令和4年度「春期京都非公開文化財特別公開」随心院へ
今年のGWは4月29日から始まりましたが、何も規制のないGWは3年振りとか。例年GW期間中に行われていた春期京都非公開文化財特別公開も始まりましたが、ここ2年・・・「令和2年度 春期京都非公開文化財特別公開」と「令和3年度 春期京都非公開文化財特別公開」は、新型コロナウイルスの感染拡大状況を受けて中止となったので、私は3年振りに行くことにしたんですが、いつの間にか拝観料が1000円に値上がってます。そこで、何箇所かじゃなくて行きたい所を絞って行くことにしました。
最初は・・・と言うか、最後かも知れませんが連休の谷間、5月2日(月)に京都市山科区にある随心院に行きました。常時拝観している随心院では、「如意輪観世音菩薩坐像(重文)」、「金剛薩埵坐像(重文・快慶作)」が公開されたので見に来た訳です。
コロナ禍前の「春期京都非公開文化財特別公開」の期間はGW期間中でした。しかし、期間が短いと人が密集するので新型コロナウイルスの感染予防から公開期間が長くなっています。随心院は4月23日(土)~5月15日(日)まで。拝観料は通常は500円ですが、前途したとおり特別公開禁中は1000円でした。
地下鉄東西線小野駅から歩いて「総門」前に9時1分に着きました。随心院には2016年(平成28年)4月3日以来の訪問となります。
真言宗小野流の大本山で、991年(正暦2年)弘法大師第8世の法孫仁海(にんがい)僧正の開基として、この地を賜り牛皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺といった。当院は真言宗小野流発祥の地であって、第5世増俊(ぞうしゅん)阿闍梨が塔頭に随心院を建立し、第7世親巌(しんごん)大僧正の時、第86代後堀河天皇より門跡の宣旨をうけ、以来、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡と称した。その後、応仁の兵火で炎上したが、1599年(慶長4年)九条二条両宮家より門跡が入山。第24世増孝が再興し、今日にいたっている。本堂は再興当時のもので、本尊如意輪観世音菩薩像のほかに、阿弥陀如来像(重文)及び快慶作の金剛さった像等を安置する。書院は徳川秀忠夫人天真院尼の寄進である。この附近は、小野小町の旧跡と伝え、境内には小町文塚、化粧の井戸があり、小町の艷書をはったという地蔵菩薩も安置されている。
再び門があって、そこを入ると拝観入口の「庫裏」が見えて来ます。1753年(宝暦3年)に二条家から移築されたもの。二条家では政所として使用されてました。
庫裏の中で拝観料を納めます。春期京都非公開文化財特別公開のパンフも買いました。靴を脱いで上がった正面に納経所があって、帰りに寄ります。
入ると拝観ルートに従って進みます。その先は「大玄関」です。
大玄関に入ると正面に「薬医門」が見えます。随心院の勅使門で、寛永年間(1624年~1644年)に天真院尼が寄進したもの。
大玄関を抜けると、次に「表書院」に出ます。こちらに通常は本堂で祀られている如意輪観世音菩薩坐像(重文)と金剛薩埵坐像(重文・快慶作)の仏像がありました。ここでお参りと、本堂より間近で見られます。
文化庁、宮内庁、読売新聞社が連携して進める「紡ぐプロジェクト」により、重要文化財「如意輪観音坐像」が、京都国立博物館の文化財保存修理所で1年かがりの補修作業を終え随心院に戻り公開されたものです。本堂での安置より間近で見られました。
次に本堂ですが、その前に「能の間」に入ります。ここは現在、インスタで人気スポットなんです。
「能の間」は、宝暦年間(1751~1764)に九条家の寄進によるもの。1991年(平成3年)に改修された。
この障壁画は「極彩色梅匂小町絵図」といい、2009年(平成21年)に奉納されたました。絶世の美女と言われた小野小町の一生を描いた作品です。
ここを撮っていると、披露宴の前撮りでしょうか新郎新婦さんが写真を撮られてました。私らの時には無かったことですね。
「表書院」と「本堂」の前には庭園が拡がっています。奥には池もありました。
寝殿造りの本堂内は撮影禁止でした。重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像は、如意輪観世音菩薩坐像と入れ代わり修理に出されたので不在です。あと、薬師如来坐像(平安時代後期)、不動明王立像(平安時代後期)は見られますが常時拝観されているので、いつでもお参りできます。
本堂から表書院の裏側へ進むと、廊下の左手に「地蔵堂」が附属しています。堂内は撮影禁止でした。中央には小町文張地蔵尊像、右手には小野小町白描画の軸、左手には卒塔婆小町坐像が祀られていました。
さらに奥に進みます。その廊下の先には庭園があって、奥に「小町堂」が見えました。
こちらには杜若が咲いています。杜若も例年より早い見頃のようです。
次に「奥書院」に入りました。ここには狩野派の「宮廷人物図」「賢聖障子絵」「竹虎図」や「舞楽図」の襖絵がありますが、撮影禁止です。
奥書院から最初の庫裏に戻ります。石楠花は完全に終わってますね。
帰りに、書き置きの御朱印をいただきました。ご本尊の如意輪観世音菩薩像修復記念の御朱印もありました。
帰りに庫裏の前にあった「小野小町歌碑」を撮りました。この奥は無料で見られるエリアがありますが、今日は行きません。
こちらは「長屋門」です。帰りに気づきました。
帰りも地下鉄小野駅まで歩きます。その前に「小野梅園」を撮りました。ここの梅は遅咲きで、満開は見事です。
9時24分に「総門」から出て行きました。この前が奈良街道で、南に歩けば醍醐寺に行けます。ただ、交通量が多いので歩きは怖いですね。
予定していた時間より早く「地下鉄東西線小野駅」まで戻ってきました。小野駅の次は椥辻(なぎつじ)駅です。山科区役所があって、山科区のメインです。
