水の供給を司る神を祀る貴布禰総本宮 貴船神社 本宮へ
9月21日(火)に友人と比叡山を散策した時、23日(木・祝)も空いていると聞いたので、厚かましく大原へ行こうということになり、早朝から友人の新車に乗り出掛けました。
大原はお昼前に行けば良いので本日最初の目的地は、2017年(平成29年)9月25日以来の、貴布禰総本宮 貴船神社 本宮でした。
8時20分頃に貴船神社の駐車場に車を入れましたが、2時間で800円でした。2017年(平成29年)9月25日では500円でしたが、早朝に行ったので無料でしたが・・・?。4年振りに来た目的は、御朱印をいただくことでした。前回は早朝に来たので、社務所が開く9時よりはるか前の8時過ぎに出て行ったので貰えずじまいでした。
駐車場から来た道を戻り貴船神社でもっとも有名な石段下までやって来ました。ただ「二の鳥居」から撮りたかったけど、後ろから人が来たので鳥居は帰りに撮影します。
石段は84段。両側に春日燈籠が71基連立し、早朝の少し寒いぐらいの風が吹き抜けてました。
この燈籠脇に、今が旬の「シュウカイドウ(秋海棠)」が咲いてました。そして撮影を済ませたら後ろで撮影の人が待たれているのが分かっているので、急いで「南門」を潜りました。
境内には祝日(秋分の日)ですので家族連れの参拝者が多かったです。特にお子さん連れが多いように思えました。この時、8時27分で、社務所が開くのに30分以上あります。当初の予定どおり先に奥宮に行くことにしました。
ただ先に本宮での参拝を済ませるため、「手水舎」に寄りました。最近では珍しい柄杓が、ここには置いておりました。
お隣には、黒馬と白馬の銅像があります。これには理由があって、貴船神社は「絵馬発祥の地」なんですね。
古来、旱天(ひでり)を願うときには白馬が、霖雨(りんう)を願うときには黒馬が奉納されてましたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたのが絵馬の原形であり、この貴船神社が、その絵馬発祥の地だそうです。
その向かいには「龍泉閣」があって、参拝者はここで休憩できるようになっています。ただ風景が見えないようになってますね。
まだ、この時間では空いていたので、手前が「拝殿」奥が「本殿」にて参拝しました。御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)で、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の御子神(みこがみ)です。水の供給を司る神様ですね。
こちらが「神水」で、この写真を撮り終えたら神職さんが豪快に掃除されました。有名な御神水・水占斎庭(みずうらゆにわ)はこちらです。
このあと、前途したとおり「北門」から出ていき奥宮に向かいますが、末社があれば見て行きます。
最初は北門近くの「祖霊社」から。御祭神は、社人、氏子、崇敬者の祖先の御霊で、人すべてのその源に立ち返り「初心忘るべからず」という大神の教えによるものとありました。
「北門」を出て、最初の末社が「牛一社(ぎゅういちしゃ)」で、御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。最初は、貴船大神のお供をしていた牛鬼(仏国童子)を祀っていました。ここの“丑の刻参り”は有名だそうです。
そこから少しだけ石段を登ると、末社「川尾社(かわおしゃ)」があって、御祭神が、罔象女神(みずはのめのがみ)です。往古、思い川にあって河水を守護する神でした。そして、いつしか鈴鹿谷の下にあるを以って川尾社と呼ばれるようになりました。
また、石段を登った先に末社「鈴鹿社」がありました。元は本殿裏の鈴鹿谷の上にあり、往古より伊勢の大神を祀っていました。
その鈴鹿社の裏手にあるのが「権殿」です。拝殿、本殿、権殿と並んでおり正面からは見えません。
権殿の手前が庭になっており、その奥が「本殿」で裏手を見ているわけです。
鈴鹿社から降りてきて、北門から鈴鹿川を渡り「三の鳥居」から出て行きました。この時、8時33分でした。
これから緩やかな坂を登って奥宮まで行きます。車が来ると道幅が狭いので、その都度除けるんですけど。紅葉の時期には大渋滞になるのが分かりますね。
ここから奥宮まで行き、再び三の鳥居に戻ってきたのが9時8分でした。戻ると真っ先に社務所に行き朱印帳を出し番号札を貰います。まだ人数も少ないので、そんなに待たずに返して貰いました。なお、奥宮の御朱印は書き置きのみです。
こちらは南門近くにある御神木の「桂」です。樹齢400年、樹高30㍍、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がっています。
今日、ここに着いたとき、神職さんが清掃されていたので、帰りに撮りました。そこには石庭「天津磐境(あまついわさか)」があって、昭和の名作庭家・重森三玲が、1965年(昭和40年)に古代の人々が神祭りを行った神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作られた石庭です。
帰りは、まだ「二の鳥居」を撮ってないので、南門を出て石段を降りました。帰りも「シュウカイドウ(秋海棠)」を撮りました。
石段を降り、二の鳥居の大欅の下には、末社「白鬚社」がありました。御祭神は、猿田彦命で、天孫降臨の際に、道案内をしたことで知られており、御利益は延命長寿です。
9時13分の、この時間では鳥居をくぐって来られる参拝者が多かったです。京都市内ても涼しいので叡山電鉄から歩いて来られる人もみかけました。
最後に、昭和の懐かしの「丸型ポスト」があったので、撮りました。市内では見かけなくなりましたね。
これで駐車場に戻って貴船を出て行くことになりますが、明日は貴船 結社(中宮)をアップします。
