世界文化遺産 比叡山延暦寺西塔エリアへ

世界文化遺産 比叡山延暦寺の東塔エリアから西塔エリアに直ぐに着きます。西塔には2020年(令和2年)10月20日に、特別公開された釈迦堂・瑠璃堂内陣に行きました。それ以来です。

IMG_0763.jpgIMG_0764.jpg10時9分に、西塔エリアの駐車場に着きました。着くと、巡回バスが着きましたが、乗り降りは無かったです。それを横目に西塔エリアに入って行きます。

IMG_0765.jpg暫く下ると分岐点があります。左には拝観受付所がありますが留守でした。左には行けば釈迦堂に行けますが、私は右の浄土院に向かいました。

IMG_0766.jpg10時11分に、ここから歩き始めました。約10分程度と書いてありましたが、ここも登り下りとアップダウンがありましたね。

IMG_0767.jpgIMG_0768.jpgIMG_0769.jpgIMG_0770.jpgIMG_0771.jpgIMG_0772.jpg
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10時18分に、ようやく「浄土院」に着きました。東塔エリアも、アップダウンがあって、ここもです。早くも疲れてきました

IMG_0773.jpg勅使門は閉まっているので入れません。その横の通用門から入りました。前庭の白砂綺麗ですね。

IMG_0776.jpgIMG_0774.jpg入って右手に見える建物が「拝殿」です。本堂のように見えますが理由、この裏に御廟があるからで・・・。

IMG_0777.jpgIMG_0778.jpgIMG_0780.jpgIMG_0782.jpgこの本堂に似た「拝殿」の右横から奥に進むと伝教大師最澄の御廟がありました。綺麗に描かれた砂紋を踏むのは気が引けますが・・・。

74534fdccbb7dc9b16393c6a1f9292fa.jpg通常は非公開のようですが、毎年6月4日の「長講会(じょうごうえ)」の際には勅使門や御廟所が開扉されるようです。

伝教大師の御廟がある浄土院は、822年(弘仁13年)6月4日、56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が854年(仁寿4年)7月ここに移して安置した場所です。 東塔地域と西塔地域の境目に位置し、所属は東塔地域になります。現在は12年籠山の僧が毎日、生身の大師に仕えるごとくに奉仕されています。

12年もの過酷な修行を、このお堂でされているですね。想像を絶する厳しい修行ですね。厳しさ故に約7割が満行。3割は病死もしくは行方不明だとか。

IMG_0783.jpgご覧のように勅使門は出入りできません。再び通用門から出て行きました。帰りは登り坂が待っていると考えると・・・?。

IMG_0785.jpg通用門を10時20分に出ました。ここには誰も居ませんでしたが、帰りには2組ほど出会いました。前途したとおり戻りは登りです。

IMG_0787.jpgIMG_0788.jpgIMG_0789.jpgIMG_0790.jpgIMG_0791.jpg西塔の駐車場から来ましたが、ここは東塔エリアなんですね。共通拝観券を購入してるのでここも入れるですけど。ここの歌碑は・・・?。

弁慶飛び六法 勧進帳を観て 一つの傷も胸の騒ぎもなく 真になし さうして終った 独り凝っと動かず 晴れ渡る安宅の空に 知らず知らず涙が滲む 泌み徹る人生の味 成就の味」(草野 天平) 1986年(昭和61年)8月、妻梅乃によって建立されまた。

IMG_0792.jpgIMG_0793.jpg西塔エリアの拝観受付所の手前に「箕淵弁財天」があります。比叡山三大弁財天とされる一つで、他は東塔の無動寺弁天堂、横川の箸塚弁財天です。

結果、疲れたので西塔エリアには入りませんでした。(浄土院が西塔エリアだと思っていたこともあってスルーしたことに)タイトルは西塔エリアですが、結局入らないことになりました。西塔エリアの模様は2020年(令和2年)10月20日に行ったのでどうぞ

IMG_0794.jpg10時30分頃に、再び西塔駐車場に戻ってきました。ここも緩やかな登りが続いたこともあって疲れました

ここでも水分を補給し、汗を拭い出て行きました。次は横川エリアに向かいます。

【比叡山延暦寺 西塔エリア】

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