貴布禰総本宮 貴船神社 奥宮へ
結社(中宮)を出て、貴布禰総本宮 貴船神社 奥宮を目指します。
8時45分に、ようやく奥宮の入口である鳥居が見えて来ました。結社(中宮)から7分かかりましたが、本殿は、まだまだです。
朱塗りの鳥居の欄干には「思ひ川」と書かれており、橋の名前は「おもひかは橋」と書かれています。そこには駒札があって読みました。
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で参拝者は、この谷川で手を洗い口をすすぎ身を清めてから参拝しました。この谷は禊ぎの川、物忌の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。禊ぎの川だった「おものいみ川」が和泉式部の恋の話しと重なり、いつの頃から「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
「遅桜なほもたづねて奥宮 思ひ川渡ればまたも花の雨」 虚子
老杉が建ち並ぶ参道を歩いて行くと、参道脇にに貴船名石「つつみケ岩」がありました。高さ4㍍、重さ43㌧、胴回り9㍍もあります。
結社(中宮)から5分、本宮から結社でお参りしてますが、14分で奥宮の「神門」に着きました。ここの前に手水鉢がありますが、結社には無いので帰りも清める必要がありますね。
2017年(平成29年)9月25日以来の奥宮に入りました。先客は一組だけでしたが、このあとゾロゾロ多くの人が入って来られました。
神門を入って直ぐの左手に御神木「連理の杉」があります。1924年(大正13年)に貞明皇后(第123代大正天皇の皇后)参拝のおり賞賛された杉です。連理とは、別々の木が重なって一つになる意味で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいいます。
その根元には末社「日吉社」があります。御祭神は大物主命(おおものぬしのみこと・古伝では大山咋神)山の神として貴船山を守護。例祭は7月15日。
次に本殿に向かいますが、その本殿前には「拝殿」があり、その手前には本殿を守護するように、「狛犬」が鎮座しています。
奥宮は貴船神社が当初創建されたところで、御祭神は本宮と同じく水を司る神「高龗神(たかおかみのかみ)」です。一説には闇龗神(くらおかみのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られていると伝わります。
貴船神社創建の地であり、森に囲まれた神聖な場所です。御鎮座伝説に伝わる玉依姫命が乗った黃船は、人目に触れぬように石で包み囲んだと伝えられ、今も苔むして奥宮本殿の側に祀られています。 本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いており、その上に社が創建されました。龍穴は人目を忌むべき神聖なものから、誰も見ることが許されておらず、貴船神社の龍穴は日本三大龍穴のひとつとされています。
奥宮本殿の右隣には「権地(ごんち)」があります。ここは、本殿が修理の間に一時的に遷る場所がここです。
奥宮本殿の左には「船形石(ふながたいし)」がありました。案内によると、この船形の石積みは玉依姫御料の黄船を、人目を忌みて小石で覆ったと伝わり、航海する時、この小石を戴き携帯するれば海上安全と言われています。
その奥の末社「吸葛社(すいかずらしゃ)」は、祭神に味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っていますが、百太夫ともいう。御祭神に“鋤”という名のとおり、農耕の神として信仰が篤いともいわれています。
次ぎに御神木「桂」の足元には末社「鈴市社(すずいちしゃ)」がありました。御祭神に初代天皇である神武天皇の皇后である、媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいまずひめのみこと)を祀っています。
前途したとおり、ゾロゾロ多くの人が入って来られたので、8時53分に奥宮を神門から出て行きました。
時間的にもちょうど良い時間になったので本宮に戻ります。帰りも「思ひ川」を渡り、行きのときにスルーした末社に寄って行きます。
少し石段を登って、右が末社「私市社(きさいちしゃ)」で、御祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)。左が「林田社」で、御祭神が少彦名命。両社を併せ称し「二ツ社」といい、貴船神社の荒御魂を祀っています。
奥宮の最後に「相生の杉(御神木)」を撮りました。同じ根から生えた二本の杉で、樹齢は約1000年、相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味があります
ここから本宮に戻って、念願の御朱印をいただいて貴船を出て行った訳です。4年振りの貴船は楽しかったです。
【貴布禰総本宮 貴船神社 奥宮】
