「絵でみる百人一首と枕草子」展の嵯峨嵐山文華館へ
2月17日(木)は、最強寒波の襲来で山陰、近畿北部、北陸、新潟などで大雪警報が出されるほど大変冷え込みました。今年は、何回最強寒波が襲来するのでしょうね。京都市内は時々小雪が舞う程度でしたが、気温が上がらず最高気温は5.5℃でした。
そんな寒い一日でしたが、特別拝観している寺院に行く予定を取りやめ、近くの嵯峨嵐山文華館で開催されている「絵でみる百人一首と枕草子」展に行きました。
外で待つのが嫌で10時になるように来たつもりが、9時58分に着いてしまいました。まだ柵があって入れません。
10時になったら出て来られ、柵を開けられ館内に入りました。入ると福田美術館と同様に、緊急連絡先を記入します。そしてチケットは福田美術館との共通券を購入しました。
ここでは二次元バーコードの付いたチケットを渡されるので、それでゲートを開け閉めできるようで、さっそく1階から見て行きます。
「絵でみる百人一首と枕草子」の作品を一つ一つ見ていきます。
「和歌・漢詩⾊紙貼交屏⾵」近衛信尹(1562~1612) 他。
「三⼗六歌仙図屏⾵」池⽥孤邨(1803~1868) 他。
「三十六歌仙」とは、藤原公任(ふじわらのきんとう)が撰んだ36人の和歌の名手のことを三十六歌仙といい、男性31人、女性5人の歌人から成っています。
①中務(なかつかさ)(生没不明) ②藤原敏行(?~907) ③斎宮女御(929~985) ④紀友則(845~906) ⑤源重之(生没不明) ⑥言中納言敦忠(905~942) ⑦中納言朝忠(910~966) ⑧藤原仲文(923~992) ⑨在原業平(825~880) ⑩藤原高光(939~994) ⑪源信明(みなもとのさねあきら)(910~970) ⑫源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)(?~939) ⑬藤原興風(生没不明) ⑭中納言兼輔(877~933) ⑮伊勢(生没不明) ⑯大中言能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)(921~991) ⑰藤原清正(ふじわらのきよただ)(?~958) ⑱僧正遍昭(そうじょうへんじょう)(816~890) ⑲坂上是則(さかのうえこれのり)(生没不明) ⑳藤原元真(生没不明) ㉑凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(生没不明) ㉒清原元輔(908~990) ㉓大伴家持(718~785) ㉔柿本人麻呂(?~709) ㉕小大君(こおおぎみ)(生没不明) ㉖源順(みなもとのしたごう)(911~983) ㉗山部赤人(生没不明) ㉘大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)(856~958) ㉙素性法師(そせいほうし)(?~909) ㉚紀貫之(872~945) ㉛壬生忠見(みぶのただみ)(生没不明) ㉜小野小町(生没不明) ㉝猿丸大夫(さるまるだゆう)(生没不明) ㉞壬生忠岑(みぶのただみね)(生没不明) ㉟源公忠(みなもとのきんただ)(889~948) ㊱平兼森(?~990) 赤字の歌人は百人一首に登場。
「在五中将」菊池契⽉(1879~1955) 。
「経信賞⽉」⽵内栖鳳(1864~1942) 。
「草⼦洗⼩町之図」伊藤⼩坡(1877~1968) 。
「在原業平・伊勢⼤輔・⼤納⾔経信」藤原光貞(1738~1806) 。
「⾙合せの図」伊藤⼩坡(1877~1968) 。
「時⾬庵」下村観⼭(1873~1930) 。
「藤原清正像」伝 岩佐⼜兵衛(1578~1650) 。
