大河内傳次郎ゆかりの大河内山荘庭園へ
天龍寺曹源池庭園の北門を出て、竹林の小経を登り大河内山荘に入るつもりでした。
ただ、着いたのが8時57分で、3分早く着いてしまったので、まだ門は閉まったままです。
そこで、時間まで「亀山公園」でも行こうかなぁ・・・と、思ったところ、後ろで門が開く音がしたので、直ぐに引き返しました。
8時58分、2分早いけど門が開いたので行ってみると、受付をして貰いました。入園料1000円で、お茶券が付いてきます。
門が開いて直ぐに入ったので、多分・・・私が最初でしょう。お茶券は最後に使うので、先に見学です。
今年の4月5日に来ているので、拝観コースは知ってます。先ずは「中門」をくぐります。
国の登録有形文化財(建造物)、庭園の内外郭を区切る位置に建つ門で、親柱・控柱・冠木で軸部を構成し、その上に大きく弓形に曲げた垂木を配して迫持状の檜皮葺屋根を載せてます。
石段を登ったら、正面に「大乗閣」がありますが非公開です。スタッフの方が掃除されているのが見えました。
何度か来てますが、ここの特別公開は無いですね。内部も見てみたい・・・と思います。
国の登録有形文化財(建造物)。大河内傳次郎が営んだ別荘の中心施設。数寄屋風の書院をはじめとして、泉殿のように突出した寝殿、如庵写しの小間の茶室、民家風の勝手、土間を一体化させた斬新な建物です。数寄屋師笛吹嘉一郎の代表作。
大乗閣の玄関ですが、ご覧のように結界があって、その先には進めません。
この先の石段は、幅が狭いので、登る時によろけてしまいました。危なかったです。
登り切ると遠くに「比叡山」、手前に「仁和寺五重塔」が見えました。眺望は、この先にまだまだ見所があります。
石段でよろけたので、眺望を見て休憩し、この先に進みます。ここには立派な石で造られたベンチがありましたね。
ここで、上から降りてくるコースを横切ります。遠路が狭いので、逆コースを行ってしまうとすれ違い困難でしょう。
私は大河内傳次郎を知りません。その傳次郎が集めたであろう織部灯籠を見ながら奥に進むと・・・?。
国の登録有形文化財(建造物)「持仏堂」が現れます。大河内山荘は、ここから始まりました。撮影の合間に、ここで念仏や瞑想をされ映画造りや庭造りの芸術性を見いだしたといいます。
正面1間、側面2間、入母屋造り、桟瓦葺、妻入で正側面3方に刎高欄付切目縁を回す。円柱を頭貫、内法長押で固め、台輪上に三斗組、中備蟇股を置く。小規模だが、軒は吹寄垂木を1支おきに疎らに配すなど、全体に技巧的な造りとなっています。
次に持仏堂の右側にある石段を登って行きます。
綺麗な苔を痛めないように飛び石を慎重に歩いて行くと、前方に国の登録有形文化財(建造物)茶室「滴水庵」が見えてきます。
茶室「滴水庵」の縁側に腰掛け休憩はできますが、内部にあがることはできません。私は眺望が見たいので休憩せず、次へと向かいました。
茶室「滴水庵」は平屋建で、桁行5間、梁間2間、入母屋造り、茅葺きの主体部の南面西半に、切妻造り、土庇付の突出部をもつ。2室の広間の茶室と土間のある水屋は、丸太や竹を多用した軽快な数寄屋風の造りになっています。
次の石段が最後の登りで、いよいよ嵐峡が見える所まで上がることになります。
ここからでは保津川は見えませんが、対面の「大悲閣千光寺」は見えました。
そこから、長々と続く苑路を歩いて行く、その先にある「月香亭(展望台)」があるので、少しだけ石段を登ります。これが本当に最後の登りです。
「月香亭(展望台)」に着きました。ここからの眺望は素晴らしく、暫く座って楽しんだ次第です。
休憩したあと、この石段を下ります。下りは急で慎重に降りて行くことに。
降りる石段の向こうに、帰りの苑路が見えています。ご覧のように急な石段ですね。
降りて行く途中に非公開の「妙香庵」の入口があります。大河内傳次郎没後、35年山荘に住み、ここを守った妻妙香の菩提所だそうです。近年傳次郎没後50回忌に建てられました。
トイレを済ませたあと「大河内傳次郎資料館」に入りました。前途したとおり私は大河内傳次郎を知らないので、ここでパネルの写真を見せて貰いました。
このとき9時20分、ようやく晴れて来ました。天気予報が良かったので、散歩にきたのに曇っていたのが残念でした。
最後に、ここで抹茶と落雁のお菓子をいただきました。(入園料にお抹茶が付いてます)
9時27分頃に、大河内山荘を出て行きました。けっきょく誰とも出会いませんでしたね、私一人でした。
行きに登って来た「竹林の小経」の入口です。帰りは、ここを通らず反対側に降ります。
こちらの竹林を降りると、「トロッコ嵐山駅」があります。急な坂を下って行きます。
坂を下ると「小倉池」と対面に「御髪神社」がありますが、今日は寄りません。私の髪は薄くなる一方ですが・・・。
この日の最後に、ここから直ぐの常寂光寺に行き、三度坂を登るつもりです。
【大河内山荘】
