判子を押してもらい石段を上がります。
振り向くと、テント越しに琵琶湖が見えました。そして対岸の三上山(近江富士)も綺麗に見えていますね。
伝教大師は、日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立。法華総持院東塔はそれらを総括する宝塔で、根本中堂と共に重要な信仰道場です。信長の焼討ちから400年ぶりの1980年(昭和55年)に鎌倉時代の絵図を元に再建され、塔の朱と自然の緑が溶け合って優美なコントラストを見せています。内部の壁画も印象的です。堂内中央に胎蔵界五仏(中央に大日如来、東に宝幢、南に開敷華王、西に無量寿、北に天鼓雷音)を置き、須弥壇裏には金剛界五仏(金剛界曼荼羅を中心にある五仏のこと。中央に大日如来、東に阿閦、南に宝生、西に無量寿、北に不空成就)の壁画があります。
このあと納経所に行き、「戒壇院」と「法華総持院東塔」の特別御朱印をいただきました。御朱印は書き置きのみでした。
帰りに阿弥陀堂前の石段を降りる前に、吉井勇の歌碑を見つけました。「雷すでに起らずなりぬ秋ふかく大比叡の山しづまりたまへ」と書かれており、雷雨が去った後の比叡山の様子が詠まれました。
行きはきつかった坂も、帰りは下りです。ここまで来て根本中堂によらずに帰れないので、そちらに向かいます。
その途中に「比叡山筆塚」を見つけました。案内では、この筆塚は、全国学生比叡山競書大会の筆塚だそうです。
次に昨年と同様に「大講堂」(重要文化財)に寄りました。次に行く根本中堂と同時期に建立されたものです。
1956年(昭和31年)に焼失したため、1964年(昭和39年)に山麓坂本の讃仏堂を移築し再建されました。内部には本尊の大日如来坐像をはじめ、法然、親鸞、日蓮、栄西など比叡山で研鑽を積んだ各宗祖の木像が安置されています。
次に「開運の鐘 世界平和の鐘」を通りました。先に来られた方が、鐘を鳴らされていたので、帰りに寄っても鳴らされてました。支納金50円で、連打禁止です。
鐘楼から石段を降りると根本中堂と書かれた大きな石碑があり、その先には「万拝堂」や「大黒堂」がありますが今日は寄りません。
そこから、また石段を降りて修復工事中の国宝「根本中堂」に入ります。普段は回廊を回り込みますが、工事中のため真っ直ぐ進み堂内に入りました。
根本中堂は、山内最大の仏堂にて総本堂にあたります。788年(延暦7年)に比叡山に最澄が創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)のあった地に建つ。何度焼失し、現在のは徳川家光の命により1642年(寛永19年)の再建。本尊は秘仏の薬師如来立像で、お前立ちが立つ。本尊厨子の前に3つの釣灯籠が下がり、そこに灯るのが「不滅の法灯」です。
お参りを済ませたら、知らなかったことですが、工事現場を見学できるんですね、ヘルメットも不要で、しかも写真も撮れるとあってもちろん見学します。
今回の 大改修は2016年(平成28年)からの約10年計画ではじまりました。あと5年ですか・・・まだまだ先ですね。
本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容だそうです。今回の工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業を見ることができ、普段目にすることのない貴重な光景を間近で見られました。
このあと正面にある高低差20㍍、52段の急な石段を登る先には「文殊楼」がありますが、今日は行きません。2020年(令和2年)10月20日に行ったからです。
再び石段を上がり、大講堂の裏手に来ました。そこには「前唐院」があったから寄りました。
もと第三世天台座主慈覚大師(円仁)の住坊であり、大師を本尊にお祀りしてます。かつては慈覚大師が中国(唐)より将来された真言宗密教の典籍や曼荼羅を所蔵する経蔵としての機能は果たしようです。
そのお隣が「瑞雲院縁起 延暦寺法華三昧道場(別称 孝道教団始祖伝法堂)」で、1684年(貞享元年)正教坊詮舜が再興し瑞雲院と改め1973年(昭和48年)に瑞雲院住職岡野正道により再建された。
最後に、出口付近にある「国宝殿」に入ります。ここも特別券で入れるからです。最初からここを最後にと決めてました。
10月1日から「戦国と比叡~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」が始まりますが、この日は常設展でした。ただ、初めてみる国宝・重要文化財などをゆっくり見学させてもらいました。
10時3分に、この東塔エリアを出ました。このチケットで西塔、横川に行けるのでこれから車に戻り向かいますが、その前に・・・?。
