「重要文化財 二の丸御殿障壁画 原画公開 後期展」元離宮二条城へ

元離宮二条城は、「徳川家の栄枯盛衰をはじめ、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城です」とHPでは紹介されているとおり、寛永行幸の時、後水尾天皇は2回天守閣へ登られたようで、この二条城天守閣は天皇が登った唯一の天守閣と言われています。ただ1750年(寛延3年)の落雷により焼失後は、再建されることなく現在に至っています。その天守閣は、1626年(寛永3年)に伏見城から移築されたと伝わりた。地上5階、地下1階で屋根には瓦型の銅板が葺かれてたようですね、復元してくれないかなぁ・・・。

IMG_1518.jpg天守台から降りてくると、また晴れて来ました。二の丸庭園から曇りでして天守台まで曇りでしたね。残念・・・です

IMG_1519.jpgIMG_1521.jpgIMG_1520.jpg9時16分に本丸庭園を出て行きました。観光バスで多くの修学旅行生が入城されたのに、二の丸御殿だけで帰られるのかなぁ?。

IMG_1522.jpgIMG_1523.jpg以前、本丸御殿に入れたときは、ここから入ったように覚えています。修復工事もまもなくですね。

IMG_1524.jpgIMG_1525.jpgIMG_1526.jpgIMG_1527.jpgIMG_1528.jpgそのまま進み、巨石を用いた虎口を抜け「西橋」を渡ります。その時に「天守台」を撮りました。

IMG_1529.jpgIMG_1530.jpgIMG_1531.jpgIMG_1532.jpg西橋を渡り、次に本丸の西側を北に向いて歩きます。そしたら先程天守台から見えていた「米蔵」(重文)の前を通りました。

IMG_1533.jpgIMG_1535.jpg次に「西門」(重文)を撮りました。江戸時代には通用門として使われていたそうで、天明の大火で周辺の櫓門等が焼失し、明治以降には外堀に架かる木橋も失われたため、今は門だけが残りました。

IMG_1537.jpgIMG_1538.jpgIMG_1539.jpgIMG_1540.jpg城内の北側を通って「北中仕切門」(重文)をくぐり、「加茂七石」があり、八瀬真黒石・鞍馬石・畑石・糸掛石・紅加茂石・紫貴船石・畚下石(ふぐろいし)を言います。

IMG_1542.jpgIMG_1543.jpgIMG_1544.jpgIMG_1545.jpgIMG_1547.jpgIMG_1548.jpgIMG_1549.jpgIMG_1551.jpg1965年(昭和40年)に当時の高山義三京都市長によって「清流園」と命名され完成しました。東半分が芝生を敷き詰めた洋風庭園、西半分は二棟の建物を含めた池泉回遊式庭園(和風庭園)からなる和洋折衷庭園です。

IMG_1552.jpg清流園を出て、内堀越しに本丸を見ています。ここからようやく本丸に入る修学旅行生が見えました。

IMG_1554.jpgIMG_1555.jpgIMG_1556.jpgここから少しだけ東に行くと「北大手門」(重文)があって、立入禁止です。その結界の側に気象庁京都地方気象台選定の標準木「そめいよしの」があります。ここで数輪桜が咲くと開花宣言されます。

IMG_1557.jpgIMG_1558.jpgIMG_1559.jpg城内の東側にある「二条城障壁画 展示収蔵館」に入りました。ここは有料で100円ですが、年間バスボートを持っていると入れます。

内容は、「重要文化財 二の丸御殿障壁画 原画公開 後期」(9月3日~9月26日)でしたが、コロナ禍で臨時休城されていたので、期間を変更されました。10月1日(金)~10月19日(火)に変更され、今日の目的はここでした。もちろん前期は見ています。

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次に収蔵館の隣にある「GREEN CAFE STYLE 茶乃逢 二条城店」で休憩しました。10月に入って真夏日を3日も記録するなど、今日も暑かったです。

IMG_1566.jpgIMG_1567.jpg10時3分に出ました。今日は小学生の修学旅行生が多かったけど、帰りも次から次へと入って行かれます。

IMG_1568.jpgそして駐車場を見たら、東大手門前の観光バスの駐車場は満車に、それで入りきらないので一般車両の所まで観光バスが隙間無しで止まっています。

一般車両の所には、乗り合いタクシーが多く止まってて、一般車両は少ないように思えました。これ以上は観光バスは入って来られ無いので何処に誘導されるのかなぁ?と思いながら「元離宮二条城 第一駐車場」に戻り精算しました。8時52分~10時8分で、1050円でした。今日は、ここだけで帰りました。

【元離宮二条城】

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