「天井雲龍図」特別公開 臨済宗大本山建仁寺塔頭 霊源院へ

建仁寺本坊を出て、「天井雲龍図特別公開」をされている建仁寺塔頭 霊源院に向かいました。ここの開門が11時からで、その時間に合わせて建仁寺本坊で時間をつぶしていた訳です

IMG_2035.jpgIMG_2037.jpg思い出の建仁寺境内を歩いて霊源院に10時58分に着きました。まだ門は閉まってましたね。

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通常非公開の霊源院ですが、最近は特別公開を度々されています。緊急時代宣言下のため、なかなか行けませんでしたが、やっと来られました

時計が11時を指すと、雲林院宗碩(うんりんいんそうせき)住職さん自ら門を開けられました。開門時間に待っていたのは私だけで、直ぐに入るように案内されます。

IMG_2039.jpgここには2017年(平成29年)6月9日以来です。他には2015年(平成27年)10月8日2013年(平成25年)11月にも来てたので、今日で4回目です

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こちらは「福耳地蔵」です。Facebookには「もし拝観にお越しになった際は、お地蔵さんの福耳を触って帰って下さい。」と書いてありました。

後程、庭園をみますが、私が訪問していた時と大きく変えられました。それも楽しみの一つで、入ると拝観受付所があって、拝観料500円を納めると、さっそく住職さんから簡単な案内が始まりました。

IMG_2040.jpgIMG_2042.jpg案内が終わると、「さぁ、お写真撮って下さいよ」とご住職さんに言われたので、即撮りました

この雲龍図は、中国人アーティスト陳漫(チェンマン)さんが書かれたのもので、ご住職が北京で陳漫さんが書かれた龍の水墨画を見られ、直接「雲龍図」の作成を依頼されたようです。2019年に依頼したが、コロナ禍のため約2年かかって完成したものが送られて来たそうです。このあと、天井画として貼られるようです。なお、陳漫さんが12月に来日され屏風を書かれるようです。「その模様が来年の2月にNHKで放送されるので、楽しみにしていて下さい。また、来年からは日本で活躍されるので楽しみにしてください。」とご住職がお話されてました

IMG_2043.jpg次に、2020年(令和2年)に完成した令和の庭「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」の庭の案内です。この庭から人が増えて・・・ざっと6名程度でしょうか。

IMG_2045.jpgIMG_2058.jpg2017年(平成29年)6月9日で見た「甘露庭」から大きく変わりました。このあと、ご住職が庭に降りて庭についての案内を始められました。

IMG_2049.jpgご住職が庭に降りて、ホースに水をやりながら案内をされます。私は縁側に足を出して聞きました。

この庭は、2020年(令和2年)4月15日に完成したばかりで、昨年は今川義元生誕500年記念で、義元はここで修行し出家したとされ庭園も公開されました。この庭を造ったのは、足立美術館の庭園を手掛けた中根金作氏の孫である中根行宏・中根直紀(中根庭園研究所)氏で、この庭園がデビュー作です。この庭の名前が「鶴鳴九皐」といい、深い沢で鶴が鳴けば天下に響く・・・お釈迦さんの教え世界に響くという意味が込められた庭です。

IMG_2050.jpg今、ご住職が水を掛けられた所が、お釈迦さんが生まれたインド大陸をあらわす。その岩はヒマラヤ山脈を表しているとか。

その葉っぱは、甘茶でお釈迦さんが生まれたとき、龍が天から甘茶を降らせた故事によるもの。この本堂でも11月16日から天井に雲龍図が架かる・・・その龍が、この甘茶を降らせたと言うことで物語りが完成すると言われてました。余談ですが、ヤマアジサイの変種である甘茶の葉っぱは大変甘く、これにお湯を掛けて飲むと美味しいとのことで、5月頃に青い花を咲かせます。

IMG_2047.jpg今川義元の地元、浜松から義元ゆかりの寺から持って来られた石は、中国の少林寺という山を表しています。

IMG_2052.jpgIMG_2051.jpgその麓に、達磨が居ます。少林寺で9年間壁に向かって座禅修行され、手も足も腐れ散ってということで、達磨には手足が無い・・・その前が舩石で、その舩石に達磨の教えが乗っかって東シナ海から日本に伝わったということを表してます。

IMG_2053.jpgIMG_2056.jpgIMG_2055.jpg次にご住職が移動された先が、お茶の木で上海を表しており、手前が台湾だそうです。

何故、上海かと言うと850年前に建仁寺を開いた栄西が上海に行ったとき発熱されました。ところが上海のお茶を飲んだら治ったということで、栄西は日本にお茶を持ち帰り広め、それが宇治茶になったと。このお茶の木は、祇園の辻利さんに植えて貰ったとのことです。

IMG_2059.jpgIMG_2058.jpgIMG_2060.jpgまとめ、左からインド、スーダン、中国、上海、台湾、そして日本とこの庭園で表現されてます。この流れでお茶と禅が伝わったんですね。仏教の伝来を表現する庭園に生まれ変わってました。

IMG_2068.jpg次に床の間に移動して、この掛け軸・・・「達磨図」の案内です、550年前に中国明の国で書かれてもので、細川幽斎が輸入しました。

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この顔はインド人の顔です。今から1500年前に南インドで生まれた達磨さんは聖徳太子と同年代で生まれた。その達磨さんがインドから日本に座禅を伝えた訳です。

IMG_2061.jpg大名が来られたら、この床の間から綺麗に見えるように作庭家は、庭を造られるので、ここから庭を眺めて下さいと案内されました

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鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」、先程、住職さんから由来を聞きました

IMG_2063.jpg最後に、書き置きの御朱印をいただきました。ご住職が案内されるので、書く時間が無いのかも知れません。数が多いので、どれにするか迷いましたね

最後に、11月16日から、第二弾の天井画の龍の公開があります。(天井画の龍は只今北京のアトリエにて製作中だそうです)、祇園佐々木さんと祇園辻利さんとのコラボのお菓子は第二弾公開時に行われます。30名限定で1週間程度と言われてました。

京都最古の禅宗寺院として名高い建仁寺の塔頭寺院 霊源院は、応永年間(1394〜1428年)、龍山徳見和尚を勧請開山として、その弟子である一庵一麟によって創建。鎌倉時代末期から室町時代にかけ、京都五山と鎌倉五山の禅僧たちによって栄えた漢文学・五山文学の最高峰寺院とされました。「建仁寺の学問面」の中核を担ったこの寺院から、室町時代の五山派を代表する学僧が数多く輩出されました。寺宝は今川義元の書状、織田信長筆書状、義元と太原雪斎の師となる常庵龍崇(じょうあんりゅうすう)筆偈頌(げじゅ)、千利休筆書状、細川幽斎筆書状、狩野山楽筆「布袋像」など。

IMG_2070.jpg11時18分に霊源院を出て、本日予約しているレストランに向かいますが、足が疲れているのでタクシーに乗ろうかなぁ・・・と、思い建仁寺の西門を出て、大和大路通りに出ましたがタクシーは来ないですね。スマホから呼ぶことも出来たんですが、このまま歩いて行くことにしました。

【建仁寺塔頭 霊源院】

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