清涼寺(嵯峨釈迦堂)寺宝展へ
厭離庵を出て、愛宕街道を下って行くと、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の西門まで来ました。この清涼寺の境内を横切って帰るつもりでしたが、急に思い立って、「清凉寺 霊宝館秋季特別公開」を見て行くことにしました。
西門を入って清涼寺の境内を撮りました。薬師寺と本堂が見えています。
西門近くにあるのが「狂言堂」で、2014年(平成26年)4月12日の「文化財特別鑑賞」で内部を見せて貰いました。
その横が「鐘楼」で、上がることができません。
その向かいが「薬師寺」で、最近庭園を整備されたことをNHKニュース映像で見ました。ここは年一回、8月24日の「地蔵盆」のみ公開されます。
「本堂」の前は通過です。タクシーの運転手さんに連れて来られた修学旅行生も居ました。今日は堂内には入りません。まだ紅葉は早いでしょう。
本堂の東側に「阿弥陀堂」があって帰りに寄りますが、その北側の奥に「霊宝館」があります。
「霊宝館」に入るのは、2014年(平成26年)4月12日の「文化財特別鑑賞」以来です。この時は招待でしたが・・・?。
今日は初めて拝観料を納めます。400円でした。本堂との共通券は700円だそうです。なお、館内は撮影禁止です。
久し振りに見る寺宝について、
国宝「阿弥陀三尊坐像」(平安時代前期)は、源氏物語の光源氏のモデルとされてる源融(みなもとのとおる)が造らせた像と伝わります。源氏物語でも「嵯峨御寺」と言われた清凉寺の前身である棲霞寺の旧本尊でした。中央に丈六の本尊阿弥陀如来、左右に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた厳然たる尊容は他になく、嵯峨光仏と称し信仰されています。
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「普賢菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「釈迦十大弟子像」(平安時代後期)
重要文化財「四天王立像」(平安時代後期)
「清涼寺式釈迦如来模刻像」(鎌倉時代)
重要文化財「兜跋毘沙門天像」(平安時代後期) ここまでが1階で次に2階に上がります。
国宝「釈迦如来立像体内納入品」(中国宋時代)は、清涼寺本尊・三国伝来生身釈迦如来の体内から1953年(昭和28年)に出現したおびただしい納入品26件。特に貴重な大発見となったのが、五色のシルクで造られた「五臓六腑」で、世界最古の内蔵模型として極めて珍しい貴重なものです。
国宝「十六羅漢図」(中国宋時代)は、展示されているのは模写。宋代の遺品として名だ高く神秘的な色彩、多彩な構図と北宋画の優れた作例です。
府指定文化財「渡邊正栄尼像図」(桃山時代)
府指定文化財「市姫像図」(桃山時代)
重要文化財「蓮生熊谷次郎直実自筆誓願状」(鎌倉時代前期)
市指定文化財「狩野探幽作 花鳥図 紙本墨画金泥引 六曲一双」(江戸時代)
約10分、ゆっくり鑑賞し出て行きました。館内は私だけでしたし、このあとも来られそうな雰囲気は無かったですね。
帰りに「阿弥陀堂」に寄りました。ここは嵯峨天皇の皇子で皇族賜姓の源融が9世紀後半に嵯峨に営んだ山荘跡。その源融が高いしたあと、子供たちが完成されたのが棲霞(せいか)寺で、源融を偲ぶ唯一の建物と言われています。
もともとこの地は、嵯峨天皇の皇子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる左大臣・源融の別荘、棲霞観(せいかかん)があったところとされています。源融は阿弥陀堂の建立を計画ししたが、自身が895(寛平7年)に没したため、翌年、子息らが完成させ阿弥陀三尊(現在は霊宝館に安置)を祀って棲霞寺と号し、後に建てられた釈迦堂が清涼寺へと発展していきました。
このまま帰るつもりでしたが、源融の墓所があるので寄って行きます。それは「本堂」の西側にありました。
こちらは、清涼寺の開祖「奝然上人(ちょうねんしょうにん)の墓」です。
こちらは右に「第52代嵯峨天皇の宝塔(平安時代中期)」と左に「檀林皇后の宝塔(平安時代末期)」です。明治以前はは御陵とされてたものです。
その奥に「源融の墓」がありました。源融は第52代嵯峨天皇の十二男。最高の官位は従一位左大臣で、六条河原院を造営したことから、河原左大臣(かわらのさだいじん)と呼ばれました。
こちらは「聖徳太子殿」で、この辺りの紅葉は見事です。奈良法隆寺の夢殿を模して建てられました。
「多宝塔(京都府指定文化財)は、1703年(元禄16年)に建立されたものです。内部の公開は聞いたことがありません。
仁王門の前には「法然房源空二十四歳 求道青年像」が立っています。その先の「あぶり餅のお店」は営業されてません。
仁王門を入った東側には「愛宕大権現社」が祀られています。明治の神仏分離以前は、愛宕・野々宮神社の神事はここで行われたそうです
最後に「仁王門(京都府指定文化財)」から出て行きました。何年か前に、この仁王門に暴走車が衝突して、門が壊れましたね。1796年(寛政8年)建立、初層には室町時代の仁王像、上層には十六羅漢像が祀られていると書かれてました。
