「うちわ御朱印」妙心寺塔頭 養徳院へ

臨済宗妙心寺派大本山妙心寺山内の「大雄院」「桂春院」「養徳院」が、「三ヶ寺コラボレーション」と題して「うちわ御朱印」を9月2日~5日に100枚限定授与されるニュースを京都新聞のHPで知りました。さっそく予約サイトである大雄院のHPから予約を試みましたが、9月2日(木)の15時から16時しか空きが残ってません。午後から出掛けるのは殆どありませんが、それしか空いてないので、その時間に予約した訳です。

そして当日です・・・前日までの天気予報は、秋雨前線が南下してくるので雨降りの予報でした。前日の夜から雨が降り始めたので、ひょっとしたら、午後から雨が上がるかなぁ・・・と、期待していると、時間別天気予報も雨から曇りに変わりました。それで昼頃に雨が上がりましたが、念のために再び時間別天予報を見ると、再び14時30分頃から雨降りと変わってます。14時30分に、私が家を出る頃には予報通り雨降りとなりました・・・と言うより土砂降りです。市バスで行く予定にしてましたが、この大雨のためタクシーを利用。タクシーで妙心寺総門前まで降りると・・・土砂降りは変わってません。この時間しか空いて無かったので仕方ないけど、この大雨は余計でしたね

IMG_9630.jpg総門前で降りたので、門の中から境内を撮りました。ただ、前方から軽トラックが来たので私は避けることに・・・

IMG_9631.jpg石畳を歩いて行くと、右手には浴室明智風呂」があります。2020年(令和2年)1月31日に「第54回 京の冬の旅」で内部を見せて貰いました。

IMG_9632.jpgIMG_9633.jpg先般、法堂内にある国宝「黄鐘調鐘」を見ました。現在の梵鐘は2代目だそうで、それを見てなかったので「鐘楼」に寄りました。それより雨が強くて・・・服も濡れてしまいます。

IMG_9636.jpgその向かいにある「仏殿」で、こちらも2020年(令和2年)1月31日に「第54回 京の冬の旅」で内部を見せて貰いました。

IMG_9637.jpgIMG_9639.jpg次に、先般内部を見ながら写真を撮った重要文化財に指定されている「大庫裏」を外から撮るため寄りました。

この時、14時50分で拝観受付時間の15時まで、あと10分となりました。本当は、もう少し寄って行く所もあったんですが、この大雨のため、受付寺院である養徳院に向かうことに。靴が、そして靴下がズボンが濡れないようにゆっくり歩いて行きます。そして雨が上がってくれないなぁ・・・と思い妙心寺山内の境内を歩いて行き、受付場所がある妙心寺塔頭 養徳院に14時57分に着きました。この養徳院は通常非公開で、2017年(平成29年)2月17日の「第51回 京の冬の旅」で公開されたので入ってます。

この日の「うちわ御朱印」は、最初に養徳院に行きうちわ御朱印代金4000円を納めます。この団扇が拝観券の代わりになり、そのあと大雄院、桂春院と回るシステムです。そして、この「うちわ御朱印」を申し込んだ人のみ、各寺院1000円で直書き御朱印を合わせていただけます。私は、朱印帳を持参でやって来ました。

IMG_9640.jpgIMG_9641.jpg土砂降りの雨の中、ようやく「山門」に着きました。受付は何処かなぁ・・・と思い来ましたが、表に看板が出てました。

「うちわ御朱印」は、9月2日(木)~5日(日)までの4日間。時間は10時~11時、11時~12時、13時~14時、14時~15時、15時~16時で、各5名。合計100名限定のイベントです。

IMG_9642.jpgIMG_9647.jpg山門をくぐり、玄関から靴を脱いで上がります。そして奥に進むと副住職さんが受付をされてて名前を言って「うちわ御朱印」代金と、御朱印代金1000円を納めました。