「三⼗六歌仙絵 伊勢」尾形乾⼭(1663~1743) 。
ここが「百人一首ヒストリー」で常設展示場です。以前来たときと変わらないのであっさり見て次へと。
江戸時代の豪華な手書きによる「百人一首かるた」がありました。これは以前、無かったような・・・。
次に出口付近にある展示物を見ます。写真突き当たりです。
最初に見たのが「古今集和歌巻」本阿弥光悦(1558~1637)。光悦は、刀剣の鑑定や手入れをする家に生まれ、絵画・工芸・書など多方面で才能を発揮しました。書は当時を代表する三人の書家の一人に数えられています。
「寝ても見ゆ ねでも見えけり おほかたは・・・」
「空蝉の世ぞ 夢には・・・」
「ありける けるかな」(紀友則)「夢とこそ 言ふべ・・・」
「かりけれ 世の中に うつつあるものと 思ひ・・・」(古今和歌集巻十六)
次が「古聖帝名⾂画冊」で、1893年(明治26年)に制作されたものです。作者は菊池芳⽂・⾕⼝⾹嶠・三宅呉暁・神坂雪佳です。
最初が三宅呉暁作「菅原道真」です。都から遠く離れた九州太宰府で、宮中の思い出を胸に、漢詩を執筆する場面で、心情を察して涙する従者が描かれています。
⾕⼝⾹嶠作「巨勢金岡」。平安時代前期の宮廷で活躍した絵師が描こうとしているのは中国の賢人の姿で、内裏に飾られる「賢し聖障子」の一部です。
神坂雪佳作「紫式部」。筆を片手に文机に向かう紫式部。石山寺へ参詣した際、琵琶湖の水面に映る十五夜の月を眺めているうちに「源氏物語」の着想を得たと伝わります。
菊池芳⽂作「源頼義」。平安時代中期の武将である源頼義が、反乱軍を平定するために陸奥に赴いた時のこと。頼義が、酷暑にあえぐ兵士たちのために神仏に祈り、弓の端で岩を突くと水か湧き出て、やがて北上川になったと伝わります。
次が1877年(明治10年)に作成された「本朝七賢⼥之図」で、作者は豊原國周(1835~1900)です。平安時代に活躍した7名の女性歌人が一堂に会する場面が描かれています。右から周防内侍(すおうのないし)、清少納言、大貳三位(だいにのさんみ)、小式部内侍(こしきぶのないし)、和泉式部、紫式部、赤染衛門(あかぞめえもん)です。
次に2階に上がります。
2階は土足禁止で、靴を下駄箱に預けます。
広い廊下からは大堰川が見えます。
2階のテーマは「第2章 絵でみる枕草子」です。
右から「清少納⾔図」鈴木圭雲(生没不明)。
「春曙」横⼭⼤観(1868~1958)。
1897年(明治30年)「⽉明」横⼭⼤観(1868~1958)。
「蛍狩美⼈図」⿃⽂斎栄之(1756~1829)。
「雁図」菱⽥春草(1874~1911)。
次が撮影禁止で「埋⽕」鏑⽊清⽅(1878~1972)。
「葵祭図巻」原在中(1750~1837)。毎年、5月に開催される賀茂別雷神社と賀茂御祖神社の祭礼の様子ですね。
「かづけもの」菊池契⽉(1879~1955)。
次が撮影禁止で、「紅梅・⽩梅」伊東深⽔(1864~1931)。
「東遊舞⼈図」⼩堀鞆⾳(1898~1972)。
「麗⽇」橋本関雪(1883~1945)。
「⻘梅に仔雀」⼊江波光(1887~1948)。
「⾍売」伊藤⼩坡(1877~1968)。
「桃実」⼩林古径(1883~1957)。
「奔⾺図」都路華⾹(1871~1931)。
「春秋草花図屏⾵」都路華⾹(1871~1931)。
「枝垂紅梅図」冨⽥渓仙(1879~1936)。
これで、前期分の作品を全て鑑賞し、ここを出ました。
2月20日に、競技かるた界を牽引するトップ選手たちが集う「第3回 ちはやふる小倉山杯」が、コロナウイルスの感染拡大で、4月10日(日)に延期されました。
「絵でみる百人一首と枕草子」は、1月29日(土)〜4月10日(日) 前期:1月29日~3月7日 後期:3月9日~4月10日
