「安珍と清姫の物語」2代目の鐘がある妙満寺へ
昨年の友人と和歌山の「道成寺」に行きました。そこで「大宝殿(宝物館)」に入り、そこで道成寺に伝わる「安珍・清姫の物語」を鑑賞してきました。そこには「2代目鐘楼跡」があって、1359年(正平14年)に鋳造されたものの、清姫の恨みか音色が悪く、また近隣に疫病が流行ったこともあって、埋められました。のちに、豊臣秀吉の兵によって掘り出され京都岩倉の「妙満寺」に献納されたとあったので、本日誘ったわけです。
大原の竈炊き立てごはん土井 大原本店で朝食を済ませ、このまま帰るつもりが「岩倉 妙満寺に帰りに寄ってみる?」と聞くと「行こう」と言うことで、本日最後の訪問は、顕本法華宗総本山 妙満寺でした。
12時8分に妙満寺の駐車場に着きました。ただ驚いたことに広い駐車場が満車状態でしたね。今日は彼岸の中日、墓参に行かれるのでしょう。
「山門」に入るとき、第一駐車場を見てみました。ご覧のように多くの車が止まっています。2017年(平成29年)9月25日に来た時は、ガラガラだったのに。
山門を入って正面に「本堂」が、右手に「水屋」が、そして左に「鐘楼」があります。ここで4年振りに来たので妙満寺の復習です。
妙満寺は、顕本法華宗の総本山で、1389年(康応元年)日什大正師(にちじゅうだいしょうし)により、京都六条坊門室町坊門(現在の、烏丸五条あたり)に創建されました。日什大正師は、もと天台宗の僧侶でしたが、66歳の時に日蓮大聖人の御書を拝読して改宗、帝都弘通を志し、妙満寺を建てて根本道場としました。日什大正師の入滅後、弟子たちは当寺を法城として教線を拡げるが、応仁の乱をはじめ、度々の兵火に遭い、そのつど市内各地を移転。1583年(天正11年)には寺町二条に移され「寺町二条の妙満寺」として約400年親しまれました。街中の喧噪から離れるため、1968年(昭和43年)に「昭和の大遷堂」を挙行、岩倉の地に移転し今日に至っています。本坊の枯山水庭園「雪の庭」は、松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つに数えられています。
前回来てるので拝観受付所がある「本坊玄関」を入り、拝観料500円を納めます。ただ下駄箱には靴が一杯入ってて驚きで、何処に入れるか寺務所の方に聞いたほどです。
入ると、左手に行けば本堂に、右手に行けば「雪の庭」や「展示室」がありますが、私らは先に右手を進みました。お寺の方もお彼岸で忙しいのでしょう、特に案内は無かったです。
最初に「書院」に入りました。ここから「雪の庭」を見ることができます。友人は初めてだと言ってました。
俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1653)が造園した雪月花三名園の一つ。庭にはスリッパが用意されているので庭に降りてみました。
前回は降りてないので、初めて庭園を歩いて散策しました。以前寺町二条から移転された時、石組みをそのままに移築されたようです。
妙満寺の塔頭・成就院の住職であった日如上人は貞徳の門人であって、その縁からこの「雪の庭」を造営されたようです。清水寺本坊の「月の庭」(一説には祇園)、北野の「花の庭」(現存せず)とともに成就院にあった「雪・月・花の三名園」と名並び称されています。
このあと大書院の手前にある「宝物展示室」に行き、娘道成寺で有名な安珍清姫ゆかりの鐘や加藤清正肖像画、松永貞徳肖像画などの寺宝を見学させてもらいました。
1359年(正平14年)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた1585年(天正13年)「秀吉根来攻め」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰り、妙満寺へと納められました。
その鐘が令和3年10月24日~11月18日の期間、道成寺へお里帰りされるようです。約400年振りの里帰りですね。その期間は、拝観料も300円にされるみたいです。
