「モダン建築の京都」京都市京セラ美術館へ
京都市京セラ美術館で、京都市京セラ美術館開館1周年記念展として「モダン建築の京都」が、9月25日~12月26日の日程で開催されていたことを10月26日(火)放送のNHK「ニュース630 京いちにち」を見ていて知りました。チケットをWEBで購入し(通常より100円引き)、10月28日(木)に早速行ってきました。
自宅を車で出て、「京都市京セラ美術館駐車場」に9時55分に入庫しました。天気予報は悪くなかったんですが、朝からずっと曇ってます。
駐車場を出て美術館正面に行く頃には10時となり、多くの方が入館されていきます。
ここ京都市京セラ美術館では、いつくもの展覧会をやられてて、「モダン建築の京都」の会場は、新館 東山キューブでした。案内してもらい分かりましたが、入口からは北東角のようです。
入ると、1階にあがり中央ホールを横切ります。すると七代目小川治兵衛作庭の日本庭園が目に飛び込んできます。
日本庭園の北側が東山キューブで、岡崎通りが見える所まで行き、そこに受付がありました。入口でスマホの画面を見せやっと入れた訳です。
この展覧会では、写真撮影はカメラマークが書いてあるのはOKだと、入口で教えて貰いましたが文字が小さい・・・。
SECTION1「古都の再生と近代」から見て行きます。京都は明治に入り東京遷都により衰退し、官民が一致して復興に取り組む・・・そんな京都の再生を成し遂げた展示品をゆっくり鑑賞です。
「展示プロジェクト」 第四回内国勧業博覧会と平安神宮、琵琶湖疎水と旧御所ポンプ室、京都市明倫尋常小学校(現・京都芸術センター)、島津製作所河原町旧本社(現・フォーチュンガーデン京都)。
SECTION2「様式の精華」では、本格的な様式建築が京都を飾り始めます。それは明治後期でした。庁舎や銀行、邸宅などにバロック、ルネッサンス、チューダー、スパニッシュといった多様な様式が導入した結果、豊かな様式建築に出会えます。
「展示プロジェクト」 帝国京都博物館(現・京都国立博物館)、京都府庁旧本館、長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)、下村正太郎邸・中道軒(大丸ヴィラ)、旧外務省東方文化学院京都研究所。
「両切たばこ〈ヒーロー〉看板」、「花台」(京都市指定有形文化財・長楽館所蔵)、「ロココ調のS字椅子」(長楽館所蔵)、「チッペンデール様式の椅子」(長楽館所蔵)。ここでは、実際に座って記念写真が撮れます。私は座らなかったけど。
「螺鈿細工の椅子」(京都市指定有形文化財・長楽館所蔵)。
SECTION3「和と洋を紡ぐ」では、日本が西洋建築を学び始めた明治初期からヨーロッパを始め中国、中東などの要素を取り込んだ多様な建築、和と洋を折衷した建物は京都こそ相応しい。
「展示プロジェクト」 真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院)、京都大倉別邸(現・大雲院)、京都市庁舎本館、聴竹居(藤井厚二郎邸)、大札記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館)。
ここでは、以前訪れた「聴竹居」の模型が展示してありました。ガイドさん付きでゆっくり鑑賞したことを思い出しました。
こちらも「聴竹居」にあったインテリア「客室 枕付肘掛椅子」(藤井厚二デザイン)が展示されてました。覚えないけどね。
建築家・藤井厚二氏の「聴竹居スケッチブック」(左)と「日記」(右)の展示です。
こちらのコーナーには藤井厚二の著書「日本の住宅」の原稿や、「伊東忠太の講義ノート」がありました。伊東忠太は、東京帝国大学の恩師にあたるそうです。
西川一草亭編集・発行の「瓶史」1932年(昭和6年)の作品(左)、藤井厚二著書「聴竹居作品集 二」1932年(昭和7年)の作品。
藤井厚二「鷺」(藤焼、1935年昭和10年以前)、藤井厚二「朝顔の湯飲と茶碗」(藤焼、1935年昭和10年以前)、「水蓮」(藤焼陶板画、1932年昭和7年以前)。