多分、後期は行かないかと思います。今日は、ここだけで帰りました。
【嵯峨嵐山文華館】
そんな寒い一日でしたが、特別拝観している寺院に行く予定を取りやめ、近くの嵯峨嵐山文華館で開催されている「絵でみる百人一首と枕草子」展に行きました。
外で待つのが嫌で10時になるように来たつもりが、9時58分に着いてしまいました。まだ柵があって入れません。
10時になったら出て来られ、柵を開けられ館内に入りました。入ると福田美術館と同様に、緊急連絡先を記入します。そしてチケットは福田美術館との共通券を購入しました。
ここでは二次元バーコードの付いたチケットを渡されるので、それでゲートを開け閉めできるようで、さっそく1階から見て行きます。
「絵でみる百人一首と枕草子」の作品を一つ一つ見ていきます。
「和歌・漢詩⾊紙貼交屏⾵」近衛信尹(1562~1612) 他。
「三⼗六歌仙図屏⾵」池⽥孤邨(1803~1868) 他。
「三十六歌仙」とは、藤原公任(ふじわらのきんとう)が撰んだ36人の和歌の名手のことを三十六歌仙といい、男性31人、女性5人の歌人から成っています。
①中務(なかつかさ)(生没不明) ②藤原敏行(?~907) ③斎宮女御(929~985) ④紀友則(845~906) ⑤源重之(生没不明) ⑥言中納言敦忠(905~942) ⑦中納言朝忠(910~966) ⑧藤原仲文(923~992) ⑨在原業平(825~880) ⑩藤原高光(939~994) ⑪源信明(みなもとのさねあきら)(910~970) ⑫源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)(?~939) ⑬藤原興風(生没不明) ⑭中納言兼輔(877~933) ⑮伊勢(生没不明) ⑯大中言能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)(921~991) ⑰藤原清正(ふじわらのきよただ)(?~958) ⑱僧正遍昭(そうじょうへんじょう)(816~890) ⑲坂上是則(さかのうえこれのり)(生没不明) ⑳藤原元真(生没不明) ㉑凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(生没不明) ㉒清原元輔(908~990) ㉓大伴家持(718~785) ㉔柿本人麻呂(?~709) ㉕小大君(こおおぎみ)(生没不明) ㉖源順(みなもとのしたごう)(911~983) ㉗山部赤人(生没不明) ㉘大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)(856~958) ㉙素性法師(そせいほうし)(?~909) ㉚紀貫之(872~945) ㉛壬生忠見(みぶのただみ)(生没不明) ㉜小野小町(生没不明) ㉝猿丸大夫(さるまるだゆう)(生没不明) ㉞壬生忠岑(みぶのただみね)(生没不明) ㉟源公忠(みなもとのきんただ)(889~948) ㊱平兼森(?~990) 赤字の歌人は百人一首に登場。
「在五中将」菊池契⽉(1879~1955) 。
「経信賞⽉」⽵内栖鳳(1864~1942) 。
「草⼦洗⼩町之図」伊藤⼩坡(1877~1968) 。
「在原業平・伊勢⼤輔・⼤納⾔経信」藤原光貞(1738~1806) 。
「⾙合せの図」伊藤⼩坡(1877~1968) 。
「時⾬庵」下村観⼭(1873~1930) 。
「藤原清正像」伝 岩佐⼜兵衛(1578~1650) 。
「三⼗六歌仙絵 伊勢」尾形乾⼭(1663~1743) 。
ここが「百人一首ヒストリー」で常設展示場です。以前来たときと変わらないのであっさり見て次へと。
江戸時代の豪華な手書きによる「百人一首かるた」がありました。これは以前、無かったような・・・。