展示室のあと、書院を通って拝観受付所まで戻り、本堂に向かいます。拝観者は私らだけですが、けいだいには多くの人が来られてました。
私らが本堂に入ったのが12時22分でしたが、この日の11時より本堂にて秋季彼岸中日法要をされてました。そして法要後は、会場を信行道場に移して土持栄孝上人による法話が行われていたようです。何か僧侶の方が忙しそうに行き来されているなぁ・・・と思ってました。堂内は撮影禁止でしたが堂内に入ってお参りできました。
本堂の前に行くと「本堂より振り向いてください、比叡山が正面に見えます」と書いてあります。2017年(平成29年)9月25日に来てるのに忘れてました。雄大な霊峰比叡山が綺麗に見えました。
12時27分に玄関を出て「本堂」を下から見に来ました。拝観料を納めないと堂内には入れないようになってますね。
次にインドブッダガヤ大塔を模した「仏舎利塔」も見に来ました。1973年(昭和48年)檀信徒の寄進により建立されました。塔の最上階には古くから伝わる仏舎利が納められています。こちらは内部も見られますが、2017年(平成29年)9月25日に入っているので外観だけにしました。
こちらの石碑には「中川の井」と書かれてます。京の七名水の一つといわれ、元は寺町二条の旧妙満寺境内にありました。妙満寺が岩倉に移転したのに伴って石碑もこの地に移されましたようですね。
こちらは「五条大橋橋脚石」で、天正年間(1573~92)豊臣秀吉公の命により架けられた五条大橋の橋脚の一部。正面にかすかに「津国御影」と刻んだ文字の一部が浮かぶ。摂津の国(現在の神戸市)からはるばる運ばれたものである。京都国立博物館の庭にも同様の橋脚石が据えられている。(当時の五条大橋は現在の松原通りにあった)
12時35分に、妙満寺第一駐車場を出て行きました。HPによると「雪の庭」が改修工事されるようで、2022年(令和4年)1月から3ケ月の期間、庭は見られるようですが風景は変わるでしょう。
2017年(平成29年)9月25日と本日、来て見ましたが、つつじ園でのツツジも見てみたいです。朝から貴船、大原と周り今日も疲れたので、これで家まで送って貰いました。
【妙満寺】
大原の竈炊き立てごはん土井 大原本店で朝食を済ませ、このまま帰るつもりが「岩倉 妙満寺に帰りに寄ってみる?」と聞くと「行こう」と言うことで、本日最後の訪問は、顕本法華宗総本山 妙満寺でした。
12時8分に妙満寺の駐車場に着きました。ただ驚いたことに広い駐車場が満車状態でしたね。今日は彼岸の中日、墓参に行かれるのでしょう。
「山門」に入るとき、第一駐車場を見てみました。ご覧のように多くの車が止まっています。2017年(平成29年)9月25日に来た時は、ガラガラだったのに。
山門を入って正面に「本堂」が、右手に「水屋」が、そして左に「鐘楼」があります。ここで4年振りに来たので妙満寺の復習です。
妙満寺は、顕本法華宗の総本山で、1389年(康応元年)日什大正師(にちじゅうだいしょうし)により、京都六条坊門室町坊門(現在の、烏丸五条あたり)に創建されました。日什大正師は、もと天台宗の僧侶でしたが、66歳の時に日蓮大聖人の御書を拝読して改宗、帝都弘通を志し、妙満寺を建てて根本道場としました。日什大正師の入滅後、弟子たちは当寺を法城として教線を拡げるが、応仁の乱をはじめ、度々の兵火に遭い、そのつど市内各地を移転。1583年(天正11年)には寺町二条に移され「寺町二条の妙満寺」として約400年親しまれました。街中の喧噪から離れるため、1968年(昭和43年)に「昭和の大遷堂」を挙行、岩倉の地に移転し今日に至っています。本坊の枯山水庭園「雪の庭」は、松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つに数えられています。
前回来てるので拝観受付所がある「本坊玄関」を入り、拝観料500円を納めます。ただ下駄箱には靴が一杯入ってて驚きで、何処に入れるか寺務所の方に聞いたほどです。
