臨済宗天龍寺派「臨川寺」特別参拝へ

京福電気鉄道株式会社(通称、嵐電)が、臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の特別協力を得て通常非公開の臨済宗天龍寺派臨川寺」特別参拝を企画され、11月24日(水)の平日のみでしたが、嵐電のHPから申込みしました。

拝観時間は、9時と11時、13時、15時の4回それぞれ30名の募集でした。私が申込みをしたときは13時の回が残り僅かでしたが、他は空きがあって予約できました。私が予約してから数日たって、友人から「24日と25日に空きができたので何処から行かない?」と連絡が入り、臨川寺を誘ったところ「行きたい」と言うことで私が代行で申込みし、2人で臨川寺に行くことになりました

当日、友人が車で迎えに来てくれて出発、天龍寺に8時27分に車を止めました。集合時間まで時間があったので、それぞれ別行動し、私は近くの墓参りに行きました。

IMG_4230.jpg友人とは、8時30分に「法堂」前で待合せし、そこから歩いて臨川寺に向かいます。平日ですが、この時間で既に多くの車が止まってました。

天龍寺法堂から、ゆっくりゆっくり歩いて臨川寺に向かいます。嵐山駅はんなり・ほっこりスクエアを通ったり、大井神社を見たりして臨川寺に着きました。何時もは柵で囲まれている山門前も人が入っています。

IMG_4294.jpg8時43分頃に臨川寺「山門」前に着きました。既に5名から6名程度の方が待たれてましたが、受付は50分からだそうです。

IMG_4233.jpgIMG_4234.jpgIMG_4235.jpg待っている間に山門に入って写真を撮りました。寒いけど他にすることも無いのでね。

8時50分に受付開始、名前をチェックされ2000円を納めます。拝観者は私と友人を含めて10名でした。ただ、空きがあるので当日も受付可とされてましたが、この臨川寺の前を通って拝観料2000円では、予約者以外は誰も入らないでしょう。平成の始め頃までは通常拝観されていた臨川寺も、いつの間にか非公開になって、私は2016年(平成28年)4月24日に「アメリカ人禅僧 トーマス・カーシュナー師とめぐる臨川寺と天龍寺の特別拝観」で入りました。友人は初めてと言うことで、今日参加していす。

IMG_4295.jpg臨川寺の副住職阪上宗英(さかがみそうえい)さんのあとを10名が、長い参道を歩いて行きます。そして「中門」まで来ると、副住職さんの案内が始まりました。

臨済宗天龍寺派 霊亀山 臨川寺の歴史は、臨川寺となる前、ここはもともと亀山法皇の離宮であった亀山殿の一部で「川端殿」と呼ばれていました。第96代後醍醐天皇の第二皇子世良(ときなが)親王は、夢想国師からここで禅の心を学ばれていた縁で、離宮から禅寺にする予定も、世良親王が若くして急逝、同じくして開山を予定されていた元翁本元(げんのうほんげん)和尚も亡くなられたため、1335年(建武2年)後醍醐天皇が夢想国師を招いて、世良親王の菩提を祀るために創建されたのが臨川寺です。

IMG_4291.jpg帰りは北門から出るので、ここは通らないので撮りました。紅葉真っ盛りの嵐山。平日でも多くの観光バスが止まっています。

臨川寺は、現在の渡月橋から旧愛宕鉄道跡に建つ高架橋あたりまで広大な敷地を有し天龍寺曹源池庭園のような嵐山を借景にした庭園もあったようです。現在は絵図しか残ってません。

IMG_4292.jpgIMG_4290.jpgこの中門に架かる変額の文字「三會院(さんねいん)」は、室町幕府3代将軍足利義満公の直筆によるものと伝わります。

三會(さんね)とは、弥勒菩薩が出現され、龍の華の樹、すなわち龍華樹の下で三度説法をなさると言うことで、後醍醐天皇は「龍華三會」の寺を願って創建されたので本堂を「三會院」と呼びます。

このあと、参加者全員で中門をくぐって案内の続きを聞きます。

IMG_4238.jpgIMG_4239.jpg入ると正面に「本堂(三會院)」が、左手西側に「書院」が、そして手前には昭和に造られた「枯山水庭園」が見えます。

日本庭園の歴史について話されましたが、今日は大変寒いので、次にスリッパに履き替え本堂内で話しを聞くことになりました。

IMG_4253.jpgIMG_4254.jpg副住職の阪上宗英さんは、この庭を造られた日本画家・伊藤紫虹氏に直接話しを聞かれたようです。

「龍華三會(りゅうげさんね)の庭」と呼ばれる中央に、弥勒菩薩、釈迦如来、地蔵菩薩を据えてあります。弥勒菩薩は、お釈迦様が入滅後、56億7000万年後この世に降りてきて皆のことを救ってくださる説法してくれるという仏様です。その説法を聞きに来られた十六羅漢を回りの石で表した枯山水のお庭です。

