平安から続くえんむすびの名所 貴布禰総本宮 貴船神社 結社(中宮)へ

貴布禰総本宮 貴船神社では、貴船山の麓にある本宮に参ったあと奥宮、そして結社(中宮)を巡る参拝は三社詣といい私も、久し振りに来たので、その通り巡るつもりでしたが、本宮を出て緩やかに登る坂を歩いていくと、結社(中宮)に着いたので、順番を忘れて先にお参りさせて貰いました。

結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間に位置することから、中宮(なかみや)とも呼ばれており、ここが三社詣で最後にお参りする場所なんですが、ここに来てすっかり忘れてました

IMG_1053.jpgここには8時38分に着きました。本宮からは4分で歩いたことになりますが、ずっと登りだったこともあって疲れました。

IMG_1055.jpg石段を登り切ると鳥居がありますが、石段の登りは、やっぱり2日前の比叡山が堪えてます

IMG_1056.jpgIMG_1057.jpg鳥居をくぐり少し小高い所に本殿があって、御祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)で、「吾ここに留まりて人々の良縁を授けよう」と御鎮座された伝承が残っています。

そして社殿の横には巨大な自然石があって、「天乃磐船(あまのいわふね)」がありました。貴船山中で出土したものだという。

IMG_1058.jpgIMG_1061.jpgIMG_1062.jpg1996年(平成8年)に造園業者・久保篤三氏より奉納された自然石で、御祭神の磐長姫命の御料船として奉納されたもの。長さ3.3㍍、舳先の高さ1.5m、幅1㍍、重さは6㌧もあるという。

このあと、本殿廻りを一周します。ここも2017年(平成29年)9月25日以来の訪問です。

IMG_1064.jpgすっかり忘れてましたが、ここに和泉式部歌碑がありました。「もの思へば 澤のほたるも わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ見る」と。愛の苦悩を貴船の森に飛ぶ蛍になぞえて詠みました。

平安期にはすでに縁結びの神様として、多くの人がお参りしていた結社(中宮)に、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川をとぶ蛍を見て歌に託して祈願されたら、ほどなくして願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事があるそうです

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こちらの大木は、御神木の「」で、樹齢400年。枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる姿が龍の如く大地から勢よいよく立ち昇る姿に似て当社の御神徳を象徴するようですとありました。

IMG_1068.jpgもう一つ句碑がありました。半分割れて詠めませんが、立て札には「貴船より 奥に人住む 葛の花」(いはほ・・・松尾巌) 京都帝国大学教授、医学者。ホトトギス同人。1935年(昭和10年)6月29日の大水害のため句碑の上部が流失したそうです。

IMG_1070.jpgIMG_1071.jpgIMG_1072.jpgIMG_1073.jpgIMG_1142.jpg境内を一周すると、下で清掃されていた方が上がって来られ清掃を始められたので、私らは入れ違いに降りて逝きました。

8時43分にここを出発し、奥宮を目指しました。この先、緩やかなですが登りが続きます。

【 貴布禰総本宮 貴船神社 結社(中宮)】

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