秋の特別公開が始まった臨済宗妙心寺派 金臺寺へ
2019年(令和元年)に「令和元年度 第55回京都非公開文化財特別公開」で、臨済宗妙心寺派 金臺寺が初公開されました。私は初日の2019年(令和元年)11月1日に行きましたが、大変混雑してましたし、玄関を入った先から撮影禁止でした。
先月の10月25日(月)に、妙心寺塔頭 退蔵院の「一日1組限定 精進料理ランチ付きお部屋貸切プラン」に行ったとき、妙心寺総門前にこのような張り紙がありました。
「特別拝観 妙心寺派金臺寺 11月1日(月)~7日(日)まで」と書いてあったので、寺独自開催だろうと思い、行ってみることにしました。
京都非公開文化財特別公開の主催者は、公益財団法人 京都古文化 保存協会さんでした。ここの特別公開では、ほぼ撮影は禁止されます。ただ、寺の独自開催なら写真撮影はゆるくなる筈です。それを期待して行ってみることにした訳です。
金臺寺は、河北山 金臺寺といい、妙心寺の境外塔頭です。寺歴ははっきり分かってませんし寺名も度々変わったようです。ただ妙心寺の宝蔵には1576年(天正4年)の第106代正親天皇への綸旨が残されており、この頃に妙心寺の塔頭寺院になったと思われています。その後1591年(天正19年)に豊臣秀吉より朱印百石の書状も残されていますが、そのときは「池上こんたいじ」でした。1608年(慶長13年)には開山に輝岳宗暾(きがくそうとん)を迎えて「国泰寺(こくたいじ)」と改めます。1637年(寛永4年)に現在地に移り「鳳台寺(ほうだいじ)」に変わって、1876年(明治9年)に現在の名である「金臺寺(こんたいじ)」に変わりました。本堂は客殿と庫裏を兼ねた様式で、江戸末期から明治初期に建てられてと思われます。ここの再中興が大仙玄鶴(だいせんげんかく)が住職になられ、この頃に再建され可能性が高い。この本堂は妙心寺の隣華院から移築されたと言われているが詳しいことは不明です。ご本尊は釈迦三尊像で、釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩が安置されてます。本堂の障壁画は33面あって、作風から京狩野家九代目・狩野永岳の作だと言われています。上間後室の「山水図」は円山應挙風の流れを汲む作風が見られます。庭園の作庭者は不明ですか、庭にある祠には北野天満宮や六請神社のお札が貼られているようです。
看板が出ている訳でもないので、ひっそりと特別拝観をされてます。「山門」前には小さな張り紙があるでけでした。
嵐電等持院駅から徒歩2分もないぐらい近いです。2019年(令和元年)11月1日のときは、車で来て近くのコインパーキングに止めましたが、今日も車で来ましたが、車は知り合いの所に止めさせて貰いました。
9時42分に着いて山門を入ると、お一人出て来られました。正面に「玄関」が、左手に「庫裏」があるのでそちらから入ります。
前途したとおり「庫裏」は客殿(本堂)を兼ねた珍しい様式であることを、帰りにご住職さんかから教えて貰いました。なお、ポスターは昨年のものでした。
見上げると煙出しが見えてます。雄大な庫裏ですね。山号の「河北山」の扁額架かってました。
受付は、書院の所にあって朱印の用意をされてました。2019年(令和元年)11月1日訪問時に、いただいているので朱印帳は持ってきてません。
多分、ご住職と副住職さんのお二人でしょうか知りませんが、座られており受付されてました。拝観料は500円を受付で納め堂内に入ります。
前回、写真が撮れなかった庭園を撮りました。当寺院独自の開催となったので堂内以外は自由に写真を撮ることができました。
「客殿(本堂)」を回り込むように庭園が拡がっており、こちら側に池もありました。
こちらには、臨済宗中興の祖 白隠禅師の筆による唯一の彩色画「法具変妖之図(レプリカ)」が架けてあります。
現代人の目には一見して単なる戯画とも思える非現実的で滑稽な図でありながら、本来妖怪となってしまうはずのない法具で百鬼夜行図を表現することで、仏法をおろそかにする者たちへの戒めとするなど、一貫して禅の教えを象徴するものとなっています。白隠禅師の描かれた巻物は他には存在しません。
特別公開の時には、ガイドさんの案内で聞いた覚えがありましたが、ここに来るまですっかり忘れてました。
