松尾大社「曲水の庭」にサツキが見頃
5月23日(月)は、皆さんのTwitter情報により松尾大社のサツキが見頃となったようで、早速行ってみることにしたわけです。
サツキは、見頃が短いのでTwitterの情報は有難いです。昨年は、2021年(令和2年)5月28日に来て、「曲水の庭」は絶好の満開でしたが、「蓬莱の庭」は見頃が過ぎて散ってました。さて、この日は・・・?。
松尾大社には京都市営バスで松尾大社下車で行きました。バスは少し遅れて来たんですが・・・?。
神苑の入口には9時に着きました。「そうだ 京都、行こう。」の特典で500円が350円で入れるので料金を納めて庭園に入ります。
入ると、ピンクに染まった庭園が目に飛び込んできました。
昨年に比べ、少しだけ早いかなぁ・・・と思いましたが、これだけ咲いててくれたら満足です。
最初に見るのは「曲水の庭(平安風)」です。昭和の名作庭家で巨匠の重森三玲氏の晩年の作品です。
曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。
ピンク色に染まった「曲水の庭」を見ながら「神像館」に向かいました。神職さんが出て来られて、ここ最近が暖かいので急に咲き始めたと言われてました。
このあと神像館に入りました。何度も入っているので、ざっと見て出て行こうと思ったですが、前から気になっていることを聞いてみました。ここには、御神像21体が展示されています。特に「男神像(老年)」「男神像(壮年)」「女神像」の御神像は平安時代初期の作で、等身大坐像・一木造り、我が国の神像彫刻中、最古最優品として重要文化財に指定されており見応え充分です。かつては松尾大社にあった神宮寺の本尊として祀られていたようで、一時博物館に寄託されていたのを、こちらで展示となったようです。
後続の方が来られたので、私は出て行きました。
「神像館」を出ると、重森三玲が即興的に作り上げた「即興之庭」があります。当初の設計計画には無かったようですね。緑泥片石、白川砂、錆砂利構成の枯山水庭園です。
次に向かう「上古の庭(磐座風)」を神像館の前から見ています。
次の庭園に行く前には、もう一度「曲水の庭」に入ります。そこで、もう一度綺麗なサツキを撮りました。
ミヤコザサこれを取り巻く多数の石で作庭されたのが「上古の庭(磐座風)」です。
上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。
これで庭園は終わりのため、神像館の裏手を通って出口に向かいます。
その裏手には「磐座登拝」の入口があります。必ず許可が必要だそうです。
磐座登拝の方は、ここでお祓いをされるのでしょう。
9時16分に、有料エリアの庭園を出て行きました。
あともう一つの有料エリアの庭園に向かいますが、その前に参拝を済ませました。
次に「蓬莱の庭」に向かいます。
【松尾大社】
サツキは、見頃が短いのでTwitterの情報は有難いです。昨年は、2021年(令和2年)5月28日に来て、「曲水の庭」は絶好の満開でしたが、「蓬莱の庭」は見頃が過ぎて散ってました。さて、この日は・・・?。
松尾大社には京都市営バスで松尾大社下車で行きました。バスは少し遅れて来たんですが・・・?。
神苑の入口には9時に着きました。「そうだ 京都、行こう。」の特典で500円が350円で入れるので料金を納めて庭園に入ります。
入ると、ピンクに染まった庭園が目に飛び込んできました。
昨年に比べ、少しだけ早いかなぁ・・・と思いましたが、これだけ咲いててくれたら満足です。
最初に見るのは「曲水の庭(平安風)」です。昭和の名作庭家で巨匠の重森三玲氏の晩年の作品です。
曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。
ピンク色に染まった「曲水の庭」を見ながら「神像館」に向かいました。神職さんが出て来られて、ここ最近が暖かいので急に咲き始めたと言われてました。
このあと神像館に入りました。何度も入っているので、ざっと見て出て行こうと思ったですが、前から気になっていることを聞いてみました。ここには、御神像21体が展示されています。特に「男神像(老年)」「男神像(壮年)」「女神像」の御神像は平安時代初期の作で、等身大坐像・一木造り、我が国の神像彫刻中、最古最優品として重要文化財に指定されており見応え充分です。かつては松尾大社にあった神宮寺の本尊として祀られていたようで、一時博物館に寄託されていたのを、こちらで展示となったようです。
後続の方が来られたので、私は出て行きました。
「神像館」を出ると、重森三玲が即興的に作り上げた「即興之庭」があります。当初の設計計画には無かったようですね。緑泥片石、白川砂、錆砂利構成の枯山水庭園です。
次に向かう「上古の庭(磐座風)」を神像館の前から見ています。
次の庭園に行く前には、もう一度「曲水の庭」に入ります。そこで、もう一度綺麗なサツキを撮りました。
ミヤコザサこれを取り巻く多数の石で作庭されたのが「上古の庭(磐座風)」です。
上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。
これで庭園は終わりのため、神像館の裏手を通って出口に向かいます。
その裏手には「磐座登拝」の入口があります。必ず許可が必要だそうです。
磐座登拝の方は、ここでお祓いをされるのでしょう。
9時16分に、有料エリアの庭園を出て行きました。
あともう一つの有料エリアの庭園に向かいますが、その前に参拝を済ませました。
次に「蓬莱の庭」に向かいます。
【松尾大社】
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