迎春準備が進む松尾大社へ
毎年、松尾大社では井堂雅夫画伯の干支大絵馬を拝殿に飾られます。私は、井堂雅夫画伯の版画を所有しているほどで画伯の絵が好きで、毎年楽しみに来てました。過去、「2016年(平成28年)申(さる)」「2017年(平成29年)酉(とり)」「2018年(平成30年)戌(いぬ)」「2019年(令和元年)亥(い=いのしし)」「2020年(令和2年)子(ね=ねずみ)」「2021年(令和3年)丑(うし)」を撮ってきて、来年の干支は寅(とら)で松尾大社のFacebookで絵馬が架かったことを確認して、本日来たわけです。
所用先から歩いて松尾橋を渡ると、遠くに愛宕山が綺麗に見えてました。
松尾橋を渡り、阪急嵐山線の踏切を越えると府道を渡りますが、平成大鳥居からは左側通行の方が良いでしょう。右側通行すると信号待ちの車で前方を塞がれます。
平成大鳥居をくぐり参道を西に進むこと50㍍先に、「松尾大神」と書かれた扁額が架かる「赤鳥居」があります。その鳥居には“榊”が枯れた状態で吊されていますが、新年に真新しくされます。
赤鳥居を抜けると正面に「楼門」、その先の拝殿に絵馬が架かっています。
楼門り両脇には神を守る者として「随神」が鎮座。隋身は、平安時代に貴族が外出するときに護衛のた随従。隋身姿の像を随神と呼ばれています。
参拝するので、先に「手水舎」に寄りましたが、諦めていた紅葉が、まだ残ってました。
手水舎の前の「撫で亀」さんは、コロナウイルスの感染予防から撫でられません。そして、今日の目的である拝殿に向かいます。
今年も「拝殿」で、井堂雅夫画伯の大絵馬を見ることができました。
この日は、十三参りでお子さん連れの参拝者が多かったです。私も少し遠慮してお参りさせて貰いました。
今日は、神苑には入るつもりはありませんが、境内の奥まで行ってみます。
最初に霊泉「亀の井」に寄りました。酒造家からの信仰が篤い霊泉で、松尾山の谷を伝って湧き出る名水です。たまたま、誰も汲みに来られて無かったです。
久し振りに北末社ま来ました。右が四大神社(しのおおかみのやしろ)で松尾七社の一つ。左が三宮社で、松尾七社の一つです。
その先の末社「滝御前(たきごぜん)」も行きました。ご祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が黄泉国に行く直前に産んだ女神です。
今日は、有料の神苑には入りません。庭園内には誰も居ないようですが、紅葉も何も無いのでね。
今日は、滅多に行かない南末社まで行ってみます。その前に古木「相生の松」に寄りました。樹齢350年で天寿を全うした他に類を見ない大木で、今では恋愛成就、夫婦和合の御利益で信仰されています。
こちらは「椋の霊樹」で、樹齢800年を数えてましたが、1993年(平成5年)7月の大雨により枯朽したものです。往時を名残霊樹として祀られています。
南末社に来たら、正面から見えない本殿の屋根は見えます。特別参拝では本殿を見ることができました。
南末社の北側から。最初は「衣手社」御祭神が羽戸山神(農耕及び諸産業の守護神)。衣手社は松尾大社七社の一つ。
次が「一挙社(いっきょしゃ)」御祭神が、一挙神(古来困難に出会ってもこの神に折れれば一挙に解決すると伝わる)
「金刀比羅社」御祭神が、大物主神(おおものぬしのかみ)(大国主神の和魂、商売繁盛・交通安全の守護神)
最後が「祖霊社」で、松尾ゆかりの功績者が祀られています。
このエリアの南側には「伊勢神宮遥拝所」があって、伊勢神宮の方向にお参りできます。
境内の南側には、酒樽の山が目立ちますが、建物は「神輿庫(みこしこ)」です。全国の醸造会社から奉納された酒樽がずらり並んでいます。流石に“醸造の神”と崇められてるだけのことはあります。
この日・・・12月3日(金)は、これだけで帰りました。ただ、後日、神社の御朱印をいただくときに、その朱印帳が一杯になっているこに気づき、再訪することに・・・。
前回の朱印帳も、松尾大社で購入したので、今回も松尾に来たわけです。この看板で知ったことで、松尾では朱印は書き置きのみで、朱印帳を購入したら直書きして貰えるみたいです。
今回、購入したのは白虎の朱印帳にしました。来年が寅年ですしね。今日は、朱印帳を購入したので直書きして貰いました。
