嵯峨菊と紅葉の競演 関西花の寺第一三番霊場 法金剛院へ
妙心寺塔頭 大法院を出て妙心寺の境内を通らずに住宅街を進みます。私はこの辺り土地勘があるので、遠回りせず真っ直ぐに次の目的地である法金剛院まで行けました。
法金剛院は、コロナ禍までは通常拝観されてました。新型コロナウイルスの感染が拡がると閉門され、春の桜が咲く時期と、蓮の花が咲く時期以外は閉門されたままです。ただ、新型コロナウイルスの感染数も減少したこともあって、11月15日(月)~12月5日(日)の9時30分~16時30分まで開門をHPで発表されたので、大法院のあとに行くことを決めた訳です。
9時32分に着くと、拝観受付所前に8名ほど並ばれてました。今日から再開されたけど、紅葉は最盛期では無いのにね。予想外でした。
受付で御朱印をお願いされる方も居たので、私が受付を通ったのは9時35分でした。これから庭園の紅葉を見て回ります。
庭園に入ると紅葉よりも「玄関」前から「礼堂」にかけて、嵯峨菊が置かれてました。大覚寺の他で見るのは稀で、先にそちらから写真を撮って行きます。
先に入られた数人が、礼堂が仏殿に行かれました。私は先に庭園を散策します。
拝観受付所で、仏殿に行くための使い捨てのスリッパを貰います。そのスリッパは持って帰る必要があるので、最後に回しました。
「名勝 法金剛院青女滝 附 五位山」と書かれた石碑の前には、「仏足石」があります。
さらに、その石碑の裏には苔生した庭園に、ひっそりと「石仏」が佇んでます。
さらに奥にある「石仏群」まで行きました。
法金剛院は律宗・唐招提寺に属している。平安時代初期の830年(天長7年)右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)が山荘を建てた場所で、死後、寺として双岡寺(ならびがおかでら)が営まれていた。858年(天安2年)第55代文徳天皇が大きな伽藍を建て天安寺となり、平安時代の末期1130年(大治5年)第74代鳥羽天皇の中宮・待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を再興し法金剛院とた。庭園は待賢門院が極楽浄土を模して造園させた池泉回遊式庭園で、その美観は西行の歌にも詠まれた。、平安時代の遺構が残る庭園で、国の特別名勝に指定されています。庭園奥にある「青女の滝」は立石の名手である仁和寺の僧、林賢(りんけん)と静意(じょうい)により巨岩を並べて作られた日本最古の人工滝とされ、発願者と作者が明確でかつ遺構が残っているものとして大変貴重ということで「法金剛院青女滝 附 五位山」として特別名勝に指定される。
こちらが特別名勝に指定されている「青女の滝」の石組みで、背後の山が「五位山」です。現在は、滝の水は池からポンプで汲み上げて流されています。お寺の方に聞きました。
次に百人一首の中で一番エロチックな内容という石碑を詠みます。「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」(待賢門院堀河)と書かれてました。
このあと「苑池」を一周します。
苑池沿いの苑路を歩いて行くと、池に浮かぶ中島があって「鶴島」と呼ばれています。
石橋を渡り、その先の木橋を渡る勇気は無かったです。
再び苑路を歩いて行き振り向くと、先程渡った鶴島と石橋が見えました。
池の周りに紅葉を見てみると、色づき始めかなぁ・・・と。平日でも、そこそこ拝観者は来てました。
この苑池を中心とした池泉回遊式庭園は、昭和期に復元されたもので名勝の指定はありません。このあと仏殿に向かいました。
この日も「仏殿」に入ってお参りしました。そして「地蔵堂」も今日は見られました。
帰りのバスの時間に余裕があるので、ここでじっくり国宝・重要文化財の仏像を鑑賞し出て来ました。
時間があったので、礼堂が見えていた「千両」を見に来ました。赤い実と黄の実が綺麗でした。
10時10分に、ここを出て来ました。丸太町通り沿いの表門が常時閉まっているので、入口でクレームを言ってたました。あそこは常時拝観の時は開いてましたが、ここ最近は常時閉まってます。知らなかったのかなぁ・・・。
ここから近くのバス停に行き、京都市営バスに乗って帰りました。12月5日まで拝観されてますが、多分、もう行かないです。