今まで気づかなかったことで、ここに「元亀兵乱殉難者鎮魂塚」がありました。織田信長による比叡山焼き討ちで犠牲になった人々の供養ですね。
1571年(元亀2年)9月12日に、比叡山延暦寺で行われた焼き討ちで、仏法のため殉教した僧侶2000名余りのために塚を築き遺品を埋め塔を建立し霊魂を鎮め先人達の霊を慰めるためのものです。なお、攻め込んだ織田信長軍の戦没者の霊に対しても同じく本能寺で火に焼かれた火の霊にも恩讐を超え、追善供養を施されているようです。
車に乗り、水分を補給し汗を拭い出発しました。次は西塔に向かいます。
【比叡山延暦寺 東塔エリア】
目的地は、霊峰比叡山延暦寺です。伝教大師1200年大遠忌「最澄と比叡山~最澄の志を継ぐ堂塔~」のイベントで、通常非公開の戒壇院と法華総持院東塔の堂内を特別に拝観でき、期間が9月12日(日)から12月12日(日)で、後半になると混雑が予想されるので、本日友人を誘って比叡山に向かった次第です。
私の自宅まで友人が迎えに来てくれて、新車に乗り込みました。比叡山には山中超えを通り「田の谷峠ゲート」から比叡山ドライブウェイを入り、登って行きます。そして2020年(令和2年)10月20日と同様に、「登仙台」の展望台で車を止めて貰いました。
昨年は綺麗な雲海を見られましたが、今日は大津市内、京都市内が綺麗に見えたので、京都御所、二条城は望遠で撮ってみました。
8時58分に東塔エリアの無料駐車場に友人の車が入りました。特別公開が9時からのためピッタリの時間に着きましたね。
比叡山延暦寺の巡拝料が1000円(東塔・西塔・横川を含む)、拝観料特別券が500円(戒壇院・法華総持院東塔・国宝殿を含む)を拝観受付所で収めて入ります。
案内にしたがって戒壇院の階段下まで来ましたが、ここから上がれなくなっています。その先に進むと・・・。
矢印の通り進むと、臨時のテントが出ていて、そこで検温と手指消毒をしチケットを見せ判子を押して貰い入ります。
戒壇院の右側の扉から内部に入ります。入る前に注意があって、「内部は撮影禁止です。質問があれば僧侶の方に聞いて下さい。」とありました。
扉に暗幕があって、それをくぐって入ります。内部は真っ暗に僅かな電球が足元と、ご本尊を照らす程度でゆっくりゆっくり歩きます。僧侶の方は立ってますが、あまりに暗くてお顔は分かりません。これは撮影禁止でなくてもフラッシュを焚くしか撮影できないでしょう。中央に愛宕念仏寺の住職でした西村公朝師によって掘られた釈迦牟尼仏が祀られており、右に弥勒菩薩、左に文殊菩薩、本尊の前に仏舎利、その前に伝戒和上が祀られてました。
重要文化財に指定されている戒壇院は、僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要なお堂です。我が国に始めて大乗戒担院を建立すべく、心血をそそがれた伝教大師最澄の没後7日目に勅許を受け、828年(天長5年)第一世義真座主により創建されました。現在の建物は1678年(延宝6年)の建立。ご本尊は1987年(昭和62年)に天台大仏師西村公朝師によって平安時代初期の様式に則って新調されました。
天台宗の僧侶は、生涯に一度、戒壇院で釈迦牟尼仏から直接戒を受け、正式に僧侶となるわけですね。暗い中、丁寧に説明していただきました。
次は、法華総持院東塔の特別公開ですが、案内には従わず石段を上がりました。その方が綺麗な写真が撮れるからです。
正面に阿弥陀堂、左に法華総持院東塔があって、ここから写真を撮るとセットで収まるから石段を登りました。
左手に「鐘楼」を見て、正面の「阿弥陀堂」へ先に入りました。ここは通常でも入れます。
阿弥陀堂は、1937年(昭和12年)に行われた、比叡山開創1150年を記念して建立されたもので、滅罪回向の道場として全国信徒各家の御霊を祀り、日々不退に念仏回向する道場です。建築様式は鎌倉初期の手法を凝らした純和風様式がとられ、内部の色彩は藤原時代に模してあでやかで、殊に内陣天井廻りは美しい極彩色を施し、ご本尊は彫刻界の権威者、内藤光石氏によって掘られた丈六の阿弥陀如来坐像が祀られています。
こちらが特別公開の「法華総持院東塔」で、ここでも検温と手指消毒してチケットを見せ判子を押してもらい石段を上がります。
振り向くと、テント越しに琵琶湖が見えました。そして対岸の三上山(近江富士)も綺麗に見えていますね。
伝教大師は、日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立。法華総持院東塔はそれらを総括する宝塔で、根本中堂と共に重要な信仰道場です。信長の焼討ちから400年ぶりの1980年(昭和55年)に鎌倉時代の絵図を元に再建され、塔の朱と自然の緑が溶け合って優美なコントラストを見せています。内部の壁画も印象的です。堂内中央に胎蔵界五仏(中央に大日如来、東に宝幢、南に開敷華王、西に無量寿、北に天鼓雷音)を置き、須弥壇裏には金剛界五仏(金剛界曼荼羅を中心にある五仏のこと。中央に大日如来、東に阿閦、南に宝生、西に無量寿、北に不空成就)の壁画があります。