太田喜二郎「寿月庵茶会絵巻」1935年(昭和10年)の作品(左)、「太田喜二郎から藤井厚二宛の書簡」1935年(昭和10年)10月21日付け。
このコーナー最後は、1928年(昭和3年)の「聴竹居敷地復元模型」です。竹中工務店が所蔵してました。
SECTION4「ミッショナリー・アーキテクトの夢」では、カトリック、プロテスタント、聖公会、ロシア正教会の四大教派のすべてが近代初期の京都の拠点を置き、その活動や文化が都市に根付きました。キリスト教建築を設計を課せられた建築家、ミッショナリー・アーキテクトが夢見た建築を紹介されてました。
「展示プロジェクト」 新島旧邸、同志社大学クラーク記念舘、同志社礼拝堂、平安女学院明治館。 平安女学院明治館は、女学院のため見学は難しそうですね。
SECTION5「都市文化とモダン」では、人々が求める近代都市の風景。「新しくて古いもの」は抽象化されたモダンなデザインであり、様式性を残した装飾的な細部、伝統的な要素を持つ、時代を超えて人々の目になじむものです。そんな新しさと古さがせめぎあうモダンな街造りが、ここでは紹介されてました。
「展示プロジェクト」日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館)、レストラン矢尾政(現・東華菜館)、進々堂(現・進々堂京大北門前)、日光社七条営業所(現・富士ラビット)、フランソワ喫茶室。
一度だけ行ったことがある「フランソワ喫茶室」の「時計」「ステンドグラスの下図」「テーブル」「椅子」で、座っても良いそうです。
SECTION6「住まいとモダン・コミュニティ」では、明治後半から学者や芸術家、文豪といった人々が市内中心部から郊外へと移り住みだした。自然と山への眺望、閑静でゆとりある住空間、明るくモダンな生活文化など近代の住まいと周辺環境は、その時代の居住をめぐる価値観と思惑を今に伝えています。
「展示プロジェクト」 南禅寺界隈別荘庭園群、無鄰菴(旧山縣有朋京都別荘)、吉田神楽岡旧谷川住宅群と茂庵庭園(茶苑)、衣笠絵描き村・木島櫻谷旧邸、北白川学者村・駒井家住宅、堀川団地。
「木島櫻谷が使用した画材(筆、刷毛など)」、石井政二郎筆「京都美術精観」1920年(大正9年)作、「携帯用筆入れ」、木島櫻谷デザインの「タバコ箱」で木島文庫所蔵です。
「木島櫻谷旧邸の洋館2階の椅子」、「木島櫻谷旧邸の洋館2階のテーブル」、木島櫻谷デザイン「書棚桐塗草花蒔絵」です。
10年前に訪れた「駒井家住宅の重ね式小机」。今は場所すら忘れてしまってますね。
「駒井家住宅の椅子」。
「駒井家住宅の棚」。
駒井卓「昆虫分類スケッチ」と「駒井博士が使用した画材(絵具、筆、バレット等)」です。
「往時の谷川茂次郎、茂庵、及び建設中の谷川住宅」、扁額「茂庵」、茶碗「茂庵」です。今度、茂庵訪問する必要がありますね。
展示プロジェクトに、「堀川団地」とあったので、多分、その団地の再現でしょう。他は「椹木団地備え付きの椅子」でした。堀川団地と椹木団地は、京都在住でも知りませんでした。
SECTION7「モダニズム建築の京都」では、意匠、設備、施工などの側面から合理的な建築を追求し、様式建築からの脱却を目指した戦前。国際的な潮流を受容とそれを進化させた戦後。新しい時代への到来を予感させる名作から、モダニズムの美学を継承しつつ、環境や伝統文化を取り込み、風土に馴染む空間の創造に成功した傑作まで、未来へ遺したい建築が京都に存在します。
「展示プロジェクト」 京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會館)、京都帝国大学(現・京都大学)楽友会館、本野精吾邸、鶴巻邸(現・栗原邸)、京都帝国大学花山天文台、同志社大学アーモスト館ゲストハウス、京都大学総合体育館、国立京都国際会館。
本野精吾設計の「鶴巻邸(現・栗原邸)」の模型です。鶴巻邸も未訪問です。
「鶴巻邸2階居室の椅子」(本野精吾デザイン)
「旧鶴巻邸食堂の椅子」(本野精吾デザイン)と「旧鶴巻邸の棚」(本野精吾デザイン)、「丸テーブル」(本野精吾デザイン)、「サイドボード」(本野精吾デザイン)は京都工芸大学美術工芸資料館所蔵。