堂内は、小さく撮影禁止と書いてあります。写真は遠慮して、遠くから撮りました。そしてご住職さんが来られ、襖絵について京狩野家九代目・狩野永岳の作だと言われてました。仏間にはご本尊の釈迦如来像が安置されていました。
写真は撮れませんが、前途したとおり上間後室の「山水図」は円山應挙風の流れを汲む作風が見られるそうです。生け花はは寒桜。未生流だそうです。
あとで案内しますが、2018年(平成30年)9月4日に関西に襲来した台風21号の影響で、あちこちに雨漏りのあとが見えます。この台風は、平野神社の拝殿を吹き飛ばしたほどの記録的な強風でしたね。
最後に「控えの間」に入りました。ここは入った記憶が無かったですね。中庭の奥に茶室が見えました。
次に2階へ上がります。この階段も2018年(平成30年)9月4日に関西に襲来した台風21号の影響で、吹き飛ばされたそうです。今は架設の階段が架けられてました。
2019年(令和元年)11月1日の特別拝観に来た時ここは「茶室」と案内されました。ただ、後程ご住職さんとお会いして尋ねた所、茶室とは言われませんでしたね。
この2階から「客殿(本堂)」と、池のある庭園が見えます。以前、来た時に「写真撮りたいなぁ・・・」と思ったので念願叶いました。
階段を降りる前に、大屋根の向こうに庫裏の煙出しが見えていたので撮りました。
今日は、私一人だけでしたので、ゆっくり階段を降りることができました。少々怖い階段です。
降りてくると、もう一度「茶室?」を撮りました。2階から、こちらに移されたのでしょうか?
もう一度、堂内を見ていたらご住職さんが来られ、少しだけ説明をしていただきました。そして、こちらも見て欲しいと案内されたのが「書院」でした。
檀家さんが、持って来られたものを展示されていたようです。難しいので良く分かりません。
書院から見た「客殿(本堂)」と「前庭」です。
式台玄関前の手水鉢に、可愛い河童が居たので撮りました。
最後に、ご住職さんも言われてましたが、立派な「鬼瓦」を、忘れずに撮りました。前回は、これだけでしたね、撮れたのは。
9時58分に、山門を出て行きました。ひっそりと特別公開されているので、来られる人も少ないでしょうね。
ここから車を止めさせて貰っている所に戻り、帰りました。
【金臺寺】
先月の10月25日(月)に、妙心寺塔頭 退蔵院の「一日1組限定 精進料理ランチ付きお部屋貸切プラン」に行ったとき、妙心寺総門前にこのような張り紙がありました。
「特別拝観 妙心寺派金臺寺 11月1日(月)~7日(日)まで」と書いてあったので、寺独自開催だろうと思い、行ってみることにしました。
京都非公開文化財特別公開の主催者は、公益財団法人 京都古文化 保存協会さんでした。ここの特別公開では、ほぼ撮影は禁止されます。ただ、寺の独自開催なら写真撮影はゆるくなる筈です。それを期待して行ってみることにした訳です。
金臺寺は、河北山 金臺寺といい、妙心寺の境外塔頭です。寺歴ははっきり分かってませんし寺名も度々変わったようです。ただ妙心寺の宝蔵には1576年(天正4年)の第106代正親天皇への綸旨が残されており、この頃に妙心寺の塔頭寺院になったと思われています。その後1591年(天正19年)に豊臣秀吉より朱印百石の書状も残されていますが、そのときは「池上こんたいじ」でした。1608年(慶長13年)には開山に輝岳宗暾(きがくそうとん)を迎えて「国泰寺(こくたいじ)」と改めます。1637年(寛永4年)に現在地に移り「鳳台寺(ほうだいじ)」に変わって、1876年(明治9年)に現在の名である「金臺寺(こんたいじ)」に変わりました。本堂は客殿と庫裏を兼ねた様式で、江戸末期から明治初期に建てられてと思われます。ここの再中興が大仙玄鶴(だいせんげんかく)が住職になられ、この頃に再建され可能性が高い。この本堂は妙心寺の隣華院から移築されたと言われているが詳しいことは不明です。ご本尊は釈迦三尊像で、釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩が安置されてます。本堂の障壁画は33面あって、作風から京狩野家九代目・狩野永岳の作だと言われています。上間後室の「山水図」は円山應挙風の流れを汲む作風が見られます。庭園の作庭者は不明ですか、庭にある祠には北野天満宮や六請神社のお札が貼られているようです。
