緊急事態宣言が解除され久し振りに開城となった元離宮二条城へ
昨年の8月3日(月)に「元離宮二条城 年間バスボート」を購入しました。期限は2020年(令和2年)8月3日(月)~2021年(令和3年)8月2日(月)の一年間です。ただ、その期間中に京都府での緊急事態宣言措置に伴い臨時休城が、4月25日~5月31日まで37日間分と8月23日~9月30日まで39日間取られたため、私の年間バスボートも11月9日(火)まで延長となりました。その手続きをするため、10月7日(木)に登城しに行った訳です。
いつものように元離宮二条城 第一駐車場8時52分に車を入れました。ただ、ここ最近では無かった光景があって、観光バスの駐車場に観光バスが4台止まってて、一般車用にも多くの車が止まっています。ただタクシーが多いように思えました。
年間バスボートは、「案内所」で手続きするので、ここはスルーです。それで「東大手門」(重文)を入り先を急ぎますが・・・?。
「案内所」は、この「番所」の前にあります。期日の書き換えに少し時間がかかりました。その間に修学旅行生が、次から次へと通り過ぎて行きます
。
「唐門」(重文)前で、小学生の皆さんは写真を撮られています。写真には写ってませんが、この前に小学生の団体さんが座って先生の指示待ちかなぁ。
正面の「二の丸御殿」(国宝)は、この時は空いていたでしょう、しかし、先に誰も居ないであろう「二の丸庭園」を先に見ることを選択しました。






予想通り「二の丸庭園」には誰も居ません。小学生の皆さんと一緒に散策だけは避けたかったので良かったです。二の丸御殿内からは賑やかな声が、ここまで聞こえて来ます
。






1939年(昭和14年)名勝に指定され、1953年(昭和28年)に 国の特別名勝に指定されている「二の丸庭園」には、この時間誰も居ません。おかげで写真はゆっくり撮れました
。


いつもなら桃山門から内堀の南側を歩きますが、今日は「東橋」を渡って「本丸櫓門」(重文)を通り本丸に入ります。

東橋を渡ります。この橋は、第108代後水尾天皇の行幸に備え、天皇が地上に降りることなく二の丸御殿から本丸御殿、内堀を渡って移動できるよう「二階廊下・溜蔵」になっていました。
1687年(貞享4年)に2階廊下部分が取り壊され、1704年(宝永元年)には1階の橋もかけ直されています。なお、溜蔵と橋の手前までの二階廊下は昭和に入るまで残っていましたが、1930年(昭和5年)に解体されました。しかしその部材はまだ残っており、2024~27年度に復元が計画されています。

橋を渡ると、久し振りに巨石の石垣を見ることが出来ました。本丸御殿の工事は2023年度までとなってますが、早く見てみたいですね。



久し振りに「本丸庭園」に入りました。1895年(明治28年)第122代明治天皇が本丸に行幸された折、既存の枯山水風庭園の改造を命じ、約7ヵ月半の歳月をかけた末、1896年(明治29年)に完成した芝庭風築山式庭園です。



9時11分に「天守台」に着きました。二の丸庭園に人が居なかったので、ここも誰も居ないでしょう、眺望を楽しみます。
最初に比叡山を撮りました。僅かに山頂だけ見えてますが、この場所しか比叡山は見えません。山頂には雲がかかってますね。
こちらからは、如意ヶ嶽の大文字が見えます。ANAクラウンプラザホテル京都も手前に見えています。

本丸の内堀を撮りました。背の高いビルは京都ホテルオークラです。ここに複合式層塔型5重5階(諸説あり)があった訳で、眺望良かったでしょう。
天守台の南から北を見ています。天守台から愛宕山は、どう頑張っても見えないですよね。
ここからは南西隅櫓を見ています。初夏にはアジサイが咲き誇るエリアです。その時期以外は立入出来ないです。
最後に本丸西側の内堀と西橋、その先の米蔵も見えています。帰りは、そちらの方向に歩くつもりです。
帰りも、この急な石段を降りて行きます。ここで初めて人とすれ違いました。ただ、修学旅行生の声が聞こえないので、来る気配は無いです。
本当は、国宝二の丸御殿にも入るつもりでしたが、小学生の団体さん(修学旅行生)が次々と入って行かれるので、あれではゆっくり鑑賞できないなぁ・・・と諦めてました。帰りにも寄って行くつもりですが、あれでは無理でしょう。今まで我慢そしていた学生さんには思い切り楽しんで貰いたいですね。私、ここ天守台を降り本丸も出て行きます。
【二条城天守台】

いつものように元離宮二条城 第一駐車場8時52分に車を入れました。ただ、ここ最近では無かった光景があって、観光バスの駐車場に観光バスが4台止まってて、一般車用にも多くの車が止まっています。ただタクシーが多いように思えました。


























1687年(貞享4年)に2階廊下部分が取り壊され、1704年(宝永元年)には1階の橋もかけ直されています。なお、溜蔵と橋の手前までの二階廊下は昭和に入るまで残っていましたが、1930年(昭和5年)に解体されました。しかしその部材はまだ残っており、2024~27年度に復元が計画されています。


















本当は、国宝二の丸御殿にも入るつもりでしたが、小学生の団体さん(修学旅行生)が次々と入って行かれるので、あれではゆっくり鑑賞できないなぁ・・・と諦めてました。帰りにも寄って行くつもりですが、あれでは無理でしょう。今まで我慢そしていた学生さんには思い切り楽しんで貰いたいですね。私、ここ天守台を降り本丸も出て行きます。
【二条城天守台】
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