「同志社大学アーモスト館ゲストハウス」の模型です。ここは部外者が立ち入ることはできませんでした。
同志社大学アーモスト館ゲストハウス「ダイニングホールの椅子」1961年(昭和36年)。
「国立京都国際会館全体模型」。
「京都大学総合体育館の模型」(1:100)です。ここも知りませんでした。
「京都帝国大学花山天文台の模型」(1:50)です。交通の便が悪いけど、もう一度行ってみたいです。
「天球儀」「初代天文台長 山本一清の机」「精密三球儀」。天球儀は覚えてます。
「楕円形テーブル」「ヴィクトリア天文台反射鏡の模型」。
「京都帝国大学(現・京都大学)楽友会館の模型」(1:100)です。
「京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會館)の模型」(1:100)。
「京都中央電話局西陣分局舎 正面レリーフ」。
最後に撮りましたが、これは京都国立京都国際会館の「南部鉄灰皿」「六角椅子」「旧議席椅子」(剣持勇デザイン)です。
この展覧会を見て、またレトロ建築巡りに行きたいと思いましたね、良かったです。次に前回行きそびれた屋上に向かいます。
屋上には、何処から行けるのか、係の人に聞きました。階段で2階まであがり、そこから出ると屋上でしたね。
ただ、建物自体、そんなに高くないので期待していたほど眺望は良くなかったです。
東山キューブの屋上から見た「本館」です。レトロな外観が良いです。
屋上の北側に移動すると、「平安神宮」が見えました。
南側の眺望はイマイチでした。色づき始めた日本庭園ぐらいでしょうか。
10時55分頃に、2020年(令和2年)10月13日以来の京都市京セラ美術館を出て行きました。
京都市京セラ美術館駐車場に戻り精算すると9時55分~10時59分で、700円で済みました。少々高いなぁ・・・と思いつつ、京都市も財政赤字が膨らみ財政破綻の危機にあるので仕方ないかなぁ・・・。今日は、これで帰りました。京都市の借金8500億円・・・10年以内に財政破綻するかもね、5年以内かも。
【京都市京セラ美術館】
自宅を車で出て、「京都市京セラ美術館駐車場」に9時55分に入庫しました。天気予報は悪くなかったんですが、朝からずっと曇ってます。
駐車場を出て美術館正面に行く頃には10時となり、多くの方が入館されていきます。
ここ京都市京セラ美術館では、いつくもの展覧会をやられてて、「モダン建築の京都」の会場は、新館 東山キューブでした。案内してもらい分かりましたが、入口からは北東角のようです。
入ると、1階にあがり中央ホールを横切ります。すると七代目小川治兵衛作庭の日本庭園が目に飛び込んできます。
日本庭園の北側が東山キューブで、岡崎通りが見える所まで行き、そこに受付がありました。入口でスマホの画面を見せやっと入れた訳です。
この展覧会では、写真撮影はカメラマークが書いてあるのはOKだと、入口で教えて貰いましたが文字が小さい・・・。
SECTION1「古都の再生と近代」から見て行きます。京都は明治に入り東京遷都により衰退し、官民が一致して復興に取り組む・・・そんな京都の再生を成し遂げた展示品をゆっくり鑑賞です。
「展示プロジェクト」 第四回内国勧業博覧会と平安神宮、琵琶湖疎水と旧御所ポンプ室、京都市明倫尋常小学校(現・京都芸術センター)、島津製作所河原町旧本社(現・フォーチュンガーデン京都)。
SECTION2「様式の精華」では、本格的な様式建築が京都を飾り始めます。それは明治後期でした。庁舎や銀行、邸宅などにバロック、ルネッサンス、チューダー、スパニッシュといった多様な様式が導入した結果、豊かな様式建築に出会えます。
「展示プロジェクト」 帝国京都博物館(現・京都国立博物館)、京都府庁旧本館、長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)、下村正太郎邸・中道軒(大丸ヴィラ)、旧外務省東方文化学院京都研究所。
