洛陽三十三所観音巡礼 第三番札所 護浄院(清荒神)へ

京都御苑の清和院御門を出て、少し北に上がると廬山寺や梨木神社がありますが、最近訪れていたのと、目的地と逆行となるので、そのまま寺町通りを南下していると、2006年(平成18年)6月11日以来、来て無かった洛陽三十三所観音巡礼 第三番札所 護浄院(清荒神)に寄って行くことにしました。

護浄院は正式には常施無畏(じょうせいむい)寺といい、天台宗の寺で通称名の清荒神さんで親しまれています。本尊の清三宝大荒神は772年(宝亀2年)、第49代光仁(こうにん)天皇の皇子開成(かいじょう)親王の作といわれ、摂津国勝尾山にあったのを第100代後小松天皇の勅命により京都の高辻堀川に移され、初めて清荒神といわれた。その後、1600年(慶長5年)に現在地に移され、第107代後陽成天皇自作の如来荒神尊7体を合わせ祀って長日の御祈願を行い、1697年(元禄10年)第113代東山天皇が御所の浄域を護ることから護浄院の院号を賜り今日に至っている。

IMG_5317.jpgIMG_5315.jpg寺町通りを下がり、鴨沂高校のグランド角を東に進むと、ほどなくして清荒神と書かれた大きな提灯がぶら下がる「表門」前に11時4分に着きました。

15年も来て無かったので、境内の様子は覚えてません。先ずは門を入って左手の「尊天堂」から見て行きました。

IMG_5294.jpgIMG_5308.jpgIMG_5309.jpgこの「尊天堂」の中には入れませんが、内部はガラス越しで見られそうます。ただガラスが反射して見えませんね。左手前は「辨財天」の扁額が掛かってました。

この前に「京の七福神」の幟が掛かっています。ちなみにゑびす神(恵美須神社)、大黒天(松ヶ崎妙円寺)、毘沙門天(毘沙門堂)、布袋尊(長楽寺)、福禄寿(護浄院)、寿老人(行願寺)、弁財天(三千院)以上が、七福神です。ただ「都七福神」には、護浄院は入ってません。ここに祀られている福徳恵美須神社は、もともと禁裏で祀られていたものを、明治維新の際にここに移され、京都七福神の一つに数えられるようになりました。

IMG_5314.jpgIMG_5307.jpg右横が「准胝観世音」の扁額が掛かり、洛陽三十三所観音巡礼 第三番札所の准胝観世音菩薩が祀られています。

手前には夫婦円満、縁結びのご利益があるとされる「道祖神」の石像がありました。

IMG_5305.jpgIMG_5296.jpgそして、さらに右を見ると「不動明王」「大聖歓喜天」「薬師如来」の扁額が架かるお堂が続いてました。

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また、ここには「第119代光格天皇御胞塚」がありました。この塚は光格天皇の胞衣を埋納した塚で、胞衣(えな)とは胎盤のことをいい、かわらけに胞衣を入れ、のし結びや小刀を副えて吉方の土中に納める習俗がありました。

IMG_5295.jpg門を入った正面には「庫裏」があります。

IMG_5311.jpgその右横が「寺務所」で、2006年(平成18年)6月11日には、洛陽三十三所観音巡礼の御朱印を、ここでいただきました。

IMG_5301.jpgいったん「西門」から出て見ました。向かいは京都府立鴨沂高校です。沢田研二さんの母校ですね

IMG_5299.jpgIMG_5300.jpg西門を入って左手・・・最後にお参りする三宝荒神堂前には「無垢の井」という井戸があり、井戸より湧く湧水は「無垢の水」と呼ばれて親しまれていますが、今日は使用禁止とありました。

IMG_5312.jpgIMG_5297.jpgIMG_5298.jpgこちらが護浄院の本堂にあたる「清荒神堂」です。お堂の前に鳥居がある神仏習合時代の名残ですね。ここにご本尊である火の神、竈神として清三宝大荒神尊が安置されているのです。

IMG_5306.jpgIMG_5310.jpg表門を入ると、上記のように案内が出ているので、本尊には迷わずお参りできます。

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この松は「浄蔵貴所 採燈護摩壇旧蹟」で、浄蔵は平安時代中期の天台宗の高僧で比叡山で密教を学び、平将門の乱が起こると平将門を調伏したと験力をしました。また、美声で声明家としても知られています。

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まだ、少し早かったけど、11時10分に護浄院を出ました。

この辺りの町名は荒神町は、ここより起こったもので、この先の交差点は荒神口と言います。祖母の親戚が住まわれていたので、子供の頃から、この地名には馴染みがあります。このあと、今日の目的地に向かいました。

【護浄院(清荒神)】

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