8時45分に、ようやく奥宮の入口である鳥居が見えて来ました。結社(中宮)から7分かかりましたが、本殿は、まだまだです。
朱塗りの鳥居の欄干には「思ひ川」と書かれており、橋の名前は「おもひかは橋」と書かれています。そこには駒札があって読みました。
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で参拝者は、この谷川で手を洗い口をすすぎ身を清めてから参拝しました。この谷は禊ぎの川、物忌の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。禊ぎの川だった「おものいみ川」が和泉式部の恋の話しと重なり、いつの頃から「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
「遅桜なほもたづねて奥宮 思ひ川渡ればまたも花の雨」 虚子
老杉が建ち並ぶ参道を歩いて行くと、参道脇にに貴船名石「つつみケ岩」がありました。高さ4㍍、重さ43㌧、胴回り9㍍もあります。
結社(中宮)から5分、本宮から結社でお参りしてますが、14分で奥宮の「神門」に着きました。ここの前に手水鉢がありますが、結社には無いので帰りも清める必要がありますね。
2017年(平成29年)9月25日以来の奥宮に入りました。先客は一組だけでしたが、このあとゾロゾロ多くの人が入って来られました。
神門を入って直ぐの左手に御神木「連理の杉」があります。1924年(大正13年)に貞明皇后(第123代大正天皇の皇后)参拝のおり賞賛された杉です。連理とは、別々の木が重なって一つになる意味で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいいます。
その根元には末社「日吉社」があります。御祭神は大物主命(おおものぬしのみこと・古伝では大山咋神)山の神として貴船山を守護。例祭は7月15日。
次に本殿に向かいますが、その本殿前には「拝殿」があり、その手前には本殿を守護するように、「狛犬」が鎮座しています。
奥宮は貴船神社が当初創建されたところで、御祭神は本宮と同じく水を司る神「高龗神(たかおかみのかみ)」です。一説には闇龗神(くらおかみのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られていると伝わります。
貴船神社創建の地であり、森に囲まれた神聖な場所です。御鎮座伝説に伝わる玉依姫命が乗った黃船は、人目に触れぬように石で包み囲んだと伝えられ、今も苔むして奥宮本殿の側に祀られています。 本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いており、その上に社が創建されました。龍穴は人目を忌むべき神聖なものから、誰も見ることが許されておらず、貴船神社の龍穴は日本三大龍穴のひとつとされています。
奥宮本殿の右隣には「権地(ごんち)」があります。ここは、本殿が修理の間に一時的に遷る場所がここです。
奥宮本殿の左には「船形石(ふながたいし)」がありました。案内によると、この船形の石積みは玉依姫御料の黄船を、人目を忌みて小石で覆ったと伝わり、航海する時、この小石を戴き携帯するれば海上安全と言われています。
その奥の末社「吸葛社(すいかずらしゃ)」は、祭神に味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っていますが、百太夫ともいう。御祭神に“鋤”という名のとおり、農耕の神として信仰が篤いともいわれています。
次ぎに御神木「桂」の足元には末社「鈴市社(すずいちしゃ)」がありました。御祭神に初代天皇である神武天皇の皇后である、媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいまずひめのみこと)を祀っています。
前途したとおり、ゾロゾロ多くの人が入って来られたので、8時53分に奥宮を神門から出て行きました。
時間的にもちょうど良い時間になったので本宮に戻ります。帰りも「思ひ川」を渡り、行きのときにスルーした末社に寄って行きます。
少し石段を登って、右が末社「私市社(きさいちしゃ)」で、御祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)。左が「林田社」で、御祭神が少彦名命。両社を併せ称し「二ツ社」といい、貴船神社の荒御魂を祀っています。
奥宮の最後に「相生の杉(御神木)」を撮りました。同じ根から生えた二本の杉で、樹齢は約1000年、相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味があります
ここから本宮に戻って、念願の御朱印をいただいて貴船を出て行った訳です。4年振りの貴船は楽しかったです。
【貴布禰総本宮 貴船神社 奥宮】
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