天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ「青蓮院門跡」の庭園へ

天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ「青蓮院門跡」の堂内を散策したあとは、庭園に降りることができます。ここではスリッパでは無く、下駄箱に戻って自分の靴を待って来て履き替え、庭園に降りるわけです。

IMG_1847.jpg先程、この屏風の前の廊下を通って「華頂殿」から「宸殿」に向った訳です。降りたら正面から見られました

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華頂殿から小御所に向かう、渡り廊下の下を通って、「相阿弥作の庭」に出られます。頭に気をつけて潜って見ると・・・?。

IMG_1849.jpg最初に見るのは「華頂殿」です。先程まで人が居たのに、この時は誰も居ません。ラッキーでした

IMG_1850.jpgこちらは庭から見た「小御所」です。

IMG_1851.jpgIMG_1852.jpgIMG_1853.jpgIMG_1855.jpgこの庭の中心にある池を「龍心池」といい、花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を「跨龍橋」と呼びます。その奥には「洗心滝」があって、池の中央の大石は、あたかも沐浴する龍の背のように造られています。

池には、優雅に錦鯉が泳いでいます。ここも秋の紅葉は見事でしたね。そして、次に作者が変わる庭園を目にします。

IMG_1856.jpgIMG_1857.jpgIMG_1858.jpgIMG_1859.jpgIMG_1860.jpgこちらの庭園は小堀遠州作と伝わる「霧島の庭」です。5月のGWの頃、一面に植えられたキリシマツツジが真っ赤に染まるそうですね。

IMG_1861.jpgIMG_1862.jpgIMG_1863.jpgIMG_1864.jpgIMG_1866.jpgこのあと、山裾の斜面を上がって行くと、茶室好文亭」があります。毎年春と秋に特別拝観期間があって、お茶室を特別に見ることができます。拝観料は1000円(お点前は抹茶、または煎茶、菓子付)です。

後桜町上皇が仮御所と青蓮院門跡に来られたとき、好文亭は、御学問所として使われてましたが、明治以降は茶室として利用されてました。1993年(平成5年)に焼失するも、1996年(平成7年)に復興しました。興味はありますが、お茶の作法を知らないので敷居が高いですね

IMG_1867.jpgこの茶室「好文亭」から先が「大森有斐の庭」です。大森有斐(おおもりゆうひ)は、江戸時代中期の茶人でした。

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ここから石段を登ると、下界に「相阿弥作の庭」が見えました。何組かの方が庭に入られたようですね。

IMG_1870.jpgIMG_1871.jpgすっかり忘れてましたが、石段を登った先には「日吉社」「稲荷社秋葉社」がありました。

この日吉社は、慈円が信仰し勧請した十禅師社で、応仁の乱後は1605年(慶長10年)に再興され、度々の修理を経て今日に至っている。日吉山王の神は天台宗の守護神として古い天台の寺には必ず祀られている。

IMG_1872.jpgIMG_1874.jpgIMG_1875.jpg日吉社から降りてくると、先程堂内に入った「熾盛光堂(本堂)」に出て来ます。そしたら「聖天堂」の全景を見られました

IMG_1876.jpgIMG_1877.jpg先程堂内に入りましたが、下からでも少しだけ垣間見えます。本尊「熾盛光如来」の曼荼羅(秘仏)、国宝の青不動画像(複製写真)、薬師如来、日光月光菩薩、十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像が安置されてます。

IMG_1881.jpgこのあと、西に進むと、「熾盛光堂(本堂)」を正面から見ることができます。三間、宝形造の小堂ですね。

IMG_1882.jpg庭園の散策も最後に「宸殿」前に出てきます。入母屋造、桟瓦葺きの、最も大きな建物。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。1893年(明治26年)に焼失後復興されました。

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こちらは、京都市登録天然記念物「青蓮院のクスノキ」です。親鸞聖人お手植えとも伝わるものの、クスノキ現在の境内の地割に沿って生育していることから12世紀以降に植樹されたものと考えられています。

IMG_1886.jpgここら見ると「宸殿」前の「右近の橘」「左近の桜」が良く見えます。

IMG_1887.jpgIMG_1890.jpgIMG_1889.jpgそのクスノキの横に、自由に鐘がつける「鐘楼」がありました。連打禁止ですので、一回だけ思い切り撞かして貰いました

IMG_1891.jpgIMG_1893.jpgこのあと、後続の方に追いつかれたですが、その方も鐘を撞かれてました

IMG_1894.jpg宸殿前にある「四脚門」です。第109代明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもので、1893年(明治26年)の火災をまぬがれている。

IMG_1895.jpgこちらは「親鸞聖人童形像」で、1181年(養和元年)親鸞聖人9歳の時、慈鎮和尚のもで青蓮院門跡にて得度された時のお姿だそうです。

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その親鸞聖人の歌碑で「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と書かれてました。

IMG_1899.jpgこちらが内部を見損ねた宸殿の先にある「大玄関(車寄せ)」です。青蓮院の正式の玄関です。

IMG_1900.jpgそして、ここが出口です。スリッパではなく、自分の靴を履いて降りるのはこのためでした。

IMG_1901.jpgIMG_1904.jpg帰りに「植髪堂(うえがみどう)」に寄りました。ここの案内版を読んでいると、偶然通られた僧侶の方に、この寺の由緒を教えていただきました。有難かったです。

親鸞聖人が9歳で得度された折、剃髪した髪の毛を母親が大切に残されてて、その髪を像の頭上に植え付けられたのが祀られていると教えて貰ったわけです。急ぐので堂内にははいりませんでしたがお参りはさせて貰いました。

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植髪堂と薬医門の間にある石碑には「粟田陶隠木米記念碑」と書かれています。青木木米(あおきもくべい)は、江戸後期を代表する京都の文人陶工、南画家。青蓮院宮粟田御所の御用焼物師となり、主に煎茶器を制作されたようです。

IMG_1907.jpg拝観入口の手前右手に「長屋門」があって、この日は工事中のようでした。先に紹介した四脚門同様、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの。

IMG_1908.jpgこちらも京都市登録天然記念物「青蓮院のクスノキ」で、5本あるうちの2本を紹介しました。

IMG_1910.jpg9時44分に、青蓮院門跡を出て行きました。今日は地下鉄で来ましたが、この前に数台止められる駐車場ありましたね。車でも来られるみたいです。

次の目的地は、安井金比羅宮を経由して建仁寺に向かう予定です。歩いて約20分ぐらいかかるので、歩くタクシーか迷う所です。

【青蓮院門跡】

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