入ると、左手に行けば本堂に、右手に行けば「雪の庭」や「展示室」がありますが、私らは先に右手を進みました。お寺の方もお彼岸で忙しいのでしょう、特に案内は無かったです。
最初に「書院」に入りました。ここから「雪の庭」を見ることができます。友人は初めてだと言ってました。
俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1653)が造園した雪月花三名園の一つ。庭にはスリッパが用意されているので庭に降りてみました。
前回は降りてないので、初めて庭園を歩いて散策しました。以前寺町二条から移転された時、石組みをそのままに移築されたようです。
妙満寺の塔頭・成就院の住職であった日如上人は貞徳の門人であって、その縁からこの「雪の庭」を造営されたようです。清水寺本坊の「月の庭」(一説には祇園)、北野の「花の庭」(現存せず)とともに成就院にあった「雪・月・花の三名園」と名並び称されています。
このあと大書院の手前にある「宝物展示室」に行き、娘道成寺で有名な安珍清姫ゆかりの鐘や加藤清正肖像画、松永貞徳肖像画などの寺宝を見学させてもらいました。
1359年(正平14年)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた1585年(天正13年)「秀吉根来攻め」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰り、妙満寺へと納められました。
その鐘が令和3年10月24日~11月18日の期間、道成寺へお里帰りされるようです。約400年振りの里帰りですね。その期間は、拝観料も300円にされるみたいです。
展示室のあと、書院を通って拝観受付所まで戻り、本堂に向かいます。拝観者は私らだけですが、けいだいには多くの人が来られてました。
私らが本堂に入ったのが12時22分でしたが、この日の11時より本堂にて秋季彼岸中日法要をされてました。そして法要後は、会場を信行道場に移して土持栄孝上人による法話が行われていたようです。何か僧侶の方が忙しそうに行き来されているなぁ・・・と思ってました。堂内は撮影禁止でしたが堂内に入ってお参りできました。
本堂の前に行くと「本堂より振り向いてください、比叡山が正面に見えます」と書いてあります。2017年(平成29年)9月25日に来てるのに忘れてました。雄大な霊峰比叡山が綺麗に見えました。
12時27分に玄関を出て「本堂」を下から見に来ました。拝観料を納めないと堂内には入れないようになってますね。
次にインドブッダガヤ大塔を模した「仏舎利塔」も見に来ました。1973年(昭和48年)檀信徒の寄進により建立されました。塔の最上階には古くから伝わる仏舎利が納められています。こちらは内部も見られますが、2017年(平成29年)9月25日に入っているので外観だけにしました。
こちらの石碑には「中川の井」と書かれてます。京の七名水の一つといわれ、元は寺町二条の旧妙満寺境内にありました。妙満寺が岩倉に移転したのに伴って石碑もこの地に移されましたようですね。
こちらは「五条大橋橋脚石」で、天正年間(1573~92)豊臣秀吉公の命により架けられた五条大橋の橋脚の一部。正面にかすかに「津国御影」と刻んだ文字の一部が浮かぶ。摂津の国(現在の神戸市)からはるばる運ばれたものである。京都国立博物館の庭にも同様の橋脚石が据えられている。(当時の五条大橋は現在の松原通りにあった)
12時35分に、妙満寺第一駐車場を出て行きました。HPによると「雪の庭」が改修工事されるようで、2022年(令和4年)1月から3ケ月の期間、庭は見られるようですが風景は変わるでしょう。
2017年(平成29年)9月25日と本日、来て見ましたが、つつじ園でのツツジも見てみたいです。朝から貴船、大原と周り今日も疲れたので、これで家まで送って貰いました。
【妙満寺】
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