【法金剛院】
法金剛院は、コロナ禍までは通常拝観されてました。新型コロナウイルスの感染が拡がると閉門され、春の桜が咲く時期と、蓮の花が咲く時期以外は閉門されたままです。ただ、新型コロナウイルスの感染数も減少したこともあって、11月15日(月)~12月5日(日)の9時30分~16時30分まで開門をHPで発表されたので、大法院のあとに行くことを決めた訳です。
9時32分に着くと、拝観受付所前に8名ほど並ばれてました。今日から再開されたけど、紅葉は最盛期では無いのにね。予想外でした。
受付で御朱印をお願いされる方も居たので、私が受付を通ったのは9時35分でした。これから庭園の紅葉を見て回ります。
庭園に入ると紅葉よりも「玄関」前から「礼堂」にかけて、嵯峨菊が置かれてました。大覚寺の他で見るのは稀で、先にそちらから写真を撮って行きます。
先に入られた数人が、礼堂が仏殿に行かれました。私は先に庭園を散策します。
拝観受付所で、仏殿に行くための使い捨てのスリッパを貰います。そのスリッパは持って帰る必要があるので、最後に回しました。
「名勝 法金剛院青女滝 附 五位山」と書かれた石碑の前には、「仏足石」があります。
さらに、その石碑の裏には苔生した庭園に、ひっそりと「石仏」が佇んでます。
さらに奥にある「石仏群」まで行きました。
法金剛院は律宗・唐招提寺に属している。平安時代初期の830年(天長7年)右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)が山荘を建てた場所で、死後、寺として双岡寺(ならびがおかでら)が営まれていた。858年(天安2年)第55代文徳天皇が大きな伽藍を建て天安寺となり、平安時代の末期1130年(大治5年)第74代鳥羽天皇の中宮・待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を再興し法金剛院とた。庭園は待賢門院が極楽浄土を模して造園させた池泉回遊式庭園で、その美観は西行の歌にも詠まれた。、平安時代の遺構が残る庭園で、国の特別名勝に指定されています。庭園奥にある「青女の滝」は立石の名手である仁和寺の僧、林賢(りんけん)と静意(じょうい)により巨岩を並べて作られた日本最古の人工滝とされ、発願者と作者が明確でかつ遺構が残っているものとして大変貴重ということで「法金剛院青女滝 附 五位山」として特別名勝に指定される。
こちらが特別名勝に指定されている「青女の滝」の石組みで、背後の山が「五位山」です。現在は、滝の水は池からポンプで汲み上げて流されています。お寺の方に聞きました。
次に百人一首の中で一番エロチックな内容という石碑を詠みます。「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」(待賢門院堀河)と書かれてました。
このあと「苑池」を一周します。
苑池沿いの苑路を歩いて行くと、池に浮かぶ中島があって「鶴島」と呼ばれています。
石橋を渡り、その先の木橋を渡る勇気は無かったです。
再び苑路を歩いて行き振り向くと、先程渡った鶴島と石橋が見えました。
池の周りに紅葉を見てみると、色づき始めかなぁ・・・と。平日でも、そこそこ拝観者は来てました。
この苑池を中心とした池泉回遊式庭園は、昭和期に復元されたもので名勝の指定はありません。このあと仏殿に向かいました。
この日も「仏殿」に入ってお参りしました。そして「地蔵堂」も今日は見られました。
帰りのバスの時間に余裕があるので、ここでじっくり国宝・重要文化財の仏像を鑑賞し出て来ました。
時間があったので、礼堂が見えていた「千両」を見に来ました。赤い実と黄の実が綺麗でした。
10時10分に、ここを出て来ました。丸太町通り沿いの表門が常時閉まっているので、入口でクレームを言ってたました。あそこは常時拝観の時は開いてましたが、ここ最近は常時閉まってます。知らなかったのかなぁ・・・。
ここから近くのバス停に行き、京都市営バスに乗って帰りました。12月5日まで拝観されてますが、多分、もう行かないです。
【法金剛院】
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