平安京造営時に宮中の付属庭園として造られ神泉苑へ
元離宮二条城を出て、次に向かったのが2017年(平成29年)4月8日以来、来て無かった「神泉苑」です。
794年(延暦13年)第50代桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。境域は南北四町東西二町に及び、苑内には大池と中島のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、812年(弘仁3年)第52代嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。弘法大師空海は、824年(天長元年)日本中の早天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以後、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となった。当苑の法成就池が「御池通」の由来にもなり、また、五位鷺の名称や静御前の祈雨の舞、小野小町の歌など多くの由緒を持つ。現在は国指定の史跡であり東寺真言宗の寺院である。
元離宮二条城から押小路通りを通って来たので、「北門」から入ります。
北門から入ったので、最初に見る「法成就池」は、この光景です。

この神泉苑には京懐石料亭「平八」が入っており、池には平八所有の「龍王船」が浮かんでいます。
「平八」を右手に見ながら南進すると、いよいよお堂が見えて来ます。
神泉苑は東寺真言宗の寺院で、こちらは「本堂」です。東寺境内にあった太元帥堂を、神泉苑に移築したものです。
ご本尊は「聖観世音菩薩」が中央に、左手に弘法大師坐像と中興の祖である快我上人(かいがしょうにん)像、右手には不動明王坐像が祀られています。また、本堂正面には「利生殿」という扁額が架かってました。
次に朱塗りの太鼓橋「法成橋」を渡ります。

結構角度がある橋の上から法成就池の写真を撮りました。

橋の上から振り返り「本堂」を撮ったあと、ゆっくり橋を降りました。

橋を渡ると正面に「善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)」があります。下からは「拝殿」「中門」と並んでいますが本殿が見えません。
それで先の太鼓橋から。中央の島に「拝所」「本殿」と並んでいるのが分かります。
弘法大師空海様が 雨乞いのために北インドから御請来(ごしょうらい)された神様で、善女龍王様は池の中に居ます。善女龍王社は1788年(天明8年)「天明の大火」により焼失し、その後再建されたと考えられています。
こちらが日本で唯一の「恵方社」です。その年の幸運の方角に社殿が向けられています。令和4年の方角は北北西です。
恵方における歳徳神(としとくじん)を礼拝する社です。毎年、方角を変えその方向にお参りします。方角は陰陽道によって決まるそうです。
次の社に向かおうとしたとき、何故か「アヒル」が居ました
。



恵方社から南に下がり石橋を渡り、次に境内の東に進みます。
手前から「洛中天満宮」で、御利益は学業成就です。2014年(平成26年)に、現在に移されたようです。
お隣には「放生供養」の石柱がありました。
こちらは「増運辨財天」で、水音が辨天の奏でる 琵琶の音色に聞こえると伝えられます。

「法成就池」の東まで来ると、そこには「宝篋印塔」がありました。1684年(貞享元年)に弘法大師御入定850回忌にあたり建立されたものです。

最後に「矢劔大明神(やつるぎだいみょうじん)」です。手に持った矢と剣で参詣の人々を守護される神様だそうです。
ここから東に見えているのが、狂言堂です。毎年11月の第1金曜日から日曜日までの3日間、無料で狂言がありますが、昨年は中止されたようです。

帰りに「方丈(臨泉閣)」に寄りました。種智院大学(教王護国寺 東寺 の境内にあった)より移築したものです。
ここの御朱印は貰ってないので興味がありましたが、書き置きのみでしょうか?。今日は朱印帳持参してなかったので、寄らずに出て行きました。

1908年(明治41年)4月建とれさる御池通りに面した「大鳥居」です。江戸時代から明治末まではこの場所に、山門(薬医門)が建っていたそうです。
帰りは、御池通りを西に進みJR二条駅まで歩きました。

駅に着くと、約10分ぐらい時間がありました。11時頃にホームに上がる「きのさき10号」が止まってます。それにしても上は寒いです。
JRに乗るのも久し振りです。通勤で毎日乗っていたのにね。平日の昼間のためゆっくり座って帰れました
。
【神泉苑】

【JR二条駅】

794年(延暦13年)第50代桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。境域は南北四町東西二町に及び、苑内には大池と中島のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、812年(弘仁3年)第52代嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。弘法大師空海は、824年(天長元年)日本中の早天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以後、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となった。当苑の法成就池が「御池通」の由来にもなり、また、五位鷺の名称や静御前の祈雨の舞、小野小町の歌など多くの由緒を持つ。現在は国指定の史跡であり東寺真言宗の寺院である。






ご本尊は「聖観世音菩薩」が中央に、左手に弘法大師坐像と中興の祖である快我上人(かいがしょうにん)像、右手には不動明王坐像が祀られています。また、本堂正面には「利生殿」という扁額が架かってました。








弘法大師空海様が 雨乞いのために北インドから御請来(ごしょうらい)された神様で、善女龍王様は池の中に居ます。善女龍王社は1788年(天明8年)「天明の大火」により焼失し、その後再建されたと考えられています。

恵方における歳徳神(としとくじん)を礼拝する社です。毎年、方角を変えその方向にお参りします。方角は陰陽道によって決まるそうです。







お隣には「放生供養」の石柱がありました。





ここから東に見えているのが、狂言堂です。毎年11月の第1金曜日から日曜日までの3日間、無料で狂言がありますが、昨年は中止されたようです。


ここの御朱印は貰ってないので興味がありましたが、書き置きのみでしょうか?。今日は朱印帳持参してなかったので、寄らずに出て行きました。


帰りは、御池通りを西に進みJR二条駅まで歩きました。


JRに乗るのも久し振りです。通勤で毎日乗っていたのにね。平日の昼間のためゆっくり座って帰れました

【神泉苑】
【JR二条駅】
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