西国三十三ヵ所 第11番札所 深雪山 上醍醐 准胝堂(醍醐寺)へ
西国三十三ヵ所 第11番札所 深雪山 上醍醐 准胝堂(醍醐寺下伽藍)は、2008年(平成20年)8月24日に落雷が原因による火災によりお堂やご本尊が焼失したため、下醍醐伽藍の観音堂に准胝観音を安置し、参拝と納経所が設けられています。今日は、醍醐寺 三宝院に来たついでに、下伽藍の観音堂に寄って、久し振りに西国三十三ヵ所の御朱印をいただこうと思ってました。拝観料も三宝院と下伽藍がセットになっているため、三宝院だけで帰るのは勿体ないしね。今日は上醍醐には登りません。
9時26分に下伽藍入口にある「西大門(仁王門)」に着きました。
1605年(慶長10年)の再建。両脇には1134年(長承3年)造立された仁王像が睨みをきかせています。
仁王門を入ると受付があるので、チケットの半券を切られます。そして参道を奥に進みますが、両脇の木立が伐採されてますね。殺風景です。
最初に国宝「金堂」にお参りです。2021年(令和3年)11月25日に来た時は、お参りしてなかったので・・・。
醍醐寺のご本尊は薬師如来坐像です。内陣奥に安置されています。脇侍の日光・月光菩薩像とともに紀州湯浅の満願寺から運び込まれたものです。
金堂に参ったあと、次に五重塔を見に行きますが、その前に「鐘楼」を撮りました。
先月の2月23日(水・祝)に「五大力さん」として親しまれている「五大力尊仁王会」が営まれました。この金堂前では、五大力さんに力を奉納して無病息災、身体堅固を祈り、男性150㌔、女性90㌔の紅白の大鏡餅を抱え上げて、その時間を競う奉納餅上げ大会が行われました。その名残が金堂前に残っています。
国宝「五重塔」ですが、今回の「京の冬の旅」では、僧侶が案内する五重塔がありました。事前予約制ですが、私は申込みしてません。
国宝「五重塔」です。第60代醍醐天皇の冥福を祈るために第61代朱雀天皇が936年(承平6年)起工、第62代村上天皇の951年(天暦5年)に完成した。京都府下最古の木造建造物で内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。
次に五重塔の向かいに行きました。手前「護摩道場」、奥が「不動堂」です。堂内には不動明王を中心に五体の明王(不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)を安置とありましたが・・・?。
次にお隣に移動し「真如三昧耶堂」に上がりました。1997年(平成9年)の再建で堂内には涅槃仏が安置されてました。
元の参道に戻る途中に「役行者像」がありました。
次のお堂は「祖師堂」です。堂内には、真言宗を開いた「弘法大師空海像」(左)と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した「理源大師(聖宝)像」(右)が安置されてました。
参道に戻り、そのまま進むと「日月門」を潜ります。1930年(昭和5年)醍醐天皇一千年御忌を記念して山口玄洞居士より寄進された門です。
こちらが「観音堂」です。こちらに西国三十三ヵ所の納経所があるので、堂内に入ります。
観音堂の裏手から堂内に入ります。堂内は撮影禁止でした。堂内には、ご本尊の大きな准胝観音菩薩坐像が安置されています。上醍醐 准胝堂のご本尊は焼失してしまったようです。
三宝院と同じシステムで、先ずは受付で御朱印代金を払います。そのレシートを持って納経所に行き、御朱印をいただくということです。
西国三十三ヵ所の御朱印と、御詠歌の御朱印をいただました。御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。
この下伽藍で、最も奥までやって来ました。2021年(令和3年)11月25日に来た時は、見事な紅葉を見せて貰いました。
この橋を渡り、その先のゲートを出ると、上醍醐の拝観受付所があります。今日は上醍醐に登りません。
ようやく「弁天堂」に着きました。1930年(昭和5年)山口玄洞居士より寄進されたもので、七福神の一つ、弁財天が祀られています。
弁天堂の右横から「無量寿苑」に出ます。
弁天池の上部には、その水源となる瀧があります。「無量寿苑」と名付けられた庭園は、昼間でも暗く静かです。苔庭が綺麗でした。
帰る頃には、数名の方と出会いました。観音堂、日月門、五重塔、金堂を通り「清瀧宮本殿」に寄りました。
本殿前にある「清瀧宮拝殿」にも寄りました。
10時7分に醍醐寺下伽藍を出て行きました。10時を過ぎると醍醐寺霊宝館仏像館は無料で入れますが、2021年(令和3年)11月25日に入っているのでスルーしました。
帰りも総門を出て、再び醍醐東市営住宅の真ん中を通って、地下鉄東西線醍醐駅から帰路に着きました。
