「トラ時々ネコ 干支セトラ」展の福田美術館へ
2月10日(金)は、嵐山にある福田美術館に行きました。後述しますが福田美術館のチケットを1枚持ってて、それを使いたいなぁ・・・と考えていたところ、寅年に因んだ「トラ時々ネコ 干支セトラ」展を知り、2年振りの訪問ということになりました。
福田美術館には、2020年(令和2年)6月8日に「若冲誕生 〜葛藤の向こうがわ〜」を見に行って以来です。2020年(令和2年)6月5日に嵯峨嵐山文華館にて嵯峨嵐山文華館と福田美術館の共通券を2枚購入して、1枚は前途したとおり若冲の前期を見に行って、もう1枚を後期展に使う予定が、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急時代宣言が発出され閉館されたことで使えず、残ったままでした。
家から歩いても来られますが、市バスで来ました。嵐山天龍寺前バス停から歩いて向かい10時14分に着きました。
入ると、検温され緊急時の連絡先を記入し、2年前に買ったチケットを見せ入ります。このロビーでは誰も居ませんが、多分平日だし空いているだろう・・・と。
チケットを見せると、階段を上がり「第一章 トラ、ネコ、ネコトラ」から見て行きます。
入ると、以外にも10名ぐらいの人が見に来られてました。今日は、写真を撮るのは止めててじっくり鑑賞するつもりが、やっぱりついつい撮ってしまいます。
右から「虎図」中山高陽(1717~1780)、「虎図」曽我蕭白(1730~1781)。
「猫と仔犬」長沢芦雪(1754~1799)。
「花奴弄璨孥図(はなやっころうさんこず)」田中訥言(1767~1823)。
「龍虎図屏風」岸駒(1749または1756~1839)。
「梅花牡丹双鳥図・竹菊猫図」柴田義董(1780~1819)。
左から「月下虎図」片山楊谷(1760~1801)、「虎図」宋紫石(1715~1886)、「牡丹に猫図」黒川亀玉(2代)(1754~1814)。
「龍図」円山応挙(1733~1795)、「猛虎図」長沢芦雪(1754~1799)・龍草廬(1715~1792)、「虎図」長沢芦洲(1767~1847)、「虎図」島田元旦(1778~1840)。
「猛虎図」土方稲嶺(1741~1807)。
「猛虎図屏風」大橋万峰(1860~1943)。
左から「紅梅猫児」川合玉堂(1873~1957)、「春眠」速水御舟(1894~1935)、右端は撮影禁止でした。
「芍薬白猫図」橋本関雪(1883~1945)。
「猛虎之図」大橋翠石(1865~1945)。
「乳虎渡谿図」大橋翠石(1865~1945)。
「仔猫図」大橋翠石(1865~1945)。
「遊猫之図」大橋翠石(1865~1945)。
これで1階は終わり。2階へ上がります。
2階は「第二章 干支セトラ」です。
「雪中野猪図」大橋翠石(1865~1945)、次は撮影禁止でした。
「双犬図」大橋翠石(1865~1945)。
「群鶏」丸山晩霞(1867~1942)。
「松に尾長鶏」幸野楳嶺(1844~1895)。
「旭稚松鶏・梅花孤亭・竹林飛泉図」今尾景年(1845~1924)、「椿と鶏」小茂田青樹(1891~1933)、 「親子猿図」森祖雪(不詳)。
「巌上双猿図」三谷五雲(不詳)。
「黄初平図屏風」長谷川等伯(1539~1610)。
左から「白兎図」速水御舟(1894~1935)、「松明牛」菊池契月(1879~1955)、「耕牛」入江波光(1887~1948)、「瑞祥(鳳凰・鼠に宝槌)」大橋翠石(1865~1945)。
「龍図」円山応挙(1733~1795)。
「龍虎」岸竹堂(1826~1897)。
「裏園秋興之図」石崎光瑶(1884~1947)。
「飼馬図」与謝蕪村(1716~1784)。
「村翁飯馬」橋本関雪(1883~1945)。
「夏の夕」原田西湖(1880~1926)。
2階も人が増えてきたので次へと向かいました。
最後の部屋は「第三章 猫大集合」です。
この部屋では殆どが撮影禁止でした。
「麗日」西山翠嶂(1879~1958)。
「牡丹に猫図」青木猷山(不詳)。
ここでは「トラ人気投票」ができたので、私も1票?シールを貼りました。
10時38分にここを出て行きました。今日は前期展でしたが、後期展には行かないと思います。
