真言宗大覚寺派大本山 旧嵯峨御所大覚寺門跡 お堂エリアへ
真言宗大覚寺派大本山 旧嵯峨御所大覚寺門跡 大沢池を一周したあと、大沢池拝観受付所で購入したチケットを見せ、「五大堂」の「観月台」に上がりました。
五大堂観月台に上がると、思ったより人は少なかったです。ここから大沢池を見ると・・・?。
綺麗に嵯峨菊の鉢が置いてあります。毎年、大覚寺では11月1日(月)~30日(火)まで「嵯峨菊展」を開催されています。
嵯峨菊は、大沢池の菊ヶ島に自生していた嵯峨野独特の野菊で、第52代嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられた鑑賞菊です。糸のように細い花弁が特徴の八重咲きで大輪です。一般の菊よりも遅く、11月ごろ開花します。菊特有の鮮明な発色が美しく、和の魅力あふれる品種です。
「五大堂」の北側が通行止めになっていたので、南側に回って玄関まで見て行きます。覗くと、数名の方が写経されてました。内陣には五大明王が本尊として祀られており、五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。
五大堂は江戸中期の創建で、大覚寺の本堂にあたります。大沢池の畔に位置し、正面中央は板唐戸、両脇各2間は蔀戸となっている。大沢池に面する東面は観月台があり大沢池の眺望は素晴らしい。
五大堂を回り込むと、前方に「御影堂」が見えてきます。その前に・・・?。
次が「御霊殿(安井堂)」です。内陣に入れますが、撮影禁止です。そして安井堂の全景は・・・?。
御影堂の前から「御霊殿(安井堂)」を撮りました。
1871年(明治4年)に安井門跡蓮華光院の御影堂移築したもので、天井には雲龍が描かれています。内陣中央には後水尾天皇が祀られてます。
御影堂に着きました。ここも内陣に入れます。「御影堂」は、心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれています。
1925年(大正14年)大正天皇の即位に際して建てられた饗宴殿を移築したものです。大覚寺の歴史上特に重要な嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王の尊像が祀られているため「御影堂」とも呼ばれています。
御影堂の前にも、気品ある嵯峨菊が綺麗に咲いてました。日々手入れされているのでしょう、どれも綺麗ですね。
御影堂を回り込んで裏側まで、やって来ました。そこには「勅封心経殿」があって、「御影堂(心経前殿)」とは繋がっています。こちらは、60年に一度、開けられるお堂で、堂内中央には、嵯峨天皇の「勅封般若心経」がガラスケースの中に納められています。私は2018年(平成30年)の「勅封般若心経戊戌開封法会」で見せていただきました。
1925年(大正14年)法隆寺の夢殿を模して再建。殿内には嵯峨天皇を始め、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の宸翰勅封心経を奉安し、薬師如来像が安置されてます。
お堂エリアの紅葉は、ここだけなんですが、殆ど色づいてないです。大覚寺の紅葉は、ほぼ大沢池エリアです。
次に「村雨の廊下」を通って宸殿に行きます。観月台から来たので、通常の拝観コースとは逆になっています。
宸殿と心経前殿(御影堂)を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がる回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれている。高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍が振り上げられないように低く造られ、床は鶯張りとなっている。
こちらは通常拝観できなくなった「正寝殿」と「霊明殿」に至る村雨の廊下です。見られなくなって残念です。
そして宸殿の西側から南側に回り込むと・・・?。
この「嵯峨菊展」の開催中しか、宸殿の全景を撮ることが出来ません。奇跡的に誰も居ませんでした。
宸殿前には、「左近の橘」と「右近の梅」が見られます。せっかく来たので嵯峨菊も見て行きます。
嵯峨菊を見ていると、遠くの「五大堂」を綺麗に撮れました。普段は庭に降りることが出来ないので、この期間中だけですね。
不思議と、私が宸殿に居る間は誰も来なかったです。次には室内も見ます。「宸殿牡丹の間」は、18面の襖絵(複製)は、宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋を飾っている。狩野山楽筆で重要文化財です。
こちらは「松の間」で、襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆で、こちらも複製です。
次に宸殿の裏側に回り込みます。そこにも綺麗な襖絵が・・・?。
裏手の最初部屋が「鶴の間」で、松や鶴が描かれてました。狩野山楽筆で複製です。
次が「紅梅の間」で、襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれていますが、複製品です。
大沢池エリアとお堂エリアを回ってきたので、休憩所で休みました。底から見た宸殿(右)と正寝殿(左)です。
今日は、観月台から入ったので、帰りは玄関から9時53分に出て行きました。
こちらが本来の入口で、ここにも嵯峨菊が置いてありました。
お堂に入るのは、2021年(令3年)4月1日以来でした。お堂エリアの紅葉は、入口の・・・ここだけでした。
コロナウイルスの感染予防からライトアップが中止されたのは残念ですが、もう暫くコロナ禍は続くみたいですね。今日はここだけで帰りました。