12月16日(木)は、往復に京都市バスにしたんですが、帰りは一杯でした。
平日で、紅葉も過ぎて嵐山も空いている筈なのに・・・結局、嵐山公園前で多くの人が降りられ空きました。京都の観光客は戻りましたね。
【松尾大社】
所用先から歩いて松尾橋を渡ると、遠くに愛宕山が綺麗に見えてました。
松尾橋を渡り、阪急嵐山線の踏切を越えると府道を渡りますが、平成大鳥居からは左側通行の方が良いでしょう。右側通行すると信号待ちの車で前方を塞がれます。
平成大鳥居をくぐり参道を西に進むこと50㍍先に、「松尾大神」と書かれた扁額が架かる「赤鳥居」があります。その鳥居には“榊”が枯れた状態で吊されていますが、新年に真新しくされます。
赤鳥居を抜けると正面に「楼門」、その先の拝殿に絵馬が架かっています。
楼門り両脇には神を守る者として「随神」が鎮座。隋身は、平安時代に貴族が外出するときに護衛のた随従。隋身姿の像を随神と呼ばれています。
参拝するので、先に「手水舎」に寄りましたが、諦めていた紅葉が、まだ残ってました。
手水舎の前の「撫で亀」さんは、コロナウイルスの感染予防から撫でられません。そして、今日の目的である拝殿に向かいます。
今年も「拝殿」で、井堂雅夫画伯の大絵馬を見ることができました。
この日は、十三参りでお子さん連れの参拝者が多かったです。私も少し遠慮してお参りさせて貰いました。
今日は、神苑には入るつもりはありませんが、境内の奥まで行ってみます。
最初に霊泉「亀の井」に寄りました。酒造家からの信仰が篤い霊泉で、松尾山の谷を伝って湧き出る名水です。たまたま、誰も汲みに来られて無かったです。
久し振りに北末社ま来ました。右が四大神社(しのおおかみのやしろ)で松尾七社の一つ。左が三宮社で、松尾七社の一つです。
その先の末社「滝御前(たきごぜん)」も行きました。ご祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が黄泉国に行く直前に産んだ女神です。
今日は、有料の神苑には入りません。庭園内には誰も居ないようですが、紅葉も何も無いのでね。
今日は、滅多に行かない南末社まで行ってみます。その前に古木「相生の松」に寄りました。樹齢350年で天寿を全うした他に類を見ない大木で、今では恋愛成就、夫婦和合の御利益で信仰されています。
こちらは「椋の霊樹」で、樹齢800年を数えてましたが、1993年(平成5年)7月の大雨により枯朽したものです。往時を名残霊樹として祀られています。
南末社に来たら、正面から見えない本殿の屋根は見えます。特別参拝では本殿を見ることができました。
南末社の北側から。最初は「衣手社」御祭神が羽戸山神(農耕及び諸産業の守護神)。衣手社は松尾大社七社の一つ。
次が「一挙社(いっきょしゃ)」御祭神が、一挙神(古来困難に出会ってもこの神に折れれば一挙に解決すると伝わる)
「金刀比羅社」御祭神が、大物主神(おおものぬしのかみ)(大国主神の和魂、商売繁盛・交通安全の守護神)
最後が「祖霊社」で、松尾ゆかりの功績者が祀られています。
このエリアの南側には「伊勢神宮遥拝所」があって、伊勢神宮の方向にお参りできます。
境内の南側には、酒樽の山が目立ちますが、建物は「神輿庫(みこしこ)」です。全国の醸造会社から奉納された酒樽がずらり並んでいます。流石に“醸造の神”と崇められてるだけのことはあります。
この日・・・12月3日(金)は、これだけで帰りました。ただ、後日、神社の御朱印をいただくときに、その朱印帳が一杯になっているこに気づき、再訪することに・・・。
前回の朱印帳も、松尾大社で購入したので、今回も松尾に来たわけです。この看板で知ったことで、松尾では朱印は書き置きのみで、朱印帳を購入したら直書きして貰えるみたいです。
今回、購入したのは白虎の朱印帳にしました。来年が寅年ですしね。今日は、朱印帳を購入したので直書きして貰いました。
12月16日(木)は、往復に京都市バスにしたんですが、帰りは一杯でした。
平日で、紅葉も過ぎて嵐山も空いている筈なのに・・・結局、嵐山公園前で多くの人が降りられ空きました。京都の観光客は戻りましたね。
【松尾大社】
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