IMG_9658.jpg団扇は直ぐに渡されますが、朱印帳は時間がかかるようでした。私が入る頃にお一人が出て行かれ、先客が2名。そして私の後から1名入って来られたので計5名ですね。

IMG_1454.jpg私の朱印帳に直書きです。1冊づつ丁寧に書かれるので時間がかかるわけです。

副住職さんに「写真は良いです?」と尋ねると、「何処を撮って貰っても良いですよ」と。それと「冷えた梅水を用意してあるので飲んで下さい」と言われたので、少しぱかり休憩です。

IMG_9660.jpgIMG_9648.jpgIMG_9649.jpgこの部屋で、冷たい梅の飲みの物をいただきました。ただじっと座っているのは性に合わないので、堂内をウロウロ

IMG_9654.jpgIMG_9653.jpgIMG_9655.jpgこちらは「仏間」です。ご本尊は、釈迦如来三像(中央に釈迦如来像と右に白像に乗られた普賢象菩薩像と、左に獅子に乗られた、文殊菩薩像)が祀られてて、その左横に石河家代々の位牌、右には住職代々の位牌が安置されてました。

妙心寺塔頭寺院である養徳院は、1583年(天正11年)織田信長や豊臣秀吉に仕えた重臣の石河光重(いしこみつしげ)が、父・光延(みつのぶ)の菩提を弔うために創建されました。開祖は妙心寺六十七世・功沢宗勲(こうたくそうくん)で、宗勲も光延の子で、光重とは兄弟でした。功沢宗勲のあとを嗣いだ水庵宗掬(すいあんそうきく・妙心寺七十三世)(心華霊明禅師)も石河(いしこ)氏出身でした。石河家は美濃鏡島城(かがしまじょう)の城主でした。しかし現在、城は残っていませんが、石河家の菩提寺であった乙津寺(おっしんじ)は現存しています。その乙津寺住職で、妙心寺五十三世をつとめたのが蘭叔玄秀(らんしゅくげんしゅう)でした。当初は現在の妙心寺小方丈の北に位置し、広大な領地を有してました。しかし、次第に規模は縮小しましたが、1859年(安政6年)に再興され、その後1935年(昭和10年)に現在地に移され現在に至っています。

IMG_9650.jpgIMG_9656.jpgIMG_9652.jpgIMG_9651.jpg副住職さんが、丁寧に一つ一つの朱印帳に書かれるので時間がかかります。私で3番目でしたので、先に庭園を見せて貰います。

IMG_9643.jpgIMG_9644.jpgIMG_9645.jpgIMG_9646.jpg山門前には「水琴窟」もありましたが、この雨ですし聞けませんでした。このあと本堂裏の庭園に向かいます。

IMG_9662.jpgIMG_9663.jpgIMG_9664.jpgIMG_9665.jpgIMG_9666.jpgIMG_9667.jpgIMG_9668.jpgIMG_9669.jpgIMG_9670.jpgIMG_9671.jpg第51回 京の冬の旅で来た時と庭園は変わって無かったです。ただ、本堂横に書院でしょうか新築されてましたね。

IMG_9672.jpgIMG_9673.jpg雨が降っているので、写真を撮っただけで直ぐに本堂に戻ると、御朱印が出来てました。それをいただいて、ここを出て行きます。

団扇御朱印は、各寺で1文字ずつ御朱印の授与を受け、裏面には「向かい鶴」の寺紋が描かれています。今回、記念すべき第一回は「涼一味」の三文字を三ヶ寺で一字ずつ扇面に授与されます。団扇の反対側の扇面には三ヶ寺共通の紋「向かい鶴」があしらわれ、持ち手にはこの三ヶ寺が水庵禅師の徒弟(お弟子))であるということから「水庵」という焼き印が押印されています。 「涼一味」とは暑さの中にあって、駆け抜ける一陣の風の有難さを表した言葉です。

15時14分頃に、久し振りに訪問した養徳院を出て行きました。次は大雄院で、東隣にあります。ただ雨は止みません。

【妙心寺塔頭 養徳院】

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