臨済宗相国寺派 大本山 萬年山相國承天禅寺(相国寺)「秋の特別拝観」へ
12月7日(火)の朝から降り始めた雨が、止んだのは12月8日(水)の朝。一日中降り続いたことで、これで京都の紅葉は、すべて落葉になったなぁ・・・と思いましたが、当初の予定どおり相国寺「秋の特別拝観」に行くことにしました。
地下鉄烏丸線「今出川駅」を下車し、烏丸通りを北上し、相国寺境内の西側から入りました。
相国寺の特別拝観は、法堂、方丈、開山堂と回りますが、先に「法堂」の写真を撮りました。
10時5分頃に方丈前の拝観受付所に行き拝観料800円を納めると「今日は法要のため現在法堂は見られないので、先に開山堂に行ってください」と案内されました。聞くと法堂に入れるのは11時過ぎになると・・・今日は、お昼を予約しており、相国寺を11時までに出ないと間に合わない距離にあります。法堂を見てからタクシーで移動するか、法堂を諦めるか二者択一を迫られたようなもので、後程結論は出します。
そのチケットを持って開山堂に向かいます。昨年はコロナ禍のため拝観中止されたので、2年振りの訪問です。
ここでチケットを見せ、靴を脱いで上がります。どうも私が最初のようですね。ここから2019年(令和元年)11月21日以来の開山堂を見ます。
開山堂庭園の紅葉は、昨日の雨で完全に散ってしまいました。仕方ないですね。
開山堂の南側に広がる庭園は「開山塔庭園」と呼ばれ、手前が白砂敷の枯山水、奥部が軽くなだらかな苔地築山で、奇岩を配し樹木が植えられています。このような調和の取れた二様の庭が一体となっているのは美しく、禅宗寺院では珍しいと言われています。また、庭の水路は「龍淵水(りゅうえんすい)」と呼ばれ、創建当時は相国寺境内の水路(碧玉溝)に通じて賀茂川の水を御用水として皇居に流していました。
開山堂は、相国寺勧請開山の夢想国師の木像を正面中央最奥に安置しているお堂で、特にその箇所を開山塔(円明塔)または祠堂とも呼び、境内で最も神聖かつ大切な場所となっています。14世紀後半に創建され、元は崇壽院と称しました。数回の火災、戦禍により焼失し、現在の建物は1807年(文化4年)に第116代桃園天皇皇后の恭礼門院(きょうらいもんいん)の黒御所を拝領して移築し開山堂に改めもので、入母屋造り、前に広縁、三方に落縁をもち、高欄を備えて内部と共に御殿の様式をとどめています。夢想国師像前面左右に脇壇があって、西壇には右から無学祖元禅師(仏光国師)、高峰顕日禅師(仏国国師)、春屋妙葩禅師(普明国師)の各祖師像と相国寺開基である足利義満公像を、東壇には当寺の創建や再建に功績があった第100代後小松天皇、第108代後水尾天皇の位牌や桂宮歴代像などが安置されています。
最初は誰も居なかった開山堂も、人が増えてきたので10時13分に出て方丈に向かいました。
方丈に戻ってきたら「お早いお戻りで」と言われました。チケットを見せることもなく、スリッパに履き替え方丈に上がります。
1807年(文化4年)再建の「方丈」は、禅宗寺院の住持が住する場所で、接客や法要に使われます。
方丈の内部は、南北それぞれ3室ずつに分かれ、合計6室あります。南側3室が公の空間である表方丈、その「中央の間」が室中と呼ばれ、襖絵は原在中の「普陀落山(ふだらく)図」です。正面に掛かっている遠塵齋(えんじんさい)加藤信清筆の「観音菩薩画像」は、“法華経”の経文によって描かれており、手前のパネルで確認できます。手前の室が「竹の間」と呼ばれ、襖絵は「竹林図(王潾筆)」。そして奥の室が「梅の間」と呼ばれ、襖絵は「老梅図(維明周奎筆)」です。
禅宗寺院らしく、三門(址)、法堂、方丈と直線で並んで建っているのが、方丈前庭を見ると分かります。
表方丈庭園は白砂敷きの枯山水庭園で、禅の境地「無」を表現していると言われています。単調な造りながら、白砂は太陽の反射を利用して室内を明るくし、また法堂の姿を立派に浮き立たせる効果もあるそうです。
方丈西側の奥にある杉戸絵は、原在中の「白象図」(複製)です。こちらはガイドさんより撮影の許可を貰いました。
表方丈庭園が白砂を敷き詰めたシンブルな庭園でしたが、方丈の西側からは苔生した庭園に変わりました。
次に方丈西側から、次に方丈の裏側に回り込みます。
