石川丈山作と伝わる庭園を見に「帰命山 蓮華寺」へ

岩倉 実相院門跡を出て、白川通りに出てから高野川沿いの若狭路に出ました。そしてほどなくして「帰命山 蓮華寺」の駐車場に車を止めて貰いました。友人に「帰命山 蓮華寺行ったことある?」と聞くと、「初めて」と言ったので、ここも寄って行くことにしました。私は2017年(平成29年)9月1日以来、3度目の訪問です。

IMG_1202.jpgIMG_1172.jpg駐車場には車は1台も止まってません。それで10時3分に「山門」をくぐると、パタパタと音がしてて・・・?。

IMG_1173.jpgIMG_1174.jpg山門を入ると、上からけたたましい音をたてて、銀杏が落ちてきました。住職さんが必至で拾われてて、先客の方も写真撮られてましたね。

この辺りは、秋になると真っ黄色に染まるんです。イチョウの葉も落ちて大変綺麗で、ここの見物の一つです。住職さんと友人の車・・・新車のため、銀杏を踏まないように歩き庫裏玄関へ。

IMG_1200.jpgIMG_1176.jpg銀杏を拾われていた住職さんが慌てて戻られ、受付してもらいました。拝観料400円を納めると・・・?。

2017年(平成29年)9月1日に来た時と同様に、「写真は書院内からだけにしてください」と案内されました。受付の次の部屋が仏間で、まず阿弥陀三尊が安置されており、ここでお参りします。そして、「書院」に入る訳です。

IMG_1177.jpgIMG_1178.jpgIMG_1179.jpgIMG_1186.jpgIMG_1187.jpgIMG_1188.jpgIMG_1189.jpg誰も居ないと思いこんでましたが先客がお一人。その方が写らないように「書院」を撮りました。

IMG_1185.jpgIMG_1180.jpgIMG_1183.jpgIMG_1182.jpg書院から「池泉鑑賞式庭園」を眺めます。秋には真っ赤に染まる庭園も、今はゆっくり鑑賞できますね。池の中には「舟石」も見えました。

撮影はできませんが、スリッパに履き替えて「本堂」に参りました。中央には本尊の釈迦如来像がお祀りされている厨子がありますが閉まっています。天井には、かつて狩野探幽が描いたとされる龍の図がありましたが、明治期に失われため、1978年(昭和53年)に西村公朝(愛宕念仏寺の住職)によって復元されました。その本堂の前には鎮守の社もありました。

IMG_1190.jpgIMG_1191.jpg書院に戻ると、次の予定があるので早々に出て行きました。庫裏から山門を見ると住職さんが銀杏広いされています

IMG_1193.jpgIMG_1194.jpgIMG_1195.jpg今でも多くの銀杏が落ちています。本堂前の鎮守の社の鳥居と、左「井戸屋形」、右「鐘楼」です。

IMG_1197.jpgIMG_1198.jpgIMG_1199.jpg境内の西側には、約300体もの石仏が祀られています。河原町通りの市電(当時は、路面電車)の敷設に伴う工事の際に土中より堀り出されたものだそうです。

IMG_1201.jpg銀杏を踏まないように注意し10時17分に山門を出て駐車場に戻りました。

天台宗。江戸初期の寛文年間(1661~73)加賀藩前田家の家老今枝重直が出家しこの地に居を構え石川丈山や狩野探幽らと交流を深めながら晩年を過ごした。重直の徳を慕った孫の近義が、重直を弔うため、元は元西八条塩小路付近(現在の京都駅付近)にあった浄土宗の古寺で、応仁の乱で荒廃していたのをこの地に移し、延暦寺実蔵坊の末寺とした再興したいわれる。再興にあたって石川丈山や狩野探幽、木下順庵、黄檗の木庵禅師などの当時の著名文化人が協力した。本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名。鐘楼には黄檗2世木庵禅師銘のある銅鐘がかかっている。庭園は左京区蓮華寺書院の東側から、清流を導いた奥行きのある池泉廻遊式で石川丈山作とも伝える。亀頭石、舟石が池に表情を与えている。

初めて来た友人には「紅葉を是非見に来て、見事だよ」と言っておきました。ただ今日みたいに空いていることは絶対にないけどね。そして大原に向け車は出発しました。

【帰命山 蓮華寺】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック