紅葉の世界文化遺産 真言宗醍醐派總本山 醍醐寺三宝院へ

京都市伏見区小栗栖にある「明智藪」から「明智光秀の胴塚」を通って、最初の目的地である醍醐寺までは直ぐです。醍醐寺駐車場には、8時58分に着きました。醍醐寺には、2015年(平成27年)11月20日ライトアップに来て以来ですし、醍醐寺三宝院は、2006年(平成18年)9月24日以来、来て無かったです。

醍醐寺の拝観券は、桜の時期・・・3月20日~5月G.W最終日までを除くと、下醍醐の三宝院・伽藍の共通券を、三宝院受付で1000円で買い求めるシステムになってました。そのことを醍醐寺のHPで確認していたので、駐車場に着いてから、真っ直ぐ三宝院に向かう予定をたててました。私が昼間の醍醐寺に来てた2010年(平成22年)9月26日は、こんなシステムじゃなかったのに、随分変わったものです。

IMG_4487.jpg醍醐寺の駐車場を出たら、正面に三宝院前にある「拝観受付所」が見えました。少し並ばれているようですね。

IMG_4553.jpg受付で拝観料1000円を納め、久し振りの三宝院から見て行きます。2006年(平成18年)9月24日以来、15年振りの三宝院ですが、何故来なかったかと言うと、以前は大玄関を入ってからは撮影が禁止されていたからです。しかし、2年前から庭園のみ撮影が許可されました。それで直ぐにでも行きたかったのに、今日になってしまった・・・と言うことです。

醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、1115年(永久3年)、左大臣源俊房の子で醍醐寺第14世座主・勝覚(しょうかく)僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。応仁の乱により大きな被害を受け荒廃するも、豊臣秀吉と親交のある醍醐寺第80世座主・義演准后(ぎえんじゅごう)が、1598年(慶長3年)豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に醍醐寺の復興を願い出て、以後豊臣秀吉、秀頼の援助により復興しました。特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、秀吉自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されており、中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。

IMG_4552.jpg拝観受付所で購入した公開エリアは、この門をくぐります。

IMG_4492.jpgIMG_4489.jpg通常の公開エリアでは、建物内には入れません。この建物の前の限られたエリアのみが通常エリアでした。

IMG_4491.jpg三宝院庭園も、ここからしか見られません。この時間では朝日が眩しくして、ほぼ見えないです。

IMG_4488.jpgこちらが重要文化財に指定されている「玄関」です。ここを入ると建物内を見学できる特別公開エリアのチケットを購入できるので、靴を脱いで上がります。

唐門(国宝)が開かずの門のため、三宝院拝観者は大玄関が表玄関となります。切妻造り、本瓦葺きで、檜皮葺き唐破風造りの車寄せが付いてます。小玄関正面の部屋は「竹の間」、大玄関正面の部屋は「富嶽の間」、その隣には「日・月・海の間」が。襖絵は1998年(平成10年)三宝院築庭400年を記念し、日本画家の浜田泰介画伯が奉納したものです。

IMG_4493.jpg受付を済ませると「お庭以外撮影禁止です」と案内されました。「やっぱりお庭の撮影撮れるようになったんや」と。そして「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」を通ります。

IMG_4496.jpgIMG_4549.jpg「秋草の間」「勅使の間」から前方に国宝唐門」が見えています。ロープで囲まれたエリアが通常の拝観料で見られる所です。

IMG_4498.jpg表書院」の「下段次の間(揚舞台の間)」から三宝院庭園を見ています。このあと庭園をゆっくり鑑賞です。

次の間は「揚舞台の間」ともいい、畳を揚げると能舞台となり、中段、上段の間から見下ろせる造りとなっています。

IMG_4544.jpg次の間から見た庭園西側です。突き出た建物は「泉殿」です。

IMG_4545.jpg亀島から池泉南岸へ架かる土橋には、苔生しており奥の紅葉も綺麗です。

IMG_4502.jpg朝日が眩しいので、「表書院」の「上段の間」前から庭園の西側を撮りました。

IMG_4504.jpg次に「表書院」から「純浄観」に移動し、「藤戸石」を狙いました。

「天下を治める者が所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれてきた「天下の名石」と言われいます。豊臣秀吉の命により「醍醐の花見」のあと聚楽第により運び込まれ「主人石」として庭の中心に据えられた、これらの石は、阿弥陀三尊を表しています。

