京都でもっとも遅い紅葉を見に賀茂御祖神社(下鴨神社)糺の森へ
京都の紅葉で、もっとも遅いとされるのが下鴨神社 糺の森だと言われています。その糺の森に、12月14日(火)は、所用があって空いた時間を利用して所用先から往復タクシーを利用し、遅い紅葉を見に行きました。
9時17分に、御蔭通り沿いにある糺の森の入口で、タクシーを降りました。10時には戻る必要があるので、急いで回ります。
この日は12月14日で、紅葉はとっくに終わってても不思議ではありませんが、まだ見頃が続いてました。このまま「表参道」を歩いて行きます。
広い広い糺の森「表参道」を歩く人は少なかったです。12月半ばでも修学旅行生が来てますね。
この辺りが糺の森の臍(真ん中)にあたります。ここから少し寄り道?を。
ここで糺の森を横切る「泉川」を渡ります。この橋は、糺の森を横断できるので、交通量?は多いです。
こちらが、かつての「糺の森祭祀遺構」で復元されていました。2001年(平成13年)に実施された発掘調査により見つかった遺構で、石敷遺構として復元されました。
世界文化遺産 賀茂御祖神社境内 糺の森は、794年(延暦13年)11月平安京へ遷都される以前の山城盆地は湖と森に覆われていました。史跡糺の森は、唯一その頃の面影を残し、古代遺跡を数多く包蔵しています。祭壇の構造は、下段に拳大の河原石を丁寧に敷き並べ、厚い箇所は数段に積み重ね土で固めています。上段はその上を静浄な黄褐土で覆うという二段に構築しています。一方、祭壇上から河原石を数カ所集め壺状に築いた中へ楕円形の河原石を直立させた遺構が発見されました。また、江戸時代の土器や銭貨(寛永通宝)を納めた遺構も出土し、それらも整備されています。構築物の基礎に河原石を多用する工法は、平安時代後期の天皇あるは上皇が営んだ寺院や御所にみられます。祭壇は、旧奈良の小川や泉川を望んだ一にあることから、水に関係する祭祀が行われたものと考えられます。
綺麗な紅葉を見ながら歩いて行くと、前方に「南口鳥居」が、ようやく見えました。
南口鳥居の手前、右手には「手水舎」があります。こちらには下記のような案内文が書いてありました。
御手洗は、御祭神の神話に因んで舟形磐座石で、御神水をそそぐ桶は、糺の森の主と呼ばれていた樹齢600年の欅から造られ、覆屋は、崇神天皇7年(前90年頃)賀茂御祖神社糺の森神地の瑞垣の造替を賜った記録をもとに再現されたものです。
南口鳥居の左手前には「さざれ石」があります。石灰岩が凝固した岩石で、国歌「君が代」にも歌われる。
鳥居の先には国指定重要文化財の「楼門」が。入母屋造り、桧皮葺きの鮮やかな朱塗りの門です。
楼門を入ると正面に「舞殿(まいどの)」があって、絵馬は今年の丑の絵でした。来年の寅年の絵馬を期待していたので、少々残念です。
本殿前でお参りいるためには、重要文化財に指定されている「中門」をくぐります。
国宝の本殿は奥で見えないので、「幣殿」前にてお参りさせて貰いました。
中門内には干支(十二支)の社があるので、私の生まれ年である社で、お参りさせて貰いました。
中門を出て東側の奥に行ってみます。先ずは御手洗川の上に架けられた建物「橋殿(ほそどの)(重要文化財)」を通りました。ここでは、神楽や雅楽、能などが演じられます。
御手洗川に架かる橋を渡ると、正面に「細殿」(重文)があります。歴代天皇の行幸、法皇、上皇、院の御幸の安在所。内部は二重格天井を持ち、向拝付流造で、檜皮葺となっています。
その南側に「伊勢神宮遙拝所」がありました。以前、来た時には無かったのような・・・?。
細殿の前に「解除所(げじょしょ)」がありました。古代から今日まで、日葵祭にさきがける祭事の樹下神事が斎行される場所だそうです。
御手洗川に架かる反り橋を「輪橋(そりばし)」といい渡れません。
その御手洗川の最上流にあるのが、末社「井上社」別名「御手洗社(みたらしいしゃ)」で、御祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)です。葵祭の斎王代の禊ぎ儀はここで行われます。