看板が出ている訳でもないので、ひっそりと特別拝観をされてます。「山門」前には小さな張り紙があるでけでした。
嵐電等持院駅から徒歩2分もないぐらい近いです。2019年(令和元年)11月1日のときは、車で来て近くのコインパーキングに止めましたが、今日も車で来ましたが、車は知り合いの所に止めさせて貰いました。
9時42分に着いて山門を入ると、お一人出て来られました。正面に「玄関」が、左手に「庫裏」があるのでそちらから入ります。
前途したとおり「庫裏」は客殿(本堂)を兼ねた珍しい様式であることを、帰りにご住職さんかから教えて貰いました。なお、ポスターは昨年のものでした。
見上げると煙出しが見えてます。雄大な庫裏ですね。山号の「河北山」の扁額架かってました。
受付は、書院の所にあって朱印の用意をされてました。2019年(令和元年)11月1日訪問時に、いただいているので朱印帳は持ってきてません。
多分、ご住職と副住職さんのお二人でしょうか知りませんが、座られており受付されてました。拝観料は500円を受付で納め堂内に入ります。
前回、写真が撮れなかった庭園を撮りました。当寺院独自の開催となったので堂内以外は自由に写真を撮ることができました。
「客殿(本堂)」を回り込むように庭園が拡がっており、こちら側に池もありました。
こちらには、臨済宗中興の祖 白隠禅師の筆による唯一の彩色画「法具変妖之図(レプリカ)」が架けてあります。
現代人の目には一見して単なる戯画とも思える非現実的で滑稽な図でありながら、本来妖怪となってしまうはずのない法具で百鬼夜行図を表現することで、仏法をおろそかにする者たちへの戒めとするなど、一貫して禅の教えを象徴するものとなっています。白隠禅師の描かれた巻物は他には存在しません。
特別公開の時には、ガイドさんの案内で聞いた覚えがありましたが、ここに来るまですっかり忘れてました。
堂内は、小さく撮影禁止と書いてあります。写真は遠慮して、遠くから撮りました。そしてご住職さんが来られ、襖絵について京狩野家九代目・狩野永岳の作だと言われてました。仏間にはご本尊の釈迦如来像が安置されていました。
写真は撮れませんが、前途したとおり上間後室の「山水図」は円山應挙風の流れを汲む作風が見られるそうです。生け花はは寒桜。未生流だそうです。
あとで案内しますが、2018年(平成30年)9月4日に関西に襲来した台風21号の影響で、あちこちに雨漏りのあとが見えます。この台風は、平野神社の拝殿を吹き飛ばしたほどの記録的な強風でしたね。
最後に「控えの間」に入りました。ここは入った記憶が無かったですね。中庭の奥に茶室が見えました。
次に2階へ上がります。この階段も2018年(平成30年)9月4日に関西に襲来した台風21号の影響で、吹き飛ばされたそうです。今は架設の階段が架けられてました。
2019年(令和元年)11月1日の特別拝観に来た時ここは「茶室」と案内されました。ただ、後程ご住職さんとお会いして尋ねた所、茶室とは言われませんでしたね。
この2階から「客殿(本堂)」と、池のある庭園が見えます。以前、来た時に「写真撮りたいなぁ・・・」と思ったので念願叶いました。
階段を降りる前に、大屋根の向こうに庫裏の煙出しが見えていたので撮りました。
今日は、私一人だけでしたので、ゆっくり階段を降りることができました。少々怖い階段です。
降りてくると、もう一度「茶室?」を撮りました。2階から、こちらに移されたのでしょうか?
もう一度、堂内を見ていたらご住職さんが来られ、少しだけ説明をしていただきました。そして、こちらも見て欲しいと案内されたのが「書院」でした。
檀家さんが、持って来られたものを展示されていたようです。難しいので良く分かりません。
書院から見た「客殿(本堂)」と「前庭」です。
式台玄関前の手水鉢に、可愛い河童が居たので撮りました。
最後に、ご住職さんも言われてましたが、立派な「鬼瓦」を、忘れずに撮りました。前回は、これだけでしたね、撮れたのは。
9時58分に、山門を出て行きました。ひっそりと特別公開されているので、来られる人も少ないでしょうね。
ここから車を止めさせて貰っている所に戻り、帰りました。
【金臺寺】
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