【旧嵯峨御所大覚寺門跡】
五大堂観月台に上がると、思ったより人は少なかったです。ここから大沢池を見ると・・・?。
綺麗に嵯峨菊の鉢が置いてあります。毎年、大覚寺では11月1日(月)~30日(火)まで「嵯峨菊展」を開催されています。
嵯峨菊は、大沢池の菊ヶ島に自生していた嵯峨野独特の野菊で、第52代嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられた鑑賞菊です。糸のように細い花弁が特徴の八重咲きで大輪です。一般の菊よりも遅く、11月ごろ開花します。菊特有の鮮明な発色が美しく、和の魅力あふれる品種です。
「五大堂」の北側が通行止めになっていたので、南側に回って玄関まで見て行きます。覗くと、数名の方が写経されてました。内陣には五大明王が本尊として祀られており、五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。
五大堂は江戸中期の創建で、大覚寺の本堂にあたります。大沢池の畔に位置し、正面中央は板唐戸、両脇各2間は蔀戸となっている。大沢池に面する東面は観月台があり大沢池の眺望は素晴らしい。
五大堂を回り込むと、前方に「御影堂」が見えてきます。その前に・・・?。
次が「御霊殿(安井堂)」です。内陣に入れますが、撮影禁止です。そして安井堂の全景は・・・?。
御影堂の前から「御霊殿(安井堂)」を撮りました。
1871年(明治4年)に安井門跡蓮華光院の御影堂移築したもので、天井には雲龍が描かれています。内陣中央には後水尾天皇が祀られてます。
御影堂に着きました。ここも内陣に入れます。「御影堂」は、心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれています。
1925年(大正14年)大正天皇の即位に際して建てられた饗宴殿を移築したものです。大覚寺の歴史上特に重要な嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王の尊像が祀られているため「御影堂」とも呼ばれています。
御影堂の前にも、気品ある嵯峨菊が綺麗に咲いてました。日々手入れされているのでしょう、どれも綺麗ですね。
御影堂を回り込んで裏側まで、やって来ました。そこには「勅封心経殿」があって、「御影堂(心経前殿)」とは繋がっています。こちらは、60年に一度、開けられるお堂で、堂内中央には、嵯峨天皇の「勅封般若心経」がガラスケースの中に納められています。私は2018年(平成30年)の「勅封般若心経戊戌開封法会」で見せていただきました。
1925年(大正14年)法隆寺の夢殿を模して再建。殿内には嵯峨天皇を始め、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の宸翰勅封心経を奉安し、薬師如来像が安置されてます。
お堂エリアの紅葉は、ここだけなんですが、殆ど色づいてないです。大覚寺の紅葉は、ほぼ大沢池エリアです。
次に「村雨の廊下」を通って宸殿に行きます。観月台から来たので、通常の拝観コースとは逆になっています。
宸殿と心経前殿(御影堂)を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がる回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれている。高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍が振り上げられないように低く造られ、床は鶯張りとなっている。
こちらは通常拝観できなくなった「正寝殿」と「霊明殿」に至る村雨の廊下です。見られなくなって残念です。
そして宸殿の西側から南側に回り込むと・・・?。
この「嵯峨菊展」の開催中しか、宸殿の全景を撮ることが出来ません。奇跡的に誰も居ませんでした。
宸殿前には、「左近の橘」と「右近の梅」が見られます。せっかく来たので嵯峨菊も見て行きます。
嵯峨菊を見ていると、遠くの「五大堂」を綺麗に撮れました。普段は庭に降りることが出来ないので、この期間中だけですね。
不思議と、私が宸殿に居る間は誰も来なかったです。次には室内も見ます。「宸殿牡丹の間」は、18面の襖絵(複製)は、宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋を飾っている。狩野山楽筆で重要文化財です。
こちらは「松の間」で、襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆で、こちらも複製です。
次に宸殿の裏側に回り込みます。そこにも綺麗な襖絵が・・・?。
裏手の最初部屋が「鶴の間」で、松や鶴が描かれてました。狩野山楽筆で複製です。
次が「紅梅の間」で、襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれていますが、複製品です。
大沢池エリアとお堂エリアを回ってきたので、休憩所で休みました。底から見た宸殿(右)と正寝殿(左)です。
今日は、観月台から入ったので、帰りは玄関から9時53分に出て行きました。
こちらが本来の入口で、ここにも嵯峨菊が置いてありました。
お堂に入るのは、2021年(令3年)4月1日以来でした。お堂エリアの紅葉は、入口の・・・ここだけでした。
コロナウイルスの感染予防からライトアップが中止されたのは残念ですが、もう暫くコロナ禍は続くみたいですね。今日はここだけで帰りました。
【旧嵯峨御所大覚寺門跡】
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