この先に授与所があって、ここに来た目的である「注連縄」をいただきたかったんですが、ここには置いて無くて、聞くと中門の西側にあると聞いたので、そちらに向かいました。そこで吟無することなく、一つの種類しか無かったので、そちらをいただいて帰った次第です。12月25日に玄関に取り付け1月15日に外す予定です。
授与所から西参道を通って、ここに来た別の目的地に向かいました。西参道を出ると下賀茂本通りに出ますね。
この日の別の目的地は、「加茂みたらし茶屋」でした。名物の「御手洗団子」を買って帰るつもりで、開店時間の9時30分を回るように来てみたら信号待ちで、向かいにあるお店を見るとシャッターが降りたまま、下賀茂本通りを渡らず引き返しました。
落胆しながら「西口鳥居」から戻ると、重要文化財に指定されている摂社「三井社」に寄りました。御祭神は西社に、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、中社に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、東社に玉依媛売命(たまよりひめのみこと)の三柱を祀られていました。
帰りは重要文化財に指定されている「供御所」を回ります。御殿のなかは東、中、西の三間に分かれ、東の間は神饌を調理するところで、中の間は魚介鳥類を調理する間。西の間は神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃の儀などを行う。
その先が、摂社「出雲井於神社(いづもいのへじんじゃ)」があって、御祭神は、建速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)です。ここには手水舎もありました。
楼門を西の出入口から出て、その先に「南口鳥居」が見える所まで来ました。
御手洗団子を買いそびれたので、「下鴨神社 さるや」さんに9時46分に入ってみると「開店は10時からです」と言われたので、こちらでもお土産を買いそびれました。
帰りは「馬場」を通ります。毎年、5月3日にここで「流鏑馬」をされ、一度見せて貰いました。凄い迫力でしたね。
馬場を歩いて行くと、初めて見る末社があったので寄りました。「賀茂齋院歴代斎王神霊社」、御祭神は、有智子内親王ほか三十五代斎王御神霊とありました。
ここも初めてですね。「垂水」と書いてあって、四季に移ろう糺の森の幽邃と幽玄は、神々の鎮まる聖域として信仰されてきて、広大な神の森の滴をいただき、岩から流れる清水を両手にうけ、身体にそそぎ御生をして御神威を受けてくださいと。
こちらの社は2017年(平成29年)12月22日に来た時もありましたが、ラグビーボールは無かったです。
「雑太社(さわたしゃ)」といい、御祭神が、神魂命(かんたまのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)です。この札の森の馬場にて、日本初のラグビーの練習が第三高等学校と慶應義塾大学との間で行われました。それが契機となり日本ラグビー界の歴史が始まった記念に、記念碑が建立されたようです。
こちらの社も初めてです。摂社「二十二所社」。御祭神が、鴨氏二十二譜始祖神とありました。
こちらも初めての末社「河崎社」です。御祭神が神魂命(かみむすひのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依彦命(たまよりひこのみこと)、大伊乃伎命(おほいのきのみこと)、大屋奈世命(おおやなせのみこと)、馬伎命でした。
この馬場の横に流れる川は「瀬見の小川」と言います。この川沿いの紅葉は、まだまだ綺麗でしたね。
ここから「河合神社」の鳥居が見えていますが、時間が無いので寄りませんでした。
9時55分に、最初に来た御蔭通りに戻り、ここからタクシーを呼びました。1分以内に来たので直ぐに乗り込み、所用先に戻った次第です。10時頃に戻る予定が、少し遅れましたが問題なかったです。ただ手土産を持って帰れなかったのは残念でした。