今日のタイトルは「上醍醐 准胝堂」ですが、前途したおり落雷よる火災で、今現在も更地のままです。過去3度登ったことがあるので、寂しいですね。今日はこれだけで帰りました。
【醍醐寺 下伽藍】
9時26分に下伽藍入口にある「西大門(仁王門)」に着きました。
1605年(慶長10年)の再建。両脇には1134年(長承3年)造立された仁王像が睨みをきかせています。
仁王門を入ると受付があるので、チケットの半券を切られます。そして参道を奥に進みますが、両脇の木立が伐採されてますね。殺風景です。
最初に国宝「金堂」にお参りです。2021年(令和3年)11月25日に来た時は、お参りしてなかったので・・・。
醍醐寺のご本尊は薬師如来坐像です。内陣奥に安置されています。脇侍の日光・月光菩薩像とともに紀州湯浅の満願寺から運び込まれたものです。
金堂に参ったあと、次に五重塔を見に行きますが、その前に「鐘楼」を撮りました。
先月の2月23日(水・祝)に「五大力さん」として親しまれている「五大力尊仁王会」が営まれました。この金堂前では、五大力さんに力を奉納して無病息災、身体堅固を祈り、男性150㌔、女性90㌔の紅白の大鏡餅を抱え上げて、その時間を競う奉納餅上げ大会が行われました。その名残が金堂前に残っています。
国宝「五重塔」ですが、今回の「京の冬の旅」では、僧侶が案内する五重塔がありました。事前予約制ですが、私は申込みしてません。
国宝「五重塔」です。第60代醍醐天皇の冥福を祈るために第61代朱雀天皇が936年(承平6年)起工、第62代村上天皇の951年(天暦5年)に完成した。京都府下最古の木造建造物で内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。
次に五重塔の向かいに行きました。手前「護摩道場」、奥が「不動堂」です。堂内には不動明王を中心に五体の明王(不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)を安置とありましたが・・・?。
次にお隣に移動し「真如三昧耶堂」に上がりました。1997年(平成9年)の再建で堂内には涅槃仏が安置されてました。
元の参道に戻る途中に「役行者像」がありました。
次のお堂は「祖師堂」です。堂内には、真言宗を開いた「弘法大師空海像」(左)と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した「理源大師(聖宝)像」(右)が安置されてました。
参道に戻り、そのまま進むと「日月門」を潜ります。1930年(昭和5年)醍醐天皇一千年御忌を記念して山口玄洞居士より寄進された門です。
こちらが「観音堂」です。こちらに西国三十三ヵ所の納経所があるので、堂内に入ります。
観音堂の裏手から堂内に入ります。堂内は撮影禁止でした。堂内には、ご本尊の大きな准胝観音菩薩坐像が安置されています。上醍醐 准胝堂のご本尊は焼失してしまったようです。
三宝院と同じシステムで、先ずは受付で御朱印代金を払います。そのレシートを持って納経所に行き、御朱印をいただくということです。
西国三十三ヵ所の御朱印と、御詠歌の御朱印をいただました。御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。
この下伽藍で、最も奥までやって来ました。2021年(令和3年)11月25日に来た時は、見事な紅葉を見せて貰いました。
この橋を渡り、その先のゲートを出ると、上醍醐の拝観受付所があります。今日は上醍醐に登りません。
ようやく「弁天堂」に着きました。1930年(昭和5年)山口玄洞居士より寄進されたもので、七福神の一つ、弁財天が祀られています。
弁天堂の右横から「無量寿苑」に出ます。
弁天池の上部には、その水源となる瀧があります。「無量寿苑」と名付けられた庭園は、昼間でも暗く静かです。苔庭が綺麗でした。
帰る頃には、数名の方と出会いました。観音堂、日月門、五重塔、金堂を通り「清瀧宮本殿」に寄りました。
本殿前にある「清瀧宮拝殿」にも寄りました。
10時7分に醍醐寺下伽藍を出て行きました。10時を過ぎると醍醐寺霊宝館仏像館は無料で入れますが、2021年(令和3年)11月25日に入っているのでスルーしました。
帰りも総門を出て、再び醍醐東市営住宅の真ん中を通って、地下鉄東西線醍醐駅から帰路に着きました。
今日のタイトルは「上醍醐 准胝堂」ですが、前途したおり落雷よる火災で、今現在も更地のままです。過去3度登ったことがあるので、寂しいですね。今日はこれだけで帰りました。
【醍醐寺 下伽藍】
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