京都市指定史跡に指定された南禅寺「水路閣」へ
10月22日(金)の天気予報は、あまり良く無かったです。それでも南禅寺に当初から行くことを決めていたので、鞄に折りたたみの傘を入れて出掛けた訳です。
地下鉄東西線蹴上駅で電車を下車し、地上に上がってくると快晴です。良い方に外れたのは良いことでしたが、傘が余計ですよね。
蹴上駅の地上に上がると三条通りに出ます。北に少しだけ上がると蹴上インクラインの下を通ると「ねじりまんぼ」と呼ばれるトンネルがあります。
1886年(明治21年)に完成した高さ3㍍、長さ180㍍のトンネルで、上部のインクラインの重量に耐えられるように、螺旋状に煉瓦が積まれており、渦を巻いているように見えます。トンネルの東西には、トンネルの完成を祝い京都府知事が揮毫した扁額が残っています。西口には「雄観奇想」、東口には「陽気発処」と書いてありました。
南禅寺に向かって歩いて行く途中に、非公開の「何有荘」「大寧軒」の前を通り、今日最後の訪問に予定している「金地院」も通過します。
それで突き当たりに門がありますが、こちらは金地院の「下乗門」です。南禅寺の方から金地院に行くときに通る門だそうです。
その門は潜らず、迂回すると「南禅寺中門」があって、そこから右手に進みます。
ゆっくり歩いて「三門」までやって来ました。この時8時36分で、拝観開始の8時40分には時間があるので、先を進みます。
次に見るのが「法堂」です。新入社員のとき入社式の翌日に、ここ南禅寺で研修があって、法堂内で座禅をしたことがあります。ただ殆ど覚えてません。
今日は、「南禅寺 本坊」、「南禅院」、「南禅寺 三門」、「天授庵」、「金地院」と回る予定にしてます。最初の本坊ですが、8時40分拝観開始ですが、まだ入口が閉まったままです。先に南禅寺 水路閣を見て行きます。
「史跡琵琶湖疎水の水路閣」は、1885年(明治18年)に起行され、1890年(明治23年)に竣工さたれ明治の遺産です。
この水路閣は、延長93.17㍍、幅4.06㍍、水路幅2.42㍍、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つ。また、ここから西500㍍にあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。いすれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、1983年(昭和58年)7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。また、1996年(平成8年)6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疎水の第1・第2・第3隧道の各出入口、第1竪坑、第2竪坑、1903年(明治36年)に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、1904年(明治37年)架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。
この水路閣を見たのは、2015年(平成27年)2月20日以来でした。この時、時計は8時40分を回ったので、南禅寺の本坊に向かいました。
【南禅寺 水路閣】
地下鉄東西線蹴上駅で電車を下車し、地上に上がってくると快晴です。良い方に外れたのは良いことでしたが、傘が余計ですよね。
蹴上駅の地上に上がると三条通りに出ます。北に少しだけ上がると蹴上インクラインの下を通ると「ねじりまんぼ」と呼ばれるトンネルがあります。
1886年(明治21年)に完成した高さ3㍍、長さ180㍍のトンネルで、上部のインクラインの重量に耐えられるように、螺旋状に煉瓦が積まれており、渦を巻いているように見えます。トンネルの東西には、トンネルの完成を祝い京都府知事が揮毫した扁額が残っています。西口には「雄観奇想」、東口には「陽気発処」と書いてありました。
南禅寺に向かって歩いて行く途中に、非公開の「何有荘」「大寧軒」の前を通り、今日最後の訪問に予定している「金地院」も通過します。
それで突き当たりに門がありますが、こちらは金地院の「下乗門」です。南禅寺の方から金地院に行くときに通る門だそうです。
その門は潜らず、迂回すると「南禅寺中門」があって、そこから右手に進みます。
ゆっくり歩いて「三門」までやって来ました。この時8時36分で、拝観開始の8時40分には時間があるので、先を進みます。
次に見るのが「法堂」です。新入社員のとき入社式の翌日に、ここ南禅寺で研修があって、法堂内で座禅をしたことがあります。ただ殆ど覚えてません。
今日は、「南禅寺 本坊」、「南禅院」、「南禅寺 三門」、「天授庵」、「金地院」と回る予定にしてます。最初の本坊ですが、8時40分拝観開始ですが、まだ入口が閉まったままです。先に南禅寺 水路閣を見て行きます。
「史跡琵琶湖疎水の水路閣」は、1885年(明治18年)に起行され、1890年(明治23年)に竣工さたれ明治の遺産です。
この水路閣は、延長93.17㍍、幅4.06㍍、水路幅2.42㍍、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つ。また、ここから西500㍍にあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。いすれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、1983年(昭和58年)7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。また、1996年(平成8年)6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疎水の第1・第2・第3隧道の各出入口、第1竪坑、第2竪坑、1903年(明治36年)に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、1904年(明治37年)架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。
この水路閣を見たのは、2015年(平成27年)2月20日以来でした。この時、時計は8時40分を回ったので、南禅寺の本坊に向かいました。
【南禅寺 水路閣】
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