【賀茂御祖神社 糺の森】
9時17分に、御蔭通り沿いにある糺の森の入口で、タクシーを降りました。10時には戻る必要があるので、急いで回ります。
この日は12月14日で、紅葉はとっくに終わってても不思議ではありませんが、まだ見頃が続いてました。このまま「表参道」を歩いて行きます。
広い広い糺の森「表参道」を歩く人は少なかったです。12月半ばでも修学旅行生が来てますね。
この辺りが糺の森の臍(真ん中)にあたります。ここから少し寄り道?を。
ここで糺の森を横切る「泉川」を渡ります。この橋は、糺の森を横断できるので、交通量?は多いです。
こちらが、かつての「糺の森祭祀遺構」で復元されていました。2001年(平成13年)に実施された発掘調査により見つかった遺構で、石敷遺構として復元されました。
世界文化遺産 賀茂御祖神社境内 糺の森は、794年(延暦13年)11月平安京へ遷都される以前の山城盆地は湖と森に覆われていました。史跡糺の森は、唯一その頃の面影を残し、古代遺跡を数多く包蔵しています。祭壇の構造は、下段に拳大の河原石を丁寧に敷き並べ、厚い箇所は数段に積み重ね土で固めています。上段はその上を静浄な黄褐土で覆うという二段に構築しています。一方、祭壇上から河原石を数カ所集め壺状に築いた中へ楕円形の河原石を直立させた遺構が発見されました。また、江戸時代の土器や銭貨(寛永通宝)を納めた遺構も出土し、それらも整備されています。構築物の基礎に河原石を多用する工法は、平安時代後期の天皇あるは上皇が営んだ寺院や御所にみられます。祭壇は、旧奈良の小川や泉川を望んだ一にあることから、水に関係する祭祀が行われたものと考えられます。
綺麗な紅葉を見ながら歩いて行くと、前方に「南口鳥居」が、ようやく見えました。
南口鳥居の手前、右手には「手水舎」があります。こちらには下記のような案内文が書いてありました。
御手洗は、御祭神の神話に因んで舟形磐座石で、御神水をそそぐ桶は、糺の森の主と呼ばれていた樹齢600年の欅から造られ、覆屋は、崇神天皇7年(前90年頃)賀茂御祖神社糺の森神地の瑞垣の造替を賜った記録をもとに再現されたものです。
南口鳥居の左手前には「さざれ石」があります。石灰岩が凝固した岩石で、国歌「君が代」にも歌われる。
鳥居の先には国指定重要文化財の「楼門」が。入母屋造り、桧皮葺きの鮮やかな朱塗りの門です。
楼門を入ると正面に「舞殿(まいどの)」があって、絵馬は今年の丑の絵でした。来年の寅年の絵馬を期待していたので、少々残念です。
本殿前でお参りいるためには、重要文化財に指定されている「中門」をくぐります。
国宝の本殿は奥で見えないので、「幣殿」前にてお参りさせて貰いました。
中門内には干支(十二支)の社があるので、私の生まれ年である社で、お参りさせて貰いました。
中門を出て東側の奥に行ってみます。先ずは御手洗川の上に架けられた建物「橋殿(ほそどの)(重要文化財)」を通りました。ここでは、神楽や雅楽、能などが演じられます。
御手洗川に架かる橋を渡ると、正面に「細殿」(重文)があります。歴代天皇の行幸、法皇、上皇、院の御幸の安在所。内部は二重格天井を持ち、向拝付流造で、檜皮葺となっています。
その南側に「伊勢神宮遙拝所」がありました。以前、来た時には無かったのような・・・?。
細殿の前に「解除所(げじょしょ)」がありました。古代から今日まで、日葵祭にさきがける祭事の樹下神事が斎行される場所だそうです。
御手洗川に架かる反り橋を「輪橋(そりばし)」といい渡れません。
その御手洗川の最上流にあるのが、末社「井上社」別名「御手洗社(みたらしいしゃ)」で、御祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)です。葵祭の斎王代の禊ぎ儀はここで行われます。
この先に授与所があって、ここに来た目的である「注連縄」をいただきたかったんですが、ここには置いて無くて、聞くと中門の西側にあると聞いたので、そちらに向かいました。そこで吟無することなく、一つの種類しか無かったので、そちらをいただいて帰った次第です。12月25日に玄関に取り付け1月15日に外す予定です。