今日は、ここだけで帰りました。連休の谷間でしたが、帰りの嵐山行きのバスは人で一杯でした。いつもの平日ならガラガラなのに・・・。
【随心院】
最初は・・・と言うか、最後かも知れませんが連休の谷間、5月2日(月)に京都市山科区にある随心院に行きました。常時拝観している随心院では、「如意輪観世音菩薩坐像(重文)」、「金剛薩埵坐像(重文・快慶作)」が公開されたので見に来た訳です。
コロナ禍前の「春期京都非公開文化財特別公開」の期間はGW期間中でした。しかし、期間が短いと人が密集するので新型コロナウイルスの感染予防から公開期間が長くなっています。随心院は4月23日(土)~5月15日(日)まで。拝観料は通常は500円ですが、前途したとおり特別公開禁中は1000円でした。
地下鉄東西線小野駅から歩いて「総門」前に9時1分に着きました。随心院には2016年(平成28年)4月3日以来の訪問となります。
真言宗小野流の大本山で、991年(正暦2年)弘法大師第8世の法孫仁海(にんがい)僧正の開基として、この地を賜り牛皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺といった。当院は真言宗小野流発祥の地であって、第5世増俊(ぞうしゅん)阿闍梨が塔頭に随心院を建立し、第7世親巌(しんごん)大僧正の時、第86代後堀河天皇より門跡の宣旨をうけ、以来、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡と称した。その後、応仁の兵火で炎上したが、1599年(慶長4年)九条二条両宮家より門跡が入山。第24世増孝が再興し、今日にいたっている。本堂は再興当時のもので、本尊如意輪観世音菩薩像のほかに、阿弥陀如来像(重文)及び快慶作の金剛さった像等を安置する。書院は徳川秀忠夫人天真院尼の寄進である。この附近は、小野小町の旧跡と伝え、境内には小町文塚、化粧の井戸があり、小町の艷書をはったという地蔵菩薩も安置されている。
再び門があって、そこを入ると拝観入口の「庫裏」が見えて来ます。1753年(宝暦3年)に二条家から移築されたもの。二条家では政所として使用されてました。
庫裏の中で拝観料を納めます。春期京都非公開文化財特別公開のパンフも買いました。靴を脱いで上がった正面に納経所があって、帰りに寄ります。
入ると拝観ルートに従って進みます。その先は「大玄関」です。
大玄関に入ると正面に「薬医門」が見えます。随心院の勅使門で、寛永年間(1624年~1644年)に天真院尼が寄進したもの。
大玄関を抜けると、次に「表書院」に出ます。こちらに通常は本堂で祀られている如意輪観世音菩薩坐像(重文)と金剛薩埵坐像(重文・快慶作)の仏像がありました。ここでお参りと、本堂より間近で見られます。
文化庁、宮内庁、読売新聞社が連携して進める「紡ぐプロジェクト」により、重要文化財「如意輪観音坐像」が、京都国立博物館の文化財保存修理所で1年かがりの補修作業を終え随心院に戻り公開されたものです。本堂での安置より間近で見られました。
次に本堂ですが、その前に「能の間」に入ります。ここは現在、インスタで人気スポットなんです。
「能の間」は、宝暦年間(1751~1764)に九条家の寄進によるもの。1991年(平成3年)に改修された。
この障壁画は「極彩色梅匂小町絵図」といい、2009年(平成21年)に奉納されたました。絶世の美女と言われた小野小町の一生を描いた作品です。
ここを撮っていると、披露宴の前撮りでしょうか新郎新婦さんが写真を撮られてました。私らの時には無かったことですね。
「表書院」と「本堂」の前には庭園が拡がっています。奥には池もありました。
寝殿造りの本堂内は撮影禁止でした。重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像は、如意輪観世音菩薩坐像と入れ代わり修理に出されたので不在です。あと、薬師如来坐像(平安時代後期)、不動明王立像(平安時代後期)は見られますが常時拝観されているので、いつでもお参りできます。
本堂から表書院の裏側へ進むと、廊下の左手に「地蔵堂」が附属しています。堂内は撮影禁止でした。中央には小町文張地蔵尊像、右手には小野小町白描画の軸、左手には卒塔婆小町坐像が祀られていました。
さらに奥に進みます。その廊下の先には庭園があって、奥に「小町堂」が見えました。
こちらには杜若が咲いています。杜若も例年より早い見頃のようです。
次に「奥書院」に入りました。ここには狩野派の「宮廷人物図」「賢聖障子絵」「竹虎図」や「舞楽図」の襖絵がありますが、撮影禁止です。
奥書院から最初の庫裏に戻ります。石楠花は完全に終わってますね。
帰りに、書き置きの御朱印をいただきました。ご本尊の如意輪観世音菩薩像修復記念の御朱印もありました。
帰りに庫裏の前にあった「小野小町歌碑」を撮りました。この奥は無料で見られるエリアがありますが、今日は行きません。
こちらは「長屋門」です。帰りに気づきました。
帰りも地下鉄小野駅まで歩きます。その前に「小野梅園」を撮りました。ここの梅は遅咲きで、満開は見事です。
9時24分に「総門」から出て行きました。この前が奈良街道で、南に歩けば醍醐寺に行けます。ただ、交通量が多いので歩きは怖いですね。
予定していた時間より早く「地下鉄東西線小野駅」まで戻ってきました。小野駅の次は椥辻(なぎつじ)駅です。山科区役所があって、山科区のメインです。
今日は、ここだけで帰りました。連休の谷間でしたが、帰りの嵐山行きのバスは人で一杯でした。いつもの平日ならガラガラなのに・・・。
【随心院】
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