「両切たばこ〈ヒーロー〉看板」、「花台」(京都市指定有形文化財・長楽館所蔵)、「ロココ調のS字椅子」(長楽館所蔵)、「チッペンデール様式の椅子」(長楽館所蔵)。ここでは、実際に座って記念写真が撮れます。私は座らなかったけど。
「螺鈿細工の椅子」(京都市指定有形文化財・長楽館所蔵)。
SECTION3「和と洋を紡ぐ」では、日本が西洋建築を学び始めた明治初期からヨーロッパを始め中国、中東などの要素を取り込んだ多様な建築、和と洋を折衷した建物は京都こそ相応しい。
「展示プロジェクト」 真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院)、京都大倉別邸(現・大雲院)、京都市庁舎本館、聴竹居(藤井厚二郎邸)、大札記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館)。
ここでは、以前訪れた「聴竹居」の模型が展示してありました。ガイドさん付きでゆっくり鑑賞したことを思い出しました。
こちらも「聴竹居」にあったインテリア「客室 枕付肘掛椅子」(藤井厚二デザイン)が展示されてました。覚えないけどね。
建築家・藤井厚二氏の「聴竹居スケッチブック」(左)と「日記」(右)の展示です。
こちらのコーナーには藤井厚二の著書「日本の住宅」の原稿や、「伊東忠太の講義ノート」がありました。伊東忠太は、東京帝国大学の恩師にあたるそうです。
西川一草亭編集・発行の「瓶史」1932年(昭和6年)の作品(左)、藤井厚二著書「聴竹居作品集 二」1932年(昭和7年)の作品。
藤井厚二「鷺」(藤焼、1935年昭和10年以前)、藤井厚二「朝顔の湯飲と茶碗」(藤焼、1935年昭和10年以前)、「水蓮」(藤焼陶板画、1932年昭和7年以前)。
太田喜二郎「寿月庵茶会絵巻」1935年(昭和10年)の作品(左)、「太田喜二郎から藤井厚二宛の書簡」1935年(昭和10年)10月21日付け。
このコーナー最後は、1928年(昭和3年)の「聴竹居敷地復元模型」です。竹中工務店が所蔵してました。
SECTION4「ミッショナリー・アーキテクトの夢」では、カトリック、プロテスタント、聖公会、ロシア正教会の四大教派のすべてが近代初期の京都の拠点を置き、その活動や文化が都市に根付きました。キリスト教建築を設計を課せられた建築家、ミッショナリー・アーキテクトが夢見た建築を紹介されてました。
「展示プロジェクト」 新島旧邸、同志社大学クラーク記念舘、同志社礼拝堂、平安女学院明治館。 平安女学院明治館は、女学院のため見学は難しそうですね。
SECTION5「都市文化とモダン」では、人々が求める近代都市の風景。「新しくて古いもの」は抽象化されたモダンなデザインであり、様式性を残した装飾的な細部、伝統的な要素を持つ、時代を超えて人々の目になじむものです。そんな新しさと古さがせめぎあうモダンな街造りが、ここでは紹介されてました。
「展示プロジェクト」日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館)、レストラン矢尾政(現・東華菜館)、進々堂(現・進々堂京大北門前)、日光社七条営業所(現・富士ラビット)、フランソワ喫茶室。
一度だけ行ったことがある「フランソワ喫茶室」の「時計」「ステンドグラスの下図」「テーブル」「椅子」で、座っても良いそうです。
SECTION6「住まいとモダン・コミュニティ」では、明治後半から学者や芸術家、文豪といった人々が市内中心部から郊外へと移り住みだした。自然と山への眺望、閑静でゆとりある住空間、明るくモダンな生活文化など近代の住まいと周辺環境は、その時代の居住をめぐる価値観と思惑を今に伝えています。
「展示プロジェクト」 南禅寺界隈別荘庭園群、無鄰菴(旧山縣有朋京都別荘)、吉田神楽岡旧谷川住宅群と茂庵庭園(茶苑)、衣笠絵描き村・木島櫻谷旧邸、北白川学者村・駒井家住宅、堀川団地。
「木島櫻谷が使用した画材(筆、刷毛など)」、石井政二郎筆「京都美術精観」1920年(大正9年)作、「携帯用筆入れ」、木島櫻谷デザインの「タバコ箱」で木島文庫所蔵です。
