臨済宗妙心派塔頭 養徳院 4月の月例直書き御朱印授与へ
臨済宗妙心派塔頭 養徳院では、毎月第一土曜、日曜の9時~16時に「月例直書き御朱印」の授与をされています。1月~3月は、コロナ禍のため授与日を変更されてましたが、4月から元に戻されました。3月の授与日から一週間しかたってませんが4月3日(日)に行ってきました。
小雨降る中、京都市営バスに乗り、時間が早かっので1駅前で下車し、歩いて妙心寺に向かい「総門」前に8時33分に着きました。
授与は9時からのため、ゆっくりゆっくり妙心寺の石畳の参道を歩いて行きます。
8時42分に「山門」前に着きました。「早すぎるなぁ・・・」と思って来たんですが、既に2名の方が待たれてました。
ここから9時まで、立って待ちました。本当に開門は9時過ぎでしたね。バスが土日では30分に1本のため早く来ましたが、次回からは次のバスで行きます。
9時に開門して、寺に入ったのは4名でした。番号札3番を貰って待つことに・・・。
何度も来てるので、堂内も庭園も見る所がありません。ずっと座って待っていると・・・約15分で私の番号が呼ばれました。
いつものように、内容については養徳院のInstagramから転載です。
「この世の命はみな尊い」・・・お釈迦様がお生まれになって発した言葉「天上天下唯我独尊」。流石に生まれて七歩歩き、天地を指さしこう仰ったのは伝説であり、事実ではないでしょう。しかしながらこの逸話には釈尊の重要な教えが込められております。六道の輪廻を抜けて仏となることが七歩に込められ、どのような命もかけがえのない命であることを説かれたのです。蔑まれる命などなく、また優遇される命もない。皆平等であることを本当に理解することが大切なのです。
「釋尊(しゃくそん)」・・・釈迦族の尊い聖者という意味の「釈迦牟尼世尊」を省略して釈尊と言います。正にお釈迦様の事であります。お釈迦様は神様ではありません。2500年前に実在し、我々と同じ生身の人間でこの世に生を受けらました。釈尊の心と同じものが我々人間にはあるのです。多くの人を慈しみ、愛する心は何も特別なものではありません。育むか、見逃し我欲に生きるかで晴れも曇りも致します。自身に宿る仏の心に触れましょう。
小雨降る中、9時20分に「山門」から出て行きました。
今日は、日曜日で桜の各地で見頃となったので、帰りのバスは混雑してました。来月も予定が空いていたら行く予定です。
【臨済宗妙心派塔頭 養徳院】
小雨降る中、京都市営バスに乗り、時間が早かっので1駅前で下車し、歩いて妙心寺に向かい「総門」前に8時33分に着きました。
授与は9時からのため、ゆっくりゆっくり妙心寺の石畳の参道を歩いて行きます。
8時42分に「山門」前に着きました。「早すぎるなぁ・・・」と思って来たんですが、既に2名の方が待たれてました。
ここから9時まで、立って待ちました。本当に開門は9時過ぎでしたね。バスが土日では30分に1本のため早く来ましたが、次回からは次のバスで行きます。
9時に開門して、寺に入ったのは4名でした。番号札3番を貰って待つことに・・・。
何度も来てるので、堂内も庭園も見る所がありません。ずっと座って待っていると・・・約15分で私の番号が呼ばれました。
いつものように、内容については養徳院のInstagramから転載です。
「この世の命はみな尊い」・・・お釈迦様がお生まれになって発した言葉「天上天下唯我独尊」。流石に生まれて七歩歩き、天地を指さしこう仰ったのは伝説であり、事実ではないでしょう。しかしながらこの逸話には釈尊の重要な教えが込められております。六道の輪廻を抜けて仏となることが七歩に込められ、どのような命もかけがえのない命であることを説かれたのです。蔑まれる命などなく、また優遇される命もない。皆平等であることを本当に理解することが大切なのです。
「釋尊(しゃくそん)」・・・釈迦族の尊い聖者という意味の「釈迦牟尼世尊」を省略して釈尊と言います。正にお釈迦様の事であります。お釈迦様は神様ではありません。2500年前に実在し、我々と同じ生身の人間でこの世に生を受けらました。釈尊の心と同じものが我々人間にはあるのです。多くの人を慈しみ、愛する心は何も特別なものではありません。育むか、見逃し我欲に生きるかで晴れも曇りも致します。自身に宿る仏の心に触れましょう。
小雨降る中、9時20分に「山門」から出て行きました。
今日は、日曜日で桜の各地で見頃となったので、帰りのバスは混雑してました。来月も予定が空いていたら行く予定です。
【臨済宗妙心派塔頭 養徳院】
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