醍醐の氏神さんで親しまれている長尾天満宮へ

醍醐寺の西大門を出て、そのまま北に進みます。ほどなくすると右手に石造りの鳥居が見えてきました。次の目的地は、醍醐の氏神さんで親しまれている長尾天満宮でした。

長尾天満宮を知ったのは、2017年(平成29年)11月23日に京都市文化観光資源保護財団の主催で、特別鑑賞会があったからです。他に醍醐寺塔頭 理性院と赤間薬師堂と三箇所の特別鑑賞会でした。私は会員のため、チケットは戴きましたが、祝日と言うことと紅葉の時期と重なり、電車やバスも混むのを嫌って私は行きませんでした。それで、その時から気になっていたので、醍醐寺に来たら行ってみようと決めていたので、本日の訪問となった訳です。

IMG_4689.jpg10時3分に鳥居前までやって来ました。場所は事前に調べてきたので迷うことは無かったですが、予想外の光景が前方にありました。

長尾天満宮は文武に秀でた菅原道真公と大己貴命、素戔嗚尊を御祭神とする。菅原道真公の死後、903年(延喜3年)に墓(衣裳塚)が築かれ、949年(天暦3年)に勧請された。応仁の乱より下醍醐の伽藍と長尾天満宮も焼失し、1801年(寛政13年)再建するも再び焼失し、現在の本殿は1821年(文政4年)に再建されたものである。三間一面檜皮葺の建物で柱や梁には胡粉下地の上に岩絵の具で彩色を施し、極彩色の文様が描かれ、脇障子には、鯉の滝登り獅子の子育てを題材とした透かし彫りの幕板がはめ込まれるなど、市内有数の装飾に富んだ造作が見られる。

IMG_4645.jpgIMG_4646.jpg「一の鳥居」を潜ると、長い参道を進み次に「二の鳥居」がありました。すると長い長い石段が見えました。

IMG_4647.jpg地図を見てても高低差は分かりません。特に石段は分からないです。まさか最後に、こんな石段が待っているとは・・・。

IMG_4648.jpg石段の途中に立て札があるので、見て行きました。「源頼政道跡」と書かれていますが・・・?。

源頼政は、1160年(平治元年)「平治の乱」で功績をたて、平清盛の推挙で従三位となり、源三位(げんざんみ)と称した。1180年(治承4年)後白河法皇の皇子以仁王(もちひとおう)を擁して平氏追討を企て挙兵するも敗れ、大津市の圓城寺(三井寺)から奈良へ逃れる途中、宇治の平等院で自刀した。この時、烏橋、長尾天満宮、一言寺、法界寺を通り宇治に抜けた道が、この頼政道である。

IMG_4650.jpgIMG_4683.jpgまた石段を登ると再び立て札があって「洛東用水路」と書かれてました。

ここは、かつて灌漑用水路でした。醍醐から日野にかけての水田は、河川の水と溜池の水で養われてきたが、干ばつが続くと水不足に悩まされた。太平洋戦争中の1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)にかけて小野まで、来ていた琵琶湖疎水を取り入れ、用水路を日野まで延伸し、灌漑用水を賄った。ここの標高72㍍、琵琶湖の水面標高は84㍍である。

IMG_4651.jpg石段を登り切ると、正面に鳥居がありますが、こちらは帰りに寄ります。

IMG_4652.jpgIMG_4653.jpg本殿は、北に向いた参道先にあるので、そちらへ先に行く前に左手の「手水舎」に寄りました。

IMG_4654.jpgここは紅葉を期待して来た訳ではありませんが、予想外に綺麗でした

IMG_4655.jpgIMG_4656.jpgIMG_4658.jpg拝殿」です。奥に本殿が見えています。拝殿前には天満宮らしい「神牛」が安置されてましたね。

IMG_4659.jpgそして南向きに建っている「本殿」です。御祭神は、前途とおり菅原道真公、大己貴命(おおあなむちのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。1821年(文政4年)に造営されました。

IMG_4660.jpg次に末社を巡ります。向かって右が「稲荷社」御祭神が、宇迦之御霊神。左が「八幡宮」御祭神が、応神天皇(おうじんてんのう)でした。

IMG_4663.jpg右から「春日社」御祭神が、春日大神。「事代社」御祭神が、事代主神(ことしろぬしのみこと)。「住吉社」御祭神が、底筒男尊(そこつつのおのみこと)、中筒男尊(なかつつのおのみこと)、表筒男尊(うわつつのおのみこと)でした。

IMG_4667.jpgIMG_4668.jpg参拝後に「社務所」に寄りました。今日は、ここのためだけに朱印帳を持ってきてるので、呼鈴押すと出て来られ御朱印いただきました。

IMG_4670.jpgIMG_4669.jpgIMG_4671.jpg本殿のあとは、行きに後回した神社に向かいます。ところで、2017年(平成29年)11月に開催された特別鑑賞会では、何処を見られたのでしょうね。

IMG_4672.jpg木の鳥居には「皇大神宮」と書かれた扁額が架かっています。

IMG_4673.jpg右が「伊勢神宮内宮末社」御祭神が、天照大神。左が「伊勢神宮外宮末社」御祭神が、豊受大神でした。

IMG_4676.jpg先程の社務所で、カラー版の由緒書きをいただきました。そこには、「菅公衣裳塚」のことも書いてあったので、そちらに向かいます。

IMG_4677.jpg階段下に宝篋印塔がありました。ここにある立て札は、文字が掠れて読めないので、由緒書きを読んでみると・・・?。

石段をあがりきった右手にある菅公衣裳塚は、公がこの地に遊覧の折、死後はここに墓地を築くことを、醍醐寺開祖の聖宝理源大師と約束を交わされた。そして菅公の死後、醍醐寺一世賢座主が、太宰府から衣装や遺物を持ち帰り、埋めたと伝えられている。

IMG_4679.jpgこれから、この石段を下って醍醐寺に戻ります。

IMG_4685.jpgIMG_4686.jpg下りは、ゆっくり降りて来て二の鳥居まで来ました。

IMG_4687.jpgIMG_4643.jpg10時22分に、「一の鳥居」まで戻って来ました。痛めている膝は大丈夫です

IMG_4688.jpg車を醍醐寺の駐車場に止めているので、戻りますが、その前に・・・?。

醍醐寺霊宝館は、仏像棟は無料ですが、平成館は別途500円要ります。さて、どうしょうか・・・?。

年内は、これが最後です。皆さん、よいお年をお迎えください。

【長尾天満宮】

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