旧邸御室 「深緑の薫」 特別公開へ
嵐電等持院駅を9時42分に出て、御室仁和寺駅に9時46分に着きました。嵐電は優待乗車証を持っているのでフリーバスです
。ここから旧邸御室まで歩いて5分もかからないので、ゆっくりゆっくり歩いて行きます。
旧邸御室には、2018年(平成30年)8月24日に「京の夏の旅」で初公開されたときに訪れて以来です。
この日に行くことを決めたのは、ここの近くに所用があったからで、随分前から決めてました。ただ、この日の3日前、5月15日(日)にNHK関西ローカルニュースで取り上げられ、そして今日・・・5月18日(水)京都新聞の朝刊に載ったこともあって、ひょっとしたら人多いのでは・・・?と。
ゆっくり歩いても9時51分に着くと、ざっと7名ぐらいの人が待たれてました。やっぱり人が多そう・・・
。


あと10分待つのかなぁ・・・と思っていたら、9時53分に開門されました。ここの周りが住宅街で、外で多くの人が待っていたからでしょう。
受付で、1000円をお支払いして靴を袋に入れ上がります。係の方より「案内があるので大広間で座ってください」と。今日は時間が無いので、さっさと見てさっさと出て行きたいのに・・・。
9時56分頃に案内が始まりました。ただ、前の訪問の時にも聞いているのでね。それにしても、もう10数名も人が集まっています。
旧邸御室が造営されたのは1937年(昭和12年)。京都取引所取引員・祝部鼎二の邸宅として、岡本勝次郎という大工により手掛けられました。その後昭和中期まで「宝酒造」の前身の一つ“摂津酒造”の四代目・阿部喜兵衛が所有。その方の祖父・二代目阿部喜兵衛が朝ドラ「マッサン」のモデルとなったニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝をスコットランドに送りしだした人物で、国産ウイスキーの誕生へと繋がりました。その後、阿部家から京都・山三製材所の創業者・山本三夫が購入。現在はその次女の方が所有されています。
今日は天気が良すぎて、リフレクション撮影には向かないですね。それと人が多すぎて身動きできないのも残念でした。
テーブルは東南アジア原産のカリンの木が用いられていますが、社長の山本三夫氏が山三製材所を営んでいたため、このように大きな板を手に入れたのでしょう。
ガイドさんより「写真撮影は譲り合ってと、庭に降りる人が居るので、そちらが優先です」と案内されました。一斉に皆さん前に出て写真を撮られるので、私はさっさと庭に降りることにしました。庭には時間の靴で降ります。
庭には5名ほど降りられたと思います。大広間から降りるので、後ろから何か殺気のようなもの感じたのは私だけでしょうか
。
ここでもガイドさんがスタンバイされてて、案内すると言われましたが、本当に時間が無いので、ここから私だけ単独行動です。


この狭い石段を上がって行きます。この石段は一方通行では無いので、離合するのに注意が必要ですね。
この庭は、国の名勝に指定されている「双ヶ丘(ならびがおか)」の斜面を借景に造られています。双ヶ丘は南北に並ぶ3つの丘からなり、北から順に一の丘(標高116㍍)、二の丘(標高102㍍)、三の丘(標高78㍍)と呼ばれ、ここでは一の丘の斜面を利用。この庭には社長の山本三夫氏の拘りがあって、「桜は散る」と言って縁起が悪いとかで、前あった桜も伐採し、ここには一本の桜もありません。また石が好きだった社長の思いから、今は採石禁止となっている“鞍馬石”をふんだんに使用。また灯籠も15基、設置してあります。桜が無いので、ここでは椿や躑躅や馬酔木を楽しむことができるそうです。
急な石段を上がりきると、そこには茶室「双庵」がありました。まだ誰も上がられてないので、ゆっくり見学です。