「裏方丈庭園」では、昨日の雨にも負けず紅葉が、残ってました。
裏方丈庭園(京都市指定名勝)は、表方丈庭園とは対照的に、手前を谷川に見立てて掘り下げ、対岸には築山を設け、市中にいながら深山幽谷の雰囲気を感じさせる庭であり、悟りの無いようの豊かさを表現しています。
裏方丈の西側の室は、「聴呼の間」と呼ばれ、襖絵は原在中筆の「八仙人図」。中央の室が「御所移しの間」で、襖絵が土佐派の「吉野山桜図」。ここには室町幕府3代将軍足利義満公が乗ったと云わる籠の展示があります。そして最後の室が「琴棋書画の間」で、襖絵は原在中筆「琴棋書画図」でした。
10時30分過ぎに方丈を見終わって、受付に戻ると「用事が済んだら戻って来て貰ったら法堂に入って貰えます」と言われましたが・・・。
結局、法堂は諦めました。本当なら「蟠龍図(狩野光信作)」の下で手を叩き“鳴き龍”を聞きたかったけど仕方ないですね。見られなかったので、ポストカードを買いました。
帰りに「洪音楼」(鐘楼)に寄ると、紅葉が綺麗でした。大型の袴腰が付いた鐘楼ですね。散りモミジも綺麗です。
現在、法要中の「法堂」も、ここから見れば紅葉が綺麗です。
10時40分頃に「総門」を出ました。相国寺の近くに同志社大学があるので、境内には学生が多いです。
今日のお昼を予約しているのが、川端の丸太町にあるため、京都御苑を横切って行きます。余談ですが、この総門を出ると前方の今出川通りの信号は、赤でした。そこから総門の写真を撮って、ゆっくり歩いて行くと、今出川通りの信号は赤のままです。こんな長い信号に引っかかったらイライラするでしょうね。おかげで、私は信号をゆっくり渡れましたが。
京都御苑の紅葉は、ほぼ終わってましたが、一部綺麗に残っているのもありました。それが、この紅葉です。
京都御苑には、今出川御門から入りました。門を入って南に下ると、京都御所に北側にあたります。その塀沿いに東に進み、次に東塀沿いに下ります。広い広い京都御所を下って行く左手には、京都迎賓館が見えてきます。そして京都御所の南側まで来ると、東に進み、今度は仙洞御所の北塀を東に進むと清和院御門があるので、そこから京都御苑に出て、急に思いついた寺院に行くことにしました。
【相国寺】
地下鉄烏丸線「今出川駅」を下車し、烏丸通りを北上し、相国寺境内の西側から入りました。
相国寺の特別拝観は、法堂、方丈、開山堂と回りますが、先に「法堂」の写真を撮りました。
10時5分頃に方丈前の拝観受付所に行き拝観料800円を納めると「今日は法要のため現在法堂は見られないので、先に開山堂に行ってください」と案内されました。聞くと法堂に入れるのは11時過ぎになると・・・今日は、お昼を予約しており、相国寺を11時までに出ないと間に合わない距離にあります。法堂を見てからタクシーで移動するか、法堂を諦めるか二者択一を迫られたようなもので、後程結論は出します。
そのチケットを持って開山堂に向かいます。昨年はコロナ禍のため拝観中止されたので、2年振りの訪問です。
ここでチケットを見せ、靴を脱いで上がります。どうも私が最初のようですね。ここから2019年(令和元年)11月21日以来の開山堂を見ます。
開山堂庭園の紅葉は、昨日の雨で完全に散ってしまいました。仕方ないですね。
開山堂の南側に広がる庭園は「開山塔庭園」と呼ばれ、手前が白砂敷の枯山水、奥部が軽くなだらかな苔地築山で、奇岩を配し樹木が植えられています。このような調和の取れた二様の庭が一体となっているのは美しく、禅宗寺院では珍しいと言われています。また、庭の水路は「龍淵水(りゅうえんすい)」と呼ばれ、創建当時は相国寺境内の水路(碧玉溝)に通じて賀茂川の水を御用水として皇居に流していました。
開山堂は、相国寺勧請開山の夢想国師の木像を正面中央最奥に安置しているお堂で、特にその箇所を開山塔(円明塔)または祠堂とも呼び、境内で最も神聖かつ大切な場所となっています。14世紀後半に創建され、元は崇壽院と称しました。数回の火災、戦禍により焼失し、現在の建物は1807年(文化4年)に第116代桃園天皇皇后の恭礼門院(きょうらいもんいん)の黒御所を拝領して移築し開山堂に改めもので、入母屋造り、前に広縁、三方に落縁をもち、高欄を備えて内部と共に御殿の様式をとどめています。夢想国師像前面左右に脇壇があって、西壇には右から無学祖元禅師(仏光国師)、高峰顕日禅師(仏国国師)、春屋妙葩禅師(普明国師)の各祖師像と相国寺開基である足利義満公像を、東壇には当寺の創建や再建に功績があった第100代後小松天皇、第108代後水尾天皇の位牌や桂宮歴代像などが安置されています。