「木島櫻谷旧邸の洋館2階の椅子」、「木島櫻谷旧邸の洋館2階のテーブル」、木島櫻谷デザイン「書棚桐塗草花蒔絵」です。
10年前に訪れた「駒井家住宅の重ね式小机」。今は場所すら忘れてしまってますね。
「駒井家住宅の椅子」。
「駒井家住宅の棚」。
駒井卓「昆虫分類スケッチ」と「駒井博士が使用した画材(絵具、筆、バレット等)」です。
「往時の谷川茂次郎、茂庵、及び建設中の谷川住宅」、扁額「茂庵」、茶碗「茂庵」です。今度、茂庵訪問する必要がありますね。
展示プロジェクトに、「堀川団地」とあったので、多分、その団地の再現でしょう。他は「椹木団地備え付きの椅子」でした。堀川団地と椹木団地は、京都在住でも知りませんでした。
SECTION7「モダニズム建築の京都」では、意匠、設備、施工などの側面から合理的な建築を追求し、様式建築からの脱却を目指した戦前。国際的な潮流を受容とそれを進化させた戦後。新しい時代への到来を予感させる名作から、モダニズムの美学を継承しつつ、環境や伝統文化を取り込み、風土に馴染む空間の創造に成功した傑作まで、未来へ遺したい建築が京都に存在します。
「展示プロジェクト」 京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會館)、京都帝国大学(現・京都大学)楽友会館、本野精吾邸、鶴巻邸(現・栗原邸)、京都帝国大学花山天文台、同志社大学アーモスト館ゲストハウス、京都大学総合体育館、国立京都国際会館。
本野精吾設計の「鶴巻邸(現・栗原邸)」の模型です。鶴巻邸も未訪問です。
「鶴巻邸2階居室の椅子」(本野精吾デザイン)
「旧鶴巻邸食堂の椅子」(本野精吾デザイン)と「旧鶴巻邸の棚」(本野精吾デザイン)、「丸テーブル」(本野精吾デザイン)、「サイドボード」(本野精吾デザイン)は京都工芸大学美術工芸資料館所蔵。
「同志社大学アーモスト館ゲストハウス」の模型です。ここは部外者が立ち入ることはできませんでした。
同志社大学アーモスト館ゲストハウス「ダイニングホールの椅子」1961年(昭和36年)。
「国立京都国際会館全体模型」。
「京都大学総合体育館の模型」(1:100)です。ここも知りませんでした。
「京都帝国大学花山天文台の模型」(1:50)です。交通の便が悪いけど、もう一度行ってみたいです。
「天球儀」「初代天文台長 山本一清の机」「精密三球儀」。天球儀は覚えてます。
「楕円形テーブル」「ヴィクトリア天文台反射鏡の模型」。
「京都帝国大学(現・京都大学)楽友会館の模型」(1:100)です。
「京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會館)の模型」(1:100)。
「京都中央電話局西陣分局舎 正面レリーフ」。
最後に撮りましたが、これは京都国立京都国際会館の「南部鉄灰皿」「六角椅子」「旧議席椅子」(剣持勇デザイン)です。
この展覧会を見て、またレトロ建築巡りに行きたいと思いましたね、良かったです。次に前回行きそびれた屋上に向かいます。
屋上には、何処から行けるのか、係の人に聞きました。階段で2階まであがり、そこから出ると屋上でしたね。
ただ、建物自体、そんなに高くないので期待していたほど眺望は良くなかったです。
東山キューブの屋上から見た「本館」です。レトロな外観が良いです。
屋上の北側に移動すると、「平安神宮」が見えました。
南側の眺望はイマイチでした。色づき始めた日本庭園ぐらいでしょうか。
10時55分頃に、2020年(令和2年)10月13日以来の京都市京セラ美術館を出て行きました。
京都市京セラ美術館駐車場に戻り精算すると9時55分~10時59分で、700円で済みました。少々高いなぁ・・・と思いつつ、京都市も財政赤字が膨らみ財政破綻の危機にあるので仕方ないかなぁ・・・。今日は、これで帰りました。京都市の借金8500億円・・・10年以内に財政破綻するかもね、5年以内かも。
【京都市京セラ美術館】
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