IMG_4287.jpg余談ですが、副住職の阪上宗英さんが数えたら、石が17個あるそうです。ちなみに、この庭の正面は本堂から見た姿だそうです。

IMG_4270.jpg堂内の中央にはご本尊の弥勒菩薩像、左手には宝冠釈迦如来像、右手には地蔵菩薩像が祀られていますが、ここが過去に4度火災に遭っていので詳細は不明だそうです。

IMG_4268.jpg「本堂(三會院)」は、向かって左側(西側)に開山堂があって、手前が礼堂、奥が祠堂となっています。先ずは右手(東側)から案内されました。

IMG_4282.jpg向かって左に「後醍醐天皇御位牌」「世良親王御位牌」があって、右に「足利家歴代の御位牌」がありました。副住職さんは、その中で、「鹿苑院殿天山道義大禪定門」(足利義満)と書かれて御位牌で、手に取って近くで見せて貰いました。

IMG_4284.jpgIMG_4285.jpg次に左側(西側)に移動し「祠堂」には臨川寺歴代ご住職の御位牌があります。現在のご住職は、天龍寺の佐々木容道管長さんが兼務でされてます。

IMG_4274.jpgお向かいには仏像が三体あって、真ん中に「達磨大師像」、右手の扁額には「常照(じょうしょう)」と書かれた「無学祖元禅師像」で、鎌倉円覚寺を開山された方。左手の扁額には「廣濟(こうさい)」と書かれた、「高峰顕日(こうほうけんにち)仏国禅師像」で、那須塩原の雲巌寺を開山された方で、夢想国師の師匠にあたる方です。扁額の文字はともに室町幕府3代将軍足利義満公の筆によるものです。

開山堂の奥には、撫で肩の「夢想国師像」が祀られています。お顔は優しそうな表情に見えました。この下には夢想国師のお墓があるため一段高い所に祀られている訳です。手前には「贔屓」が二体阿形吽形で安置されてました。贔屓とは中国における伝説上の生物で、石柱を背負ってます。文字は東京の某大学が解明研究中だそうです。このあと、本堂を出て開山堂を外から見て案内を受けます。

IMG_4297.jpgこちらが「夢想国師の墓所」で、天龍寺の開山堂にあたります。夢想国師の遺言により、成良親王の西に埋葬されてます。

IMG_4259.jpg金網越しに見えるのは九山八海石という蓮華形の石「蓮華石」を置き、その下の石棺に夢想国師は眠られています。

IMG_4263.jpg夢想国師の墓所の東には、醍醐天皇の第二皇子「世良親王の墓」があって、宮内庁が管理されています。

IMG_4266.jpgIMG_4287.jpg再び本堂に戻ってきて、副住職阪上宗英さんの案内は終わりました。このあと写経体験付きプランの方は「書院」に行かれて、あとは自由行動となりました。

一部の方は直ぐに出られましたが、殆どの方は自由に写真を撮りまくりです。少人数のため庭園や堂内など写真自由です

IMG_4242.jpgIMG_4246.jpg今回、写経体験プランの方のみ書院に入れました。ただ2016年(平成28年)4月24日に来た時は入ってます。ここも夢想国師像が祀られてました。

IMG_4289.jpg中門から受付のあった「山門」まで行くと、帰りは北門からと言うことで引き返して来た訳です。裏門から出るには理由がありました。

IMG_4272.jpgせっかく戻ってきたので、庭園を一周します。書院の横には庫裏があって、内部は見られませんでした。

IMG_4250.jpgIMG_4298.jpg9時50分に裏門から出て行きました。出る時に、嵐電嵐山駅はんなり・ほっこりスクエアで使える500円利用券を貰いましたが当日限りでした。

裏門出ると、そこは「嵐山MITATE」でした。昨年会社の同僚と食事に行きました。そんな事を思い出しながら、その前を通ってはんなり・ほっこりスクエアで、生八つ橋590円を90円で買って天龍寺に戻りました。

【天龍寺塔頭 臨川寺】

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