IMG_4506.jpg写真左が「表書院」、正面が「坪庭」と奥に「奥宸殿」、そして右が「純浄観」で、その建物に入ります。

IMG_4500.jpgIMG_4510.jpgIMG_4505.jpg純浄観」(じゅんじょうかん)から見た庭園です。この建物は茅葺きなんですよね、後程、本堂から全景を見てみます。

純浄観は、茅葺き入母屋造りの民家風の建物。太閤秀吉の「醍醐の花見」で使用した建物を槍山から移築したもの。内部の襖絵津「桜・紅葉」は、平成に入って日本画家・浜田泰介画伯が描いたものです。

IMG_4516.jpg純浄観の東側から、庭園の全景を撮りました。苔生した土橋が二基見えています。

IMG_4514.jpgIMG_4515.jpg紅葉の向こうに見えているのが、江戸中期以降に建てられた茶室枕流亭」です。

IMG_4517.jpg次に本堂に移動しますが、その本堂と純浄観の間に、明治から大正にかけて作庭された庭園がありました。

白砂に瓢箪や盃をかたどった苔を配置し、太閤秀吉の醍醐の花見を想像される酒づくしの庭となっています。

IMG_4511.jpgIMG_4543.jpgこちらが「本堂(護摩堂)」で、ご本尊は、快慶作の弥勒菩薩坐像が祀られています。脇仏として向かって右に宗祖弘法大師、左に開祖理源大師が安置。本堂の裏に護摩壇があるため「護摩堂」とも呼ばれています。

IMG_4536.jpg本堂前から見た「純浄観」です。ここから見ると茅葺きの屋根が分かります。

IMG_4538.jpg本堂から見た「拝殿」です。見えないですが、その前に「五社明神」がパンフには書いてありました。

IMG_4539.jpgIMG_4541.jpg本堂から渡り廊下の右手に「聖天堂」が見えました。

IMG_4540.jpg渡り廊下から見て、左手が本堂、右手が純浄観、中央の苔は瓢箪型してますね

IMG_4542.jpgこちらから見ると、五社明神の屋根だけ見えました

IMG_4532.jpgIMG_4519.jpg次に本堂から純浄観の裏から降りて、「奥宸殿」に入ります。ここも紅葉が綺麗でした。

IMG_4520.jpgIMG_4528.jpg江戸初期の建てられ、座主の居住空間で、間取りは田の字型をしている「奥宸殿」です。

主室の上座の間は、床棚書院及び、帳台構(通称:武者隠し)を備えています。棚は、「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚で、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されています。

IMG_4521.jpgIMG_4529.jpg奥宸殿の東北側には、茶室松月亭」があって、非公開です。江戸末期に建てられたと言われ、東に丸窓、南側に竹の縁、躙り口があり、屋根は切妻柿葦の造りです。

IMG_4526.jpgこちらは奥宸殿から見た純浄観の裏手です。

IMG_4531.jpgこちらは表書院(右)と純浄観(左)の間にある箱庭です。

IMG_4548.jpg奥宸殿(左)を見た後、表書院まで戻ってきました。正面に見えているのは純浄観です。

IMG_4547.jpg帰りも「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」を通ります。写真は勅使の間から見た紅葉です。向こうの建物は庫裏(白書院)で非公開です。

IMG_4551.jpg9時22分に特別公開エリアを出てました。せっかく来たので、何周か見て回りましたね

IMG_4554.jpgIMG_4691.jpg次に共通券があるので下伽藍を見て行きますが、その前に国宝唐門」を見て行きました。

三宝院の勅使門で、1599年(慶長4年)三間一戸の平唐門として建立。2010年(平成22年)に創建当時の姿に復元された。門は黒塗りの漆塗り、菊と桐には金箔が施されています。

このあと、紅葉が見頃か少し過ぎているかも知れない醍醐寺下伽藍に向かいます。三宝院で受付された方の多くは、下伽藍に向かわれたので、多分・・・人は多いでしょう。

【醍醐寺三宝院】

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