ここから妻と待ち合わせのため嵐電嵐山駅に行き、食事に行く予定です。
【福田美術館】
福田美術館には、2020年(令和2年)6月8日に「若冲誕生 〜葛藤の向こうがわ〜」を見に行って以来です。2020年(令和2年)6月5日に嵯峨嵐山文華館にて嵯峨嵐山文華館と福田美術館の共通券を2枚購入して、1枚は前途したとおり若冲の前期を見に行って、もう1枚を後期展に使う予定が、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急時代宣言が発出され閉館されたことで使えず、残ったままでした。
家から歩いても来られますが、市バスで来ました。嵐山天龍寺前バス停から歩いて向かい10時14分に着きました。
入ると、検温され緊急時の連絡先を記入し、2年前に買ったチケットを見せ入ります。このロビーでは誰も居ませんが、多分平日だし空いているだろう・・・と。
チケットを見せると、階段を上がり「第一章 トラ、ネコ、ネコトラ」から見て行きます。
入ると、以外にも10名ぐらいの人が見に来られてました。今日は、写真を撮るのは止めててじっくり鑑賞するつもりが、やっぱりついつい撮ってしまいます。
右から「虎図」中山高陽(1717~1780)、「虎図」曽我蕭白(1730~1781)。
「猫と仔犬」長沢芦雪(1754~1799)。
「花奴弄璨孥図(はなやっころうさんこず)」田中訥言(1767~1823)。
「龍虎図屏風」岸駒(1749または1756~1839)。
「梅花牡丹双鳥図・竹菊猫図」柴田義董(1780~1819)。
左から「月下虎図」片山楊谷(1760~1801)、「虎図」宋紫石(1715~1886)、「牡丹に猫図」黒川亀玉(2代)(1754~1814)。
「龍図」円山応挙(1733~1795)、「猛虎図」長沢芦雪(1754~1799)・龍草廬(1715~1792)、「虎図」長沢芦洲(1767~1847)、「虎図」島田元旦(1778~1840)。
「猛虎図」土方稲嶺(1741~1807)。
「猛虎図屏風」大橋万峰(1860~1943)。
左から「紅梅猫児」川合玉堂(1873~1957)、「春眠」速水御舟(1894~1935)、右端は撮影禁止でした。
「芍薬白猫図」橋本関雪(1883~1945)。
「猛虎之図」大橋翠石(1865~1945)。
「乳虎渡谿図」大橋翠石(1865~1945)。
「仔猫図」大橋翠石(1865~1945)。
「遊猫之図」大橋翠石(1865~1945)。
これで1階は終わり。2階へ上がります。
2階は「第二章 干支セトラ」です。
「雪中野猪図」大橋翠石(1865~1945)、次は撮影禁止でした。
「双犬図」大橋翠石(1865~1945)。
「群鶏」丸山晩霞(1867~1942)。
「松に尾長鶏」幸野楳嶺(1844~1895)。
「旭稚松鶏・梅花孤亭・竹林飛泉図」今尾景年(1845~1924)、「椿と鶏」小茂田青樹(1891~1933)、 「親子猿図」森祖雪(不詳)。
「巌上双猿図」三谷五雲(不詳)。
「黄初平図屏風」長谷川等伯(1539~1610)。
左から「白兎図」速水御舟(1894~1935)、「松明牛」菊池契月(1879~1955)、「耕牛」入江波光(1887~1948)、「瑞祥(鳳凰・鼠に宝槌)」大橋翠石(1865~1945)。
「龍図」円山応挙(1733~1795)。
「龍虎」岸竹堂(1826~1897)。
「裏園秋興之図」石崎光瑶(1884~1947)。
「飼馬図」与謝蕪村(1716~1784)。
「村翁飯馬」橋本関雪(1883~1945)。
「夏の夕」原田西湖(1880~1926)。
2階も人が増えてきたので次へと向かいました。
最後の部屋は「第三章 猫大集合」です。
この部屋では殆どが撮影禁止でした。
「麗日」西山翠嶂(1879~1958)。
「牡丹に猫図」青木猷山(不詳)。
ここでは「トラ人気投票」ができたので、私も1票?シールを貼りました。
10時38分にここを出て行きました。今日は前期展でしたが、後期展には行かないと思います。
ここから妻と待ち合わせのため嵐電嵐山駅に行き、食事に行く予定です。
【福田美術館】
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