最初は誰も居なかった開山堂も、人が増えてきたので10時13分に出て方丈に向かいました。
方丈に戻ってきたら「お早いお戻りで」と言われました。チケットを見せることもなく、スリッパに履き替え方丈に上がります。
1807年(文化4年)再建の「方丈」は、禅宗寺院の住持が住する場所で、接客や法要に使われます。
方丈の内部は、南北それぞれ3室ずつに分かれ、合計6室あります。南側3室が公の空間である表方丈、その「中央の間」が室中と呼ばれ、襖絵は原在中の「普陀落山(ふだらく)図」です。正面に掛かっている遠塵齋(えんじんさい)加藤信清筆の「観音菩薩画像」は、“法華経”の経文によって描かれており、手前のパネルで確認できます。手前の室が「竹の間」と呼ばれ、襖絵は「竹林図(王潾筆)」。そして奥の室が「梅の間」と呼ばれ、襖絵は「老梅図(維明周奎筆)」です。
禅宗寺院らしく、三門(址)、法堂、方丈と直線で並んで建っているのが、方丈前庭を見ると分かります。
表方丈庭園は白砂敷きの枯山水庭園で、禅の境地「無」を表現していると言われています。単調な造りながら、白砂は太陽の反射を利用して室内を明るくし、また法堂の姿を立派に浮き立たせる効果もあるそうです。
方丈西側の奥にある杉戸絵は、原在中の「白象図」(複製)です。こちらはガイドさんより撮影の許可を貰いました。
表方丈庭園が白砂を敷き詰めたシンブルな庭園でしたが、方丈の西側からは苔生した庭園に変わりました。
次に方丈西側から、次に方丈の裏側に回り込みます。
「裏方丈庭園」では、昨日の雨にも負けず紅葉が、残ってました。
裏方丈庭園(京都市指定名勝)は、表方丈庭園とは対照的に、手前を谷川に見立てて掘り下げ、対岸には築山を設け、市中にいながら深山幽谷の雰囲気を感じさせる庭であり、悟りの無いようの豊かさを表現しています。
裏方丈の西側の室は、「聴呼の間」と呼ばれ、襖絵は原在中筆の「八仙人図」。中央の室が「御所移しの間」で、襖絵が土佐派の「吉野山桜図」。ここには室町幕府3代将軍足利義満公が乗ったと云わる籠の展示があります。そして最後の室が「琴棋書画の間」で、襖絵は原在中筆「琴棋書画図」でした。
10時30分過ぎに方丈を見終わって、受付に戻ると「用事が済んだら戻って来て貰ったら法堂に入って貰えます」と言われましたが・・・。
結局、法堂は諦めました。本当なら「蟠龍図(狩野光信作)」の下で手を叩き“鳴き龍”を聞きたかったけど仕方ないですね。見られなかったので、ポストカードを買いました。
帰りに「洪音楼」(鐘楼)に寄ると、紅葉が綺麗でした。大型の袴腰が付いた鐘楼ですね。散りモミジも綺麗です。
現在、法要中の「法堂」も、ここから見れば紅葉が綺麗です。
10時40分頃に「総門」を出ました。相国寺の近くに同志社大学があるので、境内には学生が多いです。
今日のお昼を予約しているのが、川端の丸太町にあるため、京都御苑を横切って行きます。余談ですが、この総門を出ると前方の今出川通りの信号は、赤でした。そこから総門の写真を撮って、ゆっくり歩いて行くと、今出川通りの信号は赤のままです。こんな長い信号に引っかかったらイライラするでしょうね。おかげで、私は信号をゆっくり渡れましたが。
京都御苑の紅葉は、ほぼ終わってましたが、一部綺麗に残っているのもありました。それが、この紅葉です。
京都御苑には、今出川御門から入りました。門を入って南に下ると、京都御所に北側にあたります。その塀沿いに東に進み、次に東塀沿いに下ります。広い広い京都御所を下って行く左手には、京都迎賓館が見えてきます。そして京都御所の南側まで来ると、東に進み、今度は仙洞御所の北塀を東に進むと清和院御門があるので、そこから京都御苑に出て、急に思いついた寺院に行くことにしました。
【相国寺】
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