この清涼寺の東隣に「森嘉の豆腐」がありますが、お休みでした。豆腐と飛竜頭を買って帰るつもりでしたが残念。このまま帰りました。
【清涼寺(嵯峨釈迦堂)】
西門を入って清涼寺の境内を撮りました。薬師寺と本堂が見えています。
西門近くにあるのが「狂言堂」で、2014年(平成26年)4月12日の「文化財特別鑑賞」で内部を見せて貰いました。
その横が「鐘楼」で、上がることができません。
その向かいが「薬師寺」で、最近庭園を整備されたことをNHKニュース映像で見ました。ここは年一回、8月24日の「地蔵盆」のみ公開されます。
「本堂」の前は通過です。タクシーの運転手さんに連れて来られた修学旅行生も居ました。今日は堂内には入りません。まだ紅葉は早いでしょう。
本堂の東側に「阿弥陀堂」があって帰りに寄りますが、その北側の奥に「霊宝館」があります。
「霊宝館」に入るのは、2014年(平成26年)4月12日の「文化財特別鑑賞」以来です。この時は招待でしたが・・・?。
今日は初めて拝観料を納めます。400円でした。本堂との共通券は700円だそうです。なお、館内は撮影禁止です。
久し振りに見る寺宝について、
国宝「阿弥陀三尊坐像」(平安時代前期)は、源氏物語の光源氏のモデルとされてる源融(みなもとのとおる)が造らせた像と伝わります。源氏物語でも「嵯峨御寺」と言われた清凉寺の前身である棲霞寺の旧本尊でした。中央に丈六の本尊阿弥陀如来、左右に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた厳然たる尊容は他になく、嵯峨光仏と称し信仰されています。
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「普賢菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「釈迦十大弟子像」(平安時代後期)
重要文化財「四天王立像」(平安時代後期)
「清涼寺式釈迦如来模刻像」(鎌倉時代)
重要文化財「兜跋毘沙門天像」(平安時代後期) ここまでが1階で次に2階に上がります。
国宝「釈迦如来立像体内納入品」(中国宋時代)は、清涼寺本尊・三国伝来生身釈迦如来の体内から1953年(昭和28年)に出現したおびただしい納入品26件。特に貴重な大発見となったのが、五色のシルクで造られた「五臓六腑」で、世界最古の内蔵模型として極めて珍しい貴重なものです。
国宝「十六羅漢図」(中国宋時代)は、展示されているのは模写。宋代の遺品として名だ高く神秘的な色彩、多彩な構図と北宋画の優れた作例です。
府指定文化財「渡邊正栄尼像図」(桃山時代)
府指定文化財「市姫像図」(桃山時代)
重要文化財「蓮生熊谷次郎直実自筆誓願状」(鎌倉時代前期)
市指定文化財「狩野探幽作 花鳥図 紙本墨画金泥引 六曲一双」(江戸時代)
約10分、ゆっくり鑑賞し出て行きました。館内は私だけでしたし、このあとも来られそうな雰囲気は無かったですね。
帰りに「阿弥陀堂」に寄りました。ここは嵯峨天皇の皇子で皇族賜姓の源融が9世紀後半に嵯峨に営んだ山荘跡。その源融が高いしたあと、子供たちが完成されたのが棲霞(せいか)寺で、源融を偲ぶ唯一の建物と言われています。
もともとこの地は、嵯峨天皇の皇子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる左大臣・源融の別荘、棲霞観(せいかかん)があったところとされています。源融は阿弥陀堂の建立を計画ししたが、自身が895(寛平7年)に没したため、翌年、子息らが完成させ阿弥陀三尊(現在は霊宝館に安置)を祀って棲霞寺と号し、後に建てられた釈迦堂が清涼寺へと発展していきました。
このまま帰るつもりでしたが、源融の墓所があるので寄って行きます。それは「本堂」の西側にありました。
こちらは、清涼寺の開祖「奝然上人(ちょうねんしょうにん)の墓」です。
こちらは右に「第52代嵯峨天皇の宝塔(平安時代中期)」と左に「檀林皇后の宝塔(平安時代末期)」です。明治以前はは御陵とされてたものです。
その奥に「源融の墓」がありました。源融は第52代嵯峨天皇の十二男。最高の官位は従一位左大臣で、六条河原院を造営したことから、河原左大臣(かわらのさだいじん)と呼ばれました。
こちらは「聖徳太子殿」で、この辺りの紅葉は見事です。奈良法隆寺の夢殿を模して建てられました。
「多宝塔(京都府指定文化財)は、1703年(元禄16年)に建立されたものです。内部の公開は聞いたことがありません。
仁王門の前には「法然房源空二十四歳 求道青年像」が立っています。その先の「あぶり餅のお店」は営業されてません。
仁王門を入った東側には「愛宕大権現社」が祀られています。明治の神仏分離以前は、愛宕・野々宮神社の神事はここで行われたそうです
最後に「仁王門(京都府指定文化財)」から出て行きました。何年か前に、この仁王門に暴走車が衝突して、門が壊れましたね。1796年(寛政8年)建立、初層には室町時代の仁王像、上層には十六羅漢像が祀られていると書かれてました。
この清涼寺の東隣に「森嘉の豆腐」がありますが、お休みでした。豆腐と飛竜頭を買って帰るつもりでしたが残念。このまま帰りました。
【清涼寺(嵯峨釈迦堂)】
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