授与所から西参道を通って、ここに来た別の目的地に向かいました。西参道を出ると下賀茂本通りに出ますね。
この日の別の目的地は、「加茂みたらし茶屋」でした。名物の「御手洗団子」を買って帰るつもりで、開店時間の9時30分を回るように来てみたら信号待ちで、向かいにあるお店を見るとシャッターが降りたまま、下賀茂本通りを渡らず引き返しました。
落胆しながら「西口鳥居」から戻ると、重要文化財に指定されている摂社「三井社」に寄りました。御祭神は西社に、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、中社に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、東社に玉依媛売命(たまよりひめのみこと)の三柱を祀られていました。
帰りは重要文化財に指定されている「供御所」を回ります。御殿のなかは東、中、西の三間に分かれ、東の間は神饌を調理するところで、中の間は魚介鳥類を調理する間。西の間は神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃の儀などを行う。
その先が、摂社「出雲井於神社(いづもいのへじんじゃ)」があって、御祭神は、建速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)です。ここには手水舎もありました。
楼門を西の出入口から出て、その先に「南口鳥居」が見える所まで来ました。
御手洗団子を買いそびれたので、「下鴨神社 さるや」さんに9時46分に入ってみると「開店は10時からです」と言われたので、こちらでもお土産を買いそびれました。
帰りは「馬場」を通ります。毎年、5月3日にここで「流鏑馬」をされ、一度見せて貰いました。凄い迫力でしたね。
馬場を歩いて行くと、初めて見る末社があったので寄りました。「賀茂齋院歴代斎王神霊社」、御祭神は、有智子内親王ほか三十五代斎王御神霊とありました。
ここも初めてですね。「垂水」と書いてあって、四季に移ろう糺の森の幽邃と幽玄は、神々の鎮まる聖域として信仰されてきて、広大な神の森の滴をいただき、岩から流れる清水を両手にうけ、身体にそそぎ御生をして御神威を受けてくださいと。
こちらの社は2017年(平成29年)12月22日に来た時もありましたが、ラグビーボールは無かったです。
「雑太社(さわたしゃ)」といい、御祭神が、神魂命(かんたまのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)です。この札の森の馬場にて、日本初のラグビーの練習が第三高等学校と慶應義塾大学との間で行われました。それが契機となり日本ラグビー界の歴史が始まった記念に、記念碑が建立されたようです。
こちらの社も初めてです。摂社「二十二所社」。御祭神が、鴨氏二十二譜始祖神とありました。
こちらも初めての末社「河崎社」です。御祭神が神魂命(かみむすひのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依彦命(たまよりひこのみこと)、大伊乃伎命(おほいのきのみこと)、大屋奈世命(おおやなせのみこと)、馬伎命でした。
この馬場の横に流れる川は「瀬見の小川」と言います。この川沿いの紅葉は、まだまだ綺麗でしたね。
ここから「河合神社」の鳥居が見えていますが、時間が無いので寄りませんでした。
9時55分に、最初に来た御蔭通りに戻り、ここからタクシーを呼びました。1分以内に来たので直ぐに乗り込み、所用先に戻った次第です。10時頃に戻る予定が、少し遅れましたが問題なかったです。ただ手土産を持って帰れなかったのは残念でした。
【賀茂御祖神社 糺の森】
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