次に出口付近にある展示物を見ます。写真突き当たりです。
最初に見たのが「古今集和歌巻」本阿弥光悦(1558~1637)。光悦は、刀剣の鑑定や手入れをする家に生まれ、絵画・工芸・書など多方面で才能を発揮しました。書は当時を代表する三人の書家の一人に数えられています。
「寝ても見ゆ ねでも見えけり おほかたは・・・」
「空蝉の世ぞ 夢には・・・」
「ありける けるかな」(紀友則)「夢とこそ 言ふべ・・・」
「かりけれ 世の中に うつつあるものと 思ひ・・・」(古今和歌集巻十六)
次が「古聖帝名⾂画冊」で、1893年(明治26年)に制作されたものです。作者は菊池芳⽂・⾕⼝⾹嶠・三宅呉暁・神坂雪佳です。
最初が三宅呉暁作「菅原道真」です。都から遠く離れた九州太宰府で、宮中の思い出を胸に、漢詩を執筆する場面で、心情を察して涙する従者が描かれています。
⾕⼝⾹嶠作「巨勢金岡」。平安時代前期の宮廷で活躍した絵師が描こうとしているのは中国の賢人の姿で、内裏に飾られる「賢し聖障子」の一部です。
神坂雪佳作「紫式部」。筆を片手に文机に向かう紫式部。石山寺へ参詣した際、琵琶湖の水面に映る十五夜の月を眺めているうちに「源氏物語」の着想を得たと伝わります。
菊池芳⽂作「源頼義」。平安時代中期の武将である源頼義が、反乱軍を平定するために陸奥に赴いた時のこと。頼義が、酷暑にあえぐ兵士たちのために神仏に祈り、弓の端で岩を突くと水か湧き出て、やがて北上川になったと伝わります。
次が1877年(明治10年)に作成された「本朝七賢⼥之図」で、作者は豊原國周(1835~1900)です。平安時代に活躍した7名の女性歌人が一堂に会する場面が描かれています。右から周防内侍(すおうのないし)、清少納言、大貳三位(だいにのさんみ)、小式部内侍(こしきぶのないし)、和泉式部、紫式部、赤染衛門(あかぞめえもん)です。
次に2階に上がります。
2階は土足禁止で、靴を下駄箱に預けます。
広い廊下からは大堰川が見えます。
2階のテーマは「第2章 絵でみる枕草子」です。
右から「清少納⾔図」鈴木圭雲(生没不明)。
「春曙」横⼭⼤観(1868~1958)。
1897年(明治30年)「⽉明」横⼭⼤観(1868~1958)。
「蛍狩美⼈図」⿃⽂斎栄之(1756~1829)。
「雁図」菱⽥春草(1874~1911)。
次が撮影禁止で「埋⽕」鏑⽊清⽅(1878~1972)。
「葵祭図巻」原在中(1750~1837)。毎年、5月に開催される賀茂別雷神社と賀茂御祖神社の祭礼の様子ですね。
「かづけもの」菊池契⽉(1879~1955)。
次が撮影禁止で、「紅梅・⽩梅」伊東深⽔(1864~1931)。
「東遊舞⼈図」⼩堀鞆⾳(1898~1972)。
「麗⽇」橋本関雪(1883~1945)。
「⻘梅に仔雀」⼊江波光(1887~1948)。
「⾍売」伊藤⼩坡(1877~1968)。
「桃実」⼩林古径(1883~1957)。
「奔⾺図」都路華⾹(1871~1931)。
「春秋草花図屏⾵」都路華⾹(1871~1931)。
「枝垂紅梅図」冨⽥渓仙(1879~1936)。
これで、前期分の作品を全て鑑賞し、ここを出ました。
2月20日に、競技かるた界を牽引するトップ選手たちが集う「第3回 ちはやふる小倉山杯」が、コロナウイルスの感染拡大で、4月10日(日)に延期されました。
「絵でみる百人一首と枕草子」は、1月29日(土)〜4月10日(日) 前期:1月29日~3月7日 後期:3月9日~4月10日
多分、後期は行かないかと思います。今日は、ここだけで帰りました。
【嵯峨嵐山文華館】
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