このあと納経所に行き、「戒壇院」と「法華総持院東塔」の特別御朱印をいただきました。御朱印は書き置きのみでした。
帰りに阿弥陀堂前の石段を降りる前に、吉井勇の歌碑を見つけました。「雷すでに起らずなりぬ秋ふかく大比叡の山しづまりたまへ」と書かれており、雷雨が去った後の比叡山の様子が詠まれました。
行きはきつかった坂も、帰りは下りです。ここまで来て根本中堂によらずに帰れないので、そちらに向かいます。
その途中に「比叡山筆塚」を見つけました。案内では、この筆塚は、全国学生比叡山競書大会の筆塚だそうです。
次に昨年と同様に「大講堂」(重要文化財)に寄りました。次に行く根本中堂と同時期に建立されたものです。
1956年(昭和31年)に焼失したため、1964年(昭和39年)に山麓坂本の讃仏堂を移築し再建されました。内部には本尊の大日如来坐像をはじめ、法然、親鸞、日蓮、栄西など比叡山で研鑽を積んだ各宗祖の木像が安置されています。
次に「開運の鐘 世界平和の鐘」を通りました。先に来られた方が、鐘を鳴らされていたので、帰りに寄っても鳴らされてました。支納金50円で、連打禁止です。
鐘楼から石段を降りると根本中堂と書かれた大きな石碑があり、その先には「万拝堂」や「大黒堂」がありますが今日は寄りません。
そこから、また石段を降りて修復工事中の国宝「根本中堂」に入ります。普段は回廊を回り込みますが、工事中のため真っ直ぐ進み堂内に入りました。
根本中堂は、山内最大の仏堂にて総本堂にあたります。788年(延暦7年)に比叡山に最澄が創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)のあった地に建つ。何度焼失し、現在のは徳川家光の命により1642年(寛永19年)の再建。本尊は秘仏の薬師如来立像で、お前立ちが立つ。本尊厨子の前に3つの釣灯籠が下がり、そこに灯るのが「不滅の法灯」です。
お参りを済ませたら、知らなかったことですが、工事現場を見学できるんですね、ヘルメットも不要で、しかも写真も撮れるとあってもちろん見学します。
今回の 大改修は2016年(平成28年)からの約10年計画ではじまりました。あと5年ですか・・・まだまだ先ですね。
本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容だそうです。今回の工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業を見ることができ、普段目にすることのない貴重な光景を間近で見られました。
このあと正面にある高低差20㍍、52段の急な石段を登る先には「文殊楼」がありますが、今日は行きません。2020年(令和2年)10月20日に行ったからです。
再び石段を上がり、大講堂の裏手に来ました。そこには「前唐院」があったから寄りました。
もと第三世天台座主慈覚大師(円仁)の住坊であり、大師を本尊にお祀りしてます。かつては慈覚大師が中国(唐)より将来された真言宗密教の典籍や曼荼羅を所蔵する経蔵としての機能は果たしようです。
そのお隣が「瑞雲院縁起 延暦寺法華三昧道場(別称 孝道教団始祖伝法堂)」で、1684年(貞享元年)正教坊詮舜が再興し瑞雲院と改め1973年(昭和48年)に瑞雲院住職岡野正道により再建された。
最後に、出口付近にある「国宝殿」に入ります。ここも特別券で入れるからです。最初からここを最後にと決めてました。
10月1日から「戦国と比叡~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」が始まりますが、この日は常設展でした。ただ、初めてみる国宝・重要文化財などをゆっくり見学させてもらいました。
10時3分に、この東塔エリアを出ました。このチケットで西塔、横川に行けるのでこれから車に戻り向かいますが、その前に・・・?。
今まで気づかなかったことで、ここに「元亀兵乱殉難者鎮魂塚」がありました。織田信長による比叡山焼き討ちで犠牲になった人々の供養ですね。
1571年(元亀2年)9月12日に、比叡山延暦寺で行われた焼き討ちで、仏法のため殉教した僧侶2000名余りのために塚を築き遺品を埋め塔を建立し霊魂を鎮め先人達の霊を慰めるためのものです。なお、攻め込んだ織田信長軍の戦没者の霊に対しても同じく本能寺で火に焼かれた火の霊にも恩讐を超え、追善供養を施されているようです。
車に乗り、水分を補給し汗を拭い出発しました。次は西塔に向かいます。
【比叡山延暦寺 東塔エリア】
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