元老 山縣有朋ゆかりの無鄰菴へ
3月24日(木)は、無鄰菴に予約拝観してました。何故予約かと言うと、新型コロナウィルス拡大防止のため、当面の間、無鄰菴へは来場予約が必要で、事前予約制となっていました。それで、この日の9時からの来場を予約。合わせてカフェも予約しておきました。
国指定の名勝 七代目小川治兵衛作庭で、元老 山縣有朋の別荘 無鄰菴は、東山を借景に琵琶湖疏水の流れる庭園や歴史的な洋館をはじめ母屋でお抹茶やカフェも楽しめるようになっています。無鄰菴には最近では2018年(平成30年)2月2日と2018年(平成30年)7月20日に来て以来です。
予約時の案内に、「当日のご入場手続きは各時間5分前より開始いたします」と書いてあったので、地下鉄東西線蹴上駅を8時43分に着く電車で来て、そこから歩いて無鄰菴に向かうと8時53分に着きました。
55分の2分前だし門は閉まってるね・・・と思いきや、開門したのは9時過ぎでした。
玄関で靴を袋に入れ上がります。予約時にクレジット払いしているのでパンフレットだけ貰いました。
先ずは「母屋」に入ります。そこから靴を履いて庭に降りるわけです。
私は庭を撮りたかったので、さっそくここから庭に降ります。
何度か来てますが、7代目・小川治兵衛が作庭した見事な庭園を散策です。
庭に出て、振り返ると「母屋」と「洋館」を見渡せます。
写真右手の「大石」は、この無鄰菴を造られた元老山縣有朋が自ら醍醐の山から切り出したと言われています。
この枠の中に、明治天皇から贈られた松が植わってました。今は枯れてありませんが、それは大事にされ明治天皇に報告されていたそうですね。
苑内には花が少ないなか、「馬酔木」が見頃でした。
この飛び石を渡ろうと思い前を見ると、烏が・・・私が近づくと飛んで行ってくれました。
この先に疎水の水を汲み上げた滝があって、そこから流れくる水が小川となって池に注いでいます。
無鄰菴の東側の最深部・・・もっとも高い東端に「三段の滝」があります。ここで植治は1段で水を落とし、2段と3段で左右に振るという手法をとりました。
前途した、明治天皇から贈られた松の成長を記録したことが書かれているそうですが、擦り切れて読めないそうですね。
苑路を進むと前方に「茶室」が見えてきます。
茶室に上がることができませんが、内部は開いているので鑑賞できます。
ここまで来ると「洋館」に入ります。洋館は外せないですね。
靴を脱いであがり、先ずは1階の見学です。
以前、来た時と変わらないので、あっさり見て出て行き2階へ。
1903年(明治36年)4月21日、元老山縣有朋、立憲政友会総裁の伊藤博文、 総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎の4人によって、日露戦争直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」が、ここで開かれました。
2階もあっさり見て出て行きました。今日は事前に無鄰菴カフェを予約してるので楽しみです。
再び「母屋」に戻ってきました。ここでお菓子をいただきます。注文は、ベルを押すと係の方が来られたので、メニューを見て決めました。
「西陣麦酒のクラフトビール」と「無鄰菴オリジナルどら焼き」をいただきました。久し振りに外で飲むビールは美味しいですね。
9時30分から母屋で、無鄰菴についての解説がありますが、お一人聞かれてました。私は9時40分に無鄰菴を出て帰路に着いた次第です。
帰りも蹴上駅まで歩いて地下鉄東西線で帰りました。久し振りに京都市営動物園にでも行こうかなぁ・・・と思ってたんですが、次の機会にします。
【無鄰菴】
国指定の名勝 七代目小川治兵衛作庭で、元老 山縣有朋の別荘 無鄰菴は、東山を借景に琵琶湖疏水の流れる庭園や歴史的な洋館をはじめ母屋でお抹茶やカフェも楽しめるようになっています。無鄰菴には最近では2018年(平成30年)2月2日と2018年(平成30年)7月20日に来て以来です。
予約時の案内に、「当日のご入場手続きは各時間5分前より開始いたします」と書いてあったので、地下鉄東西線蹴上駅を8時43分に着く電車で来て、そこから歩いて無鄰菴に向かうと8時53分に着きました。
55分の2分前だし門は閉まってるね・・・と思いきや、開門したのは9時過ぎでした。
玄関で靴を袋に入れ上がります。予約時にクレジット払いしているのでパンフレットだけ貰いました。
先ずは「母屋」に入ります。そこから靴を履いて庭に降りるわけです。
私は庭を撮りたかったので、さっそくここから庭に降ります。
何度か来てますが、7代目・小川治兵衛が作庭した見事な庭園を散策です。
庭に出て、振り返ると「母屋」と「洋館」を見渡せます。
写真右手の「大石」は、この無鄰菴を造られた元老山縣有朋が自ら醍醐の山から切り出したと言われています。
この枠の中に、明治天皇から贈られた松が植わってました。今は枯れてありませんが、それは大事にされ明治天皇に報告されていたそうですね。
苑内には花が少ないなか、「馬酔木」が見頃でした。
この飛び石を渡ろうと思い前を見ると、烏が・・・私が近づくと飛んで行ってくれました。
この先に疎水の水を汲み上げた滝があって、そこから流れくる水が小川となって池に注いでいます。
無鄰菴の東側の最深部・・・もっとも高い東端に「三段の滝」があります。ここで植治は1段で水を落とし、2段と3段で左右に振るという手法をとりました。
前途した、明治天皇から贈られた松の成長を記録したことが書かれているそうですが、擦り切れて読めないそうですね。
苑路を進むと前方に「茶室」が見えてきます。
茶室に上がることができませんが、内部は開いているので鑑賞できます。
ここまで来ると「洋館」に入ります。洋館は外せないですね。
靴を脱いであがり、先ずは1階の見学です。
以前、来た時と変わらないので、あっさり見て出て行き2階へ。
1903年(明治36年)4月21日、元老山縣有朋、立憲政友会総裁の伊藤博文、 総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎の4人によって、日露戦争直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」が、ここで開かれました。
2階もあっさり見て出て行きました。今日は事前に無鄰菴カフェを予約してるので楽しみです。
再び「母屋」に戻ってきました。ここでお菓子をいただきます。注文は、ベルを押すと係の方が来られたので、メニューを見て決めました。
「西陣麦酒のクラフトビール」と「無鄰菴オリジナルどら焼き」をいただきました。久し振りに外で飲むビールは美味しいですね。
9時30分から母屋で、無鄰菴についての解説がありますが、お一人聞かれてました。私は9時40分に無鄰菴を出て帰路に着いた次第です。
帰りも蹴上駅まで歩いて地下鉄東西線で帰りました。久し振りに京都市営動物園にでも行こうかなぁ・・・と思ってたんですが、次の機会にします。
【無鄰菴】
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