ただ、着いたのが8時57分で、3分早く着いてしまったので、まだ門は閉まったままです。
そこで、時間まで「亀山公園」でも行こうかなぁ・・・と、思ったところ、後ろで門が開く音がしたので、直ぐに引き返しました。
8時58分、2分早いけど門が開いたので行ってみると、受付をして貰いました。入園料1000円で、お茶券が付いてきます。
門が開いて直ぐに入ったので、多分・・・私が最初でしょう。お茶券は最後に使うので、先に見学です。
今年の4月5日に来ているので、拝観コースは知ってます。先ずは「中門」をくぐります。
国の登録有形文化財(建造物)、庭園の内外郭を区切る位置に建つ門で、親柱・控柱・冠木で軸部を構成し、その上に大きく弓形に曲げた垂木を配して迫持状の檜皮葺屋根を載せてます。
石段を登ったら、正面に「大乗閣」がありますが非公開です。スタッフの方が掃除されているのが見えました。
何度か来てますが、ここの特別公開は無いですね。内部も見てみたい・・・と思います。
国の登録有形文化財(建造物)。大河内傳次郎が営んだ別荘の中心施設。数寄屋風の書院をはじめとして、泉殿のように突出した寝殿、如庵写しの小間の茶室、民家風の勝手、土間を一体化させた斬新な建物です。数寄屋師笛吹嘉一郎の代表作。
大乗閣の玄関ですが、ご覧のように結界があって、その先には進めません。
この先の石段は、幅が狭いので、登る時によろけてしまいました。危なかったです。
登り切ると遠くに「比叡山」、手前に「仁和寺五重塔」が見えました。眺望は、この先にまだまだ見所があります。
石段でよろけたので、眺望を見て休憩し、この先に進みます。ここには立派な石で造られたベンチがありましたね。
ここで、上から降りてくるコースを横切ります。遠路が狭いので、逆コースを行ってしまうとすれ違い困難でしょう。
私は大河内傳次郎を知りません。その傳次郎が集めたであろう織部灯籠を見ながら奥に進むと・・・?。
国の登録有形文化財(建造物)「持仏堂」が現れます。大河内山荘は、ここから始まりました。撮影の合間に、ここで念仏や瞑想をされ映画造りや庭造りの芸術性を見いだしたといいます。
正面1間、側面2間、入母屋造り、桟瓦葺、妻入で正側面3方に刎高欄付切目縁を回す。円柱を頭貫、内法長押で固め、台輪上に三斗組、中備蟇股を置く。小規模だが、軒は吹寄垂木を1支おきに疎らに配すなど、全体に技巧的な造りとなっています。
次に持仏堂の右側にある石段を登って行きます。
綺麗な苔を痛めないように飛び石を慎重に歩いて行くと、前方に国の登録有形文化財(建造物)茶室「滴水庵」が見えてきます。
茶室「滴水庵」の縁側に腰掛け休憩はできますが、内部にあがることはできません。私は眺望が見たいので休憩せず、次へと向かいました。
茶室「滴水庵」は平屋建で、桁行5間、梁間2間、入母屋造り、茅葺きの主体部の南面西半に、切妻造り、土庇付の突出部をもつ。2室の広間の茶室と土間のある水屋は、丸太や竹を多用した軽快な数寄屋風の造りになっています。
次の石段が最後の登りで、いよいよ嵐峡が見える所まで上がることになります。
ここからでは保津川は見えませんが、対面の「大悲閣千光寺」は見えました。
そこから、長々と続く苑路を歩いて行く、その先にある「月香亭(展望台)」があるので、少しだけ石段を登ります。これが本当に最後の登りです。
「月香亭(展望台)」に着きました。ここからの眺望は素晴らしく、暫く座って楽しんだ次第です。
休憩したあと、この石段を下ります。下りは急で慎重に降りて行くことに。
降りる石段の向こうに、帰りの苑路が見えています。ご覧のように急な石段ですね。
降りて行く途中に非公開の「妙香庵」の入口があります。大河内傳次郎没後、35年山荘に住み、ここを守った妻妙香の菩提所だそうです。近年傳次郎没後50回忌に建てられました。
トイレを済ませたあと「大河内傳次郎資料館」に入りました。前途したとおり私は大河内傳次郎を知らないので、ここでパネルの写真を見せて貰いました。
このとき9時20分、ようやく晴れて来ました。天気予報が良かったので、散歩にきたのに曇っていたのが残念でした。
最後に、ここで抹茶と落雁のお菓子をいただきました。(入園料にお抹茶が付いてます)
9時27分頃に、大河内山荘を出て行きました。けっきょく誰とも出会いませんでしたね、私一人でした。
行きに登って来た「竹林の小経」の入口です。帰りは、ここを通らず反対側に降ります。
こちらの竹林を降りると、「トロッコ嵐山駅」があります。急な坂を下って行きます。
坂を下ると「小倉池」と対面に「御髪神社」がありますが、今日は寄りません。私の髪は薄くなる一方ですが・・・。
この日の最後に、ここから直ぐの常寂光寺に行き、三度坂を登るつもりです。
【大河内山荘】
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