良縁の神様 嵐山の辨天さん「櫟谷宗像神社」へ
12月9日(木)に「嵐山モンキー パーク いわたやま」に行きましたが、今度は御朱印を貰うだけに12月15日(水)に「櫟谷宗像神社」に再訪したわけです。
渡月橋を渡ると「星のや京都」の船が停留されてました。あの超高級旅館は大堰川の上流にあって、この船で向かうわけです。
その先には愛宕山が山頂まで綺麗に見えています。今日も天気が良さそうです。
大堰川沿いを上ると「松尾大社摂社 櫟谷宗像神社」と書かれた石碑があるので、この階段をあがります。
境内の入口には「櫟谷神社」「宗像神社」と書かれた扁額が架かっています。
ここには2016年(平成28年)2月28日を始め、何度か来ましたが、いつも社務所は閉まってました。さて今日は・・・?。
石段を上がると境内に入り、右手には「手水舎」がありましたが、水は出ないですね。コロナウイルスの感染対策でしょう。
この日は「嵐山モンキー パーク いわたやま」の登るため9時15分でしたので、「社務所」は閉まっています。ここは10時に開くので再訪した訳です。
こちらが「櫟谷宗像神社」の「本殿」で、櫟谷神社の祭神が、奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)。宗像神社の祭神が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱です。
この二柱は、福岡県の宗像大社の御祭神で、古くから海の神・水の神として水上交通安全の神として崇敬されてました。当地は668年(天智天皇7年)に大堰川(桂川)の水運の安全を願って勧請されたと伝わります。現在は一緒の本殿で祀られていますが、室町時代の絵図によると別々の社で祀られていたようです。櫟谷神社は848年(嘉祥元年)に従五位下(じゅごいげ)、868年(貞観10年)には正従五位下の神階(しんかい)を受けられた延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。宗像神社は、平安時代に葛野鋳銭所(かどのちゅうせんしょ)(現在の造幣局)で鋳造された新鋳銭を奉納されていた由緒ある神社です。市杵島姫命が七福神の辨財天と同一つとされることから、嵐山辨財天とも呼ばれ福徳財宝の神として、また水難除けの神として崇敬を集めました。1877年(明治10年)より松尾大社の摂社となり現在に至っています。
この日は、10時を回ってきたので「社務所」開いてました。朱印帳を差し出すと、「ここは書き置きのみ」とのこと。それなら、モンキーパークの帰りに寄っても良かった・・・です。
帰ってから、朱印帳に貼り付けました。同じように見えますが、左はデザインが違います。
帰りは、行きに来た石段を降りません。
帰りは、この北向きの鳥居から降りることにしました。
ここから降りると、遠くに「渡月橋」が見えました。
正面には、雄大な「愛宕山」が見えています。
大堰川沿いに降りてきて「渡月橋」を撮りました。
この日は、12月9日でしたので、明日から始まる「嵐山花燈籠」の準備が進んでましたね。
今日は、これで渡月橋を渡って歩いて帰りましたが、この12月15日(水)は、櫟谷宗像神社に行く前に、法輪寺に行ってました。それは翌日に。
【櫟谷宗像神社】
渡月橋を渡ると「星のや京都」の船が停留されてました。あの超高級旅館は大堰川の上流にあって、この船で向かうわけです。
その先には愛宕山が山頂まで綺麗に見えています。今日も天気が良さそうです。
大堰川沿いを上ると「松尾大社摂社 櫟谷宗像神社」と書かれた石碑があるので、この階段をあがります。
境内の入口には「櫟谷神社」「宗像神社」と書かれた扁額が架かっています。
ここには2016年(平成28年)2月28日を始め、何度か来ましたが、いつも社務所は閉まってました。さて今日は・・・?。
石段を上がると境内に入り、右手には「手水舎」がありましたが、水は出ないですね。コロナウイルスの感染対策でしょう。
この日は「嵐山モンキー パーク いわたやま」の登るため9時15分でしたので、「社務所」は閉まっています。ここは10時に開くので再訪した訳です。
こちらが「櫟谷宗像神社」の「本殿」で、櫟谷神社の祭神が、奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)。宗像神社の祭神が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱です。
この二柱は、福岡県の宗像大社の御祭神で、古くから海の神・水の神として水上交通安全の神として崇敬されてました。当地は668年(天智天皇7年)に大堰川(桂川)の水運の安全を願って勧請されたと伝わります。現在は一緒の本殿で祀られていますが、室町時代の絵図によると別々の社で祀られていたようです。櫟谷神社は848年(嘉祥元年)に従五位下(じゅごいげ)、868年(貞観10年)には正従五位下の神階(しんかい)を受けられた延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。宗像神社は、平安時代に葛野鋳銭所(かどのちゅうせんしょ)(現在の造幣局)で鋳造された新鋳銭を奉納されていた由緒ある神社です。市杵島姫命が七福神の辨財天と同一つとされることから、嵐山辨財天とも呼ばれ福徳財宝の神として、また水難除けの神として崇敬を集めました。1877年(明治10年)より松尾大社の摂社となり現在に至っています。
この日は、10時を回ってきたので「社務所」開いてました。朱印帳を差し出すと、「ここは書き置きのみ」とのこと。それなら、モンキーパークの帰りに寄っても良かった・・・です。
帰ってから、朱印帳に貼り付けました。同じように見えますが、左はデザインが違います。
帰りは、行きに来た石段を降りません。
帰りは、この北向きの鳥居から降りることにしました。
ここから降りると、遠くに「渡月橋」が見えました。
正面には、雄大な「愛宕山」が見えています。
大堰川沿いに降りてきて「渡月橋」を撮りました。
この日は、12月9日でしたので、明日から始まる「嵐山花燈籠」の準備が進んでましたね。
今日は、これで渡月橋を渡って歩いて帰りましたが、この12月15日(水)は、櫟谷宗像神社に行く前に、法輪寺に行ってました。それは翌日に。
【櫟谷宗像神社】
この記事へのコメント