リフレクション撮影に向かない天気ですが、眺望は綺麗に見えました。

茶室内部には上がれませんが、内部は充分見ることができました。

下ではガイドさんが案内しているのでしょう誰も来ないから茶室はゆっくり見られました。

茶室の横には「四阿」もあって、近くで見られます。


四阿から奥からは降りられません。茶室「双庵」に戻り石段を降ります。


前途したとおり石段は、双方向なんで誰も上がられて来ない間に、一気に降ります。



先ほどの大広間に戻ると、皆さん一斉にこちらにカメラを向けられています。上がりにくいけど、ここからしか上がれないのでね。ここの沓掛石は、鞍馬で産出される褐色の閃緑岩(せんりょくがん)だそうです。通称、鞍馬石と呼ばれています。


次に、ガイドさんより是非見て欲しいと言われた奥にあるガラスに囲まれた風呂場に行きました。この磨りガラスに掘られているのは、“保津川の筏下り”です。
こちらは喫茶ルームのポストカードです。入口でいただいたものです。今日は時間が無いので寄りませんでしたが、ここの風景も綺麗です。2018年(平成30年)8月24日に来た時に入りました。

次に洋間も見学です。奥に土蔵もありますが、入れません。前回も見ているのであっさりと見て出て行きました。
10時11分の大広間の様子です。凄い人出で、もう一度戻ろうと思ってましたが、退散することに
。

10時12分に玄関から出ていくことに。スタッフの方と出る時に談笑すると、スタッフの方も、今日はこれだけの人が来られるとは思って無かったと言われてました。まだ開館から10分ぐらいしかたってないのにね
。
ここを出る時にも、数組の方が入って来られました。こんなに人が多いのは驚かれたでしょう。

帰りも嵐電御室仁和寺駅から・・・ではなく、仁和寺前のバス停から所用先に戻りました。
実は、10時前に所用先に電話すると、今日は空いているから10時40分には終わると聞きました。10時40分に戻るためには、この時間に出るしか無かったからで仕方ありません。ただ、あの人出はゆっくり見学することは無理でしたね
。
【旧邸御室】


旧邸御室には、2018年(平成30年)8月24日に「京の夏の旅」で初公開されたときに訪れて以来です。
この日に行くことを決めたのは、ここの近くに所用があったからで、随分前から決めてました。ただ、この日の3日前、5月15日(日)にNHK関西ローカルニュースで取り上げられ、そして今日・・・5月18日(水)京都新聞の朝刊に載ったこともあって、ひょっとしたら人多いのでは・・・?と。







旧邸御室が造営されたのは1937年(昭和12年)。京都取引所取引員・祝部鼎二の邸宅として、岡本勝次郎という大工により手掛けられました。その後昭和中期まで「宝酒造」の前身の一つ“摂津酒造”の四代目・阿部喜兵衛が所有。その方の祖父・二代目阿部喜兵衛が朝ドラ「マッサン」のモデルとなったニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝をスコットランドに送りしだした人物で、国産ウイスキーの誕生へと繋がりました。その後、阿部家から京都・山三製材所の創業者・山本三夫が購入。現在はその次女の方が所有されています。


ガイドさんより「写真撮影は譲り合ってと、庭に降りる人が居るので、そちらが優先です」と案内されました。一斉に皆さん前に出て写真を撮られるので、私はさっさと庭に降りることにしました。庭には時間の靴で降ります。






この庭は、国の名勝に指定されている「双ヶ丘(ならびがおか)」の斜面を借景に造られています。双ヶ丘は南北に並ぶ3つの丘からなり、北から順に一の丘(標高116㍍)、二の丘(標高102㍍)、三の丘(標高78㍍)と呼ばれ、ここでは一の丘の斜面を利用。この庭には社長の山本三夫氏の拘りがあって、「桜は散る」と言って縁起が悪いとかで、前あった桜も伐採し、ここには一本の桜もありません。また石が好きだった社長の思いから、今は採石禁止となっている“鞍馬石”をふんだんに使用。また灯籠も15基、設置してあります。桜が無いので、ここでは椿や躑躅や馬酔木を楽しむことができるそうです。

































実は、10時前に所用先に電話すると、今日は空いているから10時40分には終わると聞きました。10時40分に戻るためには、この時間に出るしか無かったからで仕方ありません。ただ、あの人出はゆっくり見学することは無理でしたね

【旧邸御室】
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