【貴布禰総本宮 貴船神社 本宮】
大原はお昼前に行けば良いので本日最初の目的地は、2017年(平成29年)9月25日以来の、貴布禰総本宮 貴船神社 本宮でした。
8時20分頃に貴船神社の駐車場に車を入れましたが、2時間で800円でした。2017年(平成29年)9月25日では500円でしたが、早朝に行ったので無料でしたが・・・?。4年振りに来た目的は、御朱印をいただくことでした。前回は早朝に来たので、社務所が開く9時よりはるか前の8時過ぎに出て行ったので貰えずじまいでした。
駐車場から来た道を戻り貴船神社でもっとも有名な石段下までやって来ました。ただ「二の鳥居」から撮りたかったけど、後ろから人が来たので鳥居は帰りに撮影します。
石段は84段。両側に春日燈籠が71基連立し、早朝の少し寒いぐらいの風が吹き抜けてました。
この燈籠脇に、今が旬の「シュウカイドウ(秋海棠)」が咲いてました。そして撮影を済ませたら後ろで撮影の人が待たれているのが分かっているので、急いで「南門」を潜りました。
境内には祝日(秋分の日)ですので家族連れの参拝者が多かったです。特にお子さん連れが多いように思えました。この時、8時27分で、社務所が開くのに30分以上あります。当初の予定どおり先に奥宮に行くことにしました。
ただ先に本宮での参拝を済ませるため、「手水舎」に寄りました。最近では珍しい柄杓が、ここには置いておりました。
お隣には、黒馬と白馬の銅像があります。これには理由があって、貴船神社は「絵馬発祥の地」なんですね。
古来、旱天(ひでり)を願うときには白馬が、霖雨(りんう)を願うときには黒馬が奉納されてましたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたのが絵馬の原形であり、この貴船神社が、その絵馬発祥の地だそうです。
その向かいには「龍泉閣」があって、参拝者はここで休憩できるようになっています。ただ風景が見えないようになってますね。
まだ、この時間では空いていたので、手前が「拝殿」奥が「本殿」にて参拝しました。御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)で、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の御子神(みこがみ)です。水の供給を司る神様ですね。
こちらが「神水」で、この写真を撮り終えたら神職さんが豪快に掃除されました。有名な御神水・水占斎庭(みずうらゆにわ)はこちらです。
このあと、前途したとおり「北門」から出ていき奥宮に向かいますが、末社があれば見て行きます。
最初は北門近くの「祖霊社」から。御祭神は、社人、氏子、崇敬者の祖先の御霊で、人すべてのその源に立ち返り「初心忘るべからず」という大神の教えによるものとありました。
「北門」を出て、最初の末社が「牛一社(ぎゅういちしゃ)」で、御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。最初は、貴船大神のお供をしていた牛鬼(仏国童子)を祀っていました。ここの“丑の刻参り”は有名だそうです。
そこから少しだけ石段を登ると、末社「川尾社(かわおしゃ)」があって、御祭神が、罔象女神(みずはのめのがみ)です。往古、思い川にあって河水を守護する神でした。そして、いつしか鈴鹿谷の下にあるを以って川尾社と呼ばれるようになりました。
また、石段を登った先に末社「鈴鹿社」がありました。元は本殿裏の鈴鹿谷の上にあり、往古より伊勢の大神を祀っていました。
その鈴鹿社の裏手にあるのが「権殿」です。拝殿、本殿、権殿と並んでおり正面からは見えません。
権殿の手前が庭になっており、その奥が「本殿」で裏手を見ているわけです。
鈴鹿社から降りてきて、北門から鈴鹿川を渡り「三の鳥居」から出て行きました。この時、8時33分でした。
これから緩やかな坂を登って奥宮まで行きます。車が来ると道幅が狭いので、その都度除けるんですけど。紅葉の時期には大渋滞になるのが分かりますね。
ここから奥宮まで行き、再び三の鳥居に戻ってきたのが9時8分でした。戻ると真っ先に社務所に行き朱印帳を出し番号札を貰います。まだ人数も少ないので、そんなに待たずに返して貰いました。なお、奥宮の御朱印は書き置きのみです。
こちらは南門近くにある御神木の「桂」です。樹齢400年、樹高30㍍、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がっています。
今日、ここに着いたとき、神職さんが清掃されていたので、帰りに撮りました。そこには石庭「天津磐境(あまついわさか)」があって、昭和の名作庭家・重森三玲が、1965年(昭和40年)に古代の人々が神祭りを行った神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作られた石庭です。
帰りは、まだ「二の鳥居」を撮ってないので、南門を出て石段を降りました。帰りも「シュウカイドウ(秋海棠)」を撮りました。
石段を降り、二の鳥居の大欅の下には、末社「白鬚社」がありました。御祭神は、猿田彦命で、天孫降臨の際に、道案内をしたことで知られており、御利益は延命長寿です。
9時13分の、この時間では鳥居をくぐって来られる参拝者が多かったです。京都市内ても涼しいので叡山電鉄から歩いて来られる人もみかけました。
最後に、昭和の懐かしの「丸型ポスト」があったので、撮りました。市内では見かけなくなりましたね。
これで駐車場に戻って貴船を出て行くことになりますが、明日は貴船 結社(中宮)をアップします。
【貴